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旅人シリーズ
A
 
 僕がいつものように、足の向くまま気の向くまま、風まかせ成り行きまかせの旅に出たのは、だいたい一週間ほど前だったろうか。
 電車に揺られバスに揺られて、僕は山奥の小さな温泉郷を訪ねていた。
 歴史の授業では一度もお目にかかったことがないようなマイナーな武将の名前と『秘湯』の文字。なんだかどれも嘘くさい。
 けれど、たまにはこんな鄙びた場所でゆっくりと温泉に浸かるのもいい。僕はそう思っていた。
 年老いた夫婦が二人でやっているような民宿に泊まり、客というより親戚の息子のような扱いを受けながら、それはそれで楽しかった。
 おかみさんの手料理に舌鼓を打ち、親父さんと一緒に山菜を採りに行ったりして、普段ではなかなか出来ない経験をしていた。
 僕はわりと早くに父を亡くしていたし、母は生粋の都会っ子なので、こういう田舎の家庭的な雰囲気を味わったことはない。それがまた旅を新鮮に盛り上げてくれた。

 「山の暮らしはどうだねぇ?」
 「なかなかいいものですね。気分がしゃんとする気がしますよ」
 おかみさんに尋ねられて、僕は笑顔で答えた。
 「空気は美味しいし、食べ物はいっぱいあるし。おかげさまで十分楽しんでます」
 「そりゃあ良かったよぉ。若い人には退屈じゃねえかと思ってたんだぁ。ここらと来たら、遊ぶトコなんか何もなかろう?山さ入るか、温泉に浸かるしかねえもんなぁ」
 おかみさんも笑いながらそう言う。
 それから、
 「昨日もおどさん(お父さん)と山さ入ったろ?けっこう奥まで行ったんでないの?」
 「はい」
 「したら、山で女の人に会わなかったけ?」
 「女の人?」
 僕は驚いて聞き返した。
 ここはいわゆる過疎の村というところで、たしか年寄りばかりが住んでいると聞いていたはずだが……。

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あきゅろす。
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