旅人シリーズ
〃 B
「あの……?」
僕の戸惑いに気づいたのだろう。
柿崎館長はますます苦笑すると、その視線を僕の背後へ向けた。
「どうだね、君。もういい加減にこの若者の記憶を返してあげては」
「え?」
僕は驚いて振り返る。しかしそこには濃い暗闇が広がるだけで誰もいない。
不審に思いながら、僕はまた柿崎館長へと顔を向ける。
だが館長のほうでは僕を見ず、僕の背後の闇に向かってもう一度声をかけた。
「意地を張ってないで姿を現したまえ。君だって分かっているんだろう?」
いったいどういうことだろう。
何もない空間へ向かって話しかける柿崎館長の声は、とても老人のものとは思えない若々しい張りを持っている。つい先刻まで聞いていた彼の声とはまるで別人のようだ。それに口調まで。
「柿崎館長?」
不安になって彼の名前を呼ぶと、彼はやっと僕に視線を移して、それからにこりと笑った。
「あ――」
その笑顔は老人のものなどではなく、銀色の髪を揺らす美しい青年。澄んだ灰色の瞳はまるで煙水晶のように神秘的な光をたたえている。
「あなたはいったい……?」
思わず問いかける僕の言葉を遮るように、背後の暗闇から突然声が上がった。
「やれやれ、何て軽薄でお喋りな男だ。そんなのでよく『時守り』などという重要な役目が務まるものだな」
その声に慌てて振り返ると、いつの間にか背の高い立派な紳士が立っていた。
いや、この場合紳士と言っていいのだろうか。それよりも中世ヨーロッパの貴族か王様のような、と表現したほうがふさわしいかもしれない。
艶のある豊かな長い黒髪に深い深い緑の瞳。そしてその瞳の色とよく似た深緑色のローブを身に纏っている。
「あなたは?」
そう尋ねた僕を、不機嫌そうな顔で見下ろしてくる。
「私を覚えていないか。まあ、当然だろうな」
僕はまじまじとその人物を見た。
――覚えていない?
いや、違う。僕は彼が誰だか知っている。
頭で考えるより先に、その言葉が僕の口をついて出た。
「『緑の王』?」
僕がそう言った途端、彼の表情が明らかに変わった。
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