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万華鏡
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■螢の宵■



 風のない暑い夜だった。
 日中、今夏一番の暑さを記録した温度計は、夜になっても昼と殆ど変わらない値を示している。
 一向に鳴らないまま軒下にぶら下がっている風鈴を恨めしく見上げながら、彼は本日何度目か分からない言葉を吐き出した。
 「それにしても暑いねぇ」
 しみじみ言うと、傍らにいた女が呆れたように肩を竦める。
 「先生ったら、暑い暑いって言ってばかりいるから、尚更暑く感じるんですよ」
 「そんなこと言ったってね、白妙(しろたえ)。暑いものは暑いんだからしょうがないじゃないか」
 子供のように口を尖らせる。
 そんな彼の様子に、白妙と呼ばれた女はにっこりと微笑んだ。
 その笑顔は何とも言えず艶やかで、目の前の朴念仁でなければ、きっと瞬時に虜になってしまうだろう魅力に満ちていた。
 「少し気を紛らわせましょうか?碁でも打ちますか?」
 途端に彼は嫌な顔をする。
 「遠慮しておくよ」
 「どうして?」
 「白妙と僕とじゃ勝負にならない」
 「あら」
 ひょいと眉を上げる白妙に、彼は苦々しく顔を顰めた。
 「僕だってそう弱い方じゃないと思うんだけど、白妙にはまったく敵わないからね。いったい誰に教わったんだい?」
 そう問われて、白妙はふと小首を傾げた。少しだけ真剣な瞳が、彼の視線を捉える。
 「知りたいですか?」
 「えっ?」
 逆に問い返されて、驚いたのは彼のほうである。
 白妙とはそれなりに長い付き合いだが、こんな風に自分のことを話そうとしてくれるのは今までになかったことだ。
 聞いていいのかどうか迷いながら、それでも彼はしっかりと頷いていた。
 「知りたい」
 「……」
 「勿論、白妙が嫌じゃなければ、の話だけど」
 自信なさそうに白妙の顔色を伺う。
 そんな彼に向かって、
 「嫌だったら、端から言い出しゃしませんよ」
 白妙はまたしても艶やかに笑った。


 


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