旅人シリーズ
〃 C
「もういい加減にしろよ、ディーナ」
苛立ちを含んだ声に、僕は驚いて顔を上げた。すると、少し高くなった岩場に少女が腰掛けているのが見えた。
黒い髪と碧い瞳。日に焼けた健康そうな肌がきらきらと光っている。
その少女の背後から、また苛立った声がした。
「そうやって、ただ毎日毎日海を眺めていて。お前、本当に変だよ」
声の主の姿は見えないが、どうやら若い男のようだ。
(恋人同士の会話を立ち聞きしちゃ悪いよな)
そう思って、僕は慌ててその場を立ち去ろうとした。
だが、ふいに聞こえた言葉が、僕の足をその場にとどめた。
「海が呼んでるの」
少女はそう言うと、海の彼方を見つめた。
「海が、私を呼んでるの。『還っておいで』って。そう呼んでいるのよ」
「何を馬鹿なことを言ってるんだ?!」
顔を紅潮させた青年が、勢いよく少女の肩を掴む。
だが、それにすら少女は反応しない。ただ視線をさまよわせて、じっと目の前に延々と広がる海原を見つめている。
「ディーナ、俺を見ろ」
彼の必死の願いを、しかし少女は簡単に無視する。顔を海へ向けたまま、ちらりと振り向きもせず、ぼんやりと同じ言葉を繰り返すだけだ。
「ほら、また。海が呼んでるわ」
「ディーナ」
「ねえ、タオト。あなたにも聞こえるはずよ。『ここへ還っておいで』って、海が――銀水魚たちがそう言っているでしょう?」
「ディーナ!」
彼はとうとう耐え切れなくなったように、彼女の体をぎゅっと抱き締めた。
「頼むから、そんなこと言わないでくれ、ディーナ。……行かないでくれ」
そう言った彼の瞳から涙が溢れ、彼女の頬を濡らす。
それでも彼女の表情は変わらず、その瞳が映すのは目の前の青い海ばかりだった。
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