旅人シリーズ
D
そんな僕のことを、羊歯の大株にもたれるようにして、先ほどの女性がじっと見つめている。思ったとおり、彼女の瞳は深い深い森の色をしていた。
「あの……」
僕は思い切って声をかけてみた。すると、
「どうしてここへ来たの?」
彼女は言った。
何と説明したら良いのか躊躇していると、彼女はまた口を開いた。
「どうしてあなたに羊歯の音色が聞こえたのかしら?」
疑問形ではあるものの、その問いかけは僕に対して発せられたものではないようだった。彼女は軽く首を傾げたまま、しげしげと僕の顔を眺めていた。
次の瞬間、彼女の白い指が動いた。
羊歯の葉を引き寄せて、彼女は先ほどより一層優しい手つきで葉の表面を撫でた。
ポロンポロロン……。
短いメロディーに合わせて、彼女は歌った。僕の瞳を見つめながら。
『人は知らぬ 森の心を
森は知らぬ 人の想いを
時の石は刻み続ける
交わることのない 永遠の時を……』
彼女がさらに続きを歌おうとした時、羊歯の葉がぶつりと大きな音を立てて裂けた。
途端にあの不思議な音色もかき消えた。
「ああっ!」
僕は思わず小さな叫び声を上げた。
もっとあの音を聴いていたい。もっとあの歌を聴いていたい。
続きを――!
そんな思いで、すがるような眼差しを女性へ向ける。
しかし彼女はゆっくりと首を振ると、そっと羊歯の葉から身を離した。
「お願いだ、続きを……頼むよ」
自分でも驚くような頼りない声で僕は言う。無意識のうちに、僕の手がすがるように前方へ伸ばされる。
その手を、彼女は優しく握り締めた。
「――?!」
彼女の手のあまりの冷たさに、僕ははっと息を呑んだ。
彼女の細く白い手からはまったく体温が感じられなかった。
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