旅人シリーズ A 「海の向こうへ行こうと思う」 「あ、そう」 「うん。北のほうの古い森と湖に囲まれた地方を旅して、その後また海を渡って、南の島に行こうと思っている」 「ずいぶん極端だな」 そう言って親友は笑う。 それにつられるようにかすかに苦笑いを浮かべながら、 「うん。でも、どうしても行きたいんだ」 静かな決意を込めた声でそう告げた。 実際、自分でも何故そんな所に行こうと思ったのかは分からない。 ただ頭の中で、『雨に濡れた深い森』と『人魚の棲む島』という二つの単語がぐるぐる回っていた。どうしてもその場所に行かなければならないような気がしていた。 (何かに呼ばれているんだろうか?) 馬鹿馬鹿しいと思いつつ、そんなことさえ考えてしまう。 僕はさっそく飛行機と宿の手配をして、愛猫リデルを連れて再び親友の家を訪ねた。 「じゃあ、リデルのことよろしくな」 「ああ。ちゃんと面倒見るから安心しろ」 すでに慣れっこになっているためか、親友は軽く頷く。 僕はちょっとだけ心配になって眉をひそめた。 「……大丈夫かな?ほら、お前のところで犬を飼いだしただろう」 「ああ、空(そら)のことか。平気さ、おっとりした子だし。それにあいつ、猫が大好きだから」 「へえ。変わってるなぁ」 飼い主に似て、という感想はあえて口にしないでおく。 とにかくそんな風にして、僕の二つの旅は始まったのだった。 緑の匂いが濃くなるにつれて、あの音色もどんどんはっきりと聞こえるようになってくる。 いったいこんな夜中に、こんな森の中で、誰が楽器など演奏しているのだろうか。 しかも外はしめやかな雨模様。弦楽器を演奏するのに適している環境とはとても思えない。 けれど不思議な音色は絶えることなく、細く深く心を絡めとる。 (これと似た音を、昔どこかで聞いたことがある――) 音が間近に迫った頃、唐突にそう思った。 [前へ][次へ] [戻る] |