猫目堂 A 昔ね、私はこう見えてもちょっとしたお嬢様だったのよ。 ふふ、おかしいでしょう?でもね、戦前はまだ華族だの士族だのという家柄が残っていて、私の家もそんな中の一つだった。 私の家には大きな薔薇園があって専属の庭師がいたのよ。無愛想で滅多に笑わないような人だったけれど、真面目で根は優しくて、私はその庭師にとても懐いていたわ。それに、庭師には私と同じくらいの年頃の息子さんがいたので、私はその息子さんともよく遊んでいたの。 私は彼を『英輔(えいすけ)』と呼び、彼は私を『皐月(さつき)』と呼んだ。私たちの間で身分なんて関係なかった。 英輔は父親の仕事を熱心に手伝って、時々は薔薇の交配なんかも手がけていたみたいね。 「いつか、僕が作った新種の薔薇を皐月にプレゼントしてやるよ」 それが彼の口癖だった。 私の両親は、私と英輔が仲良くするのをあまりこころよく思っていなかったようだけれど、私はそんなことちっとも気にしなかったわ。 女学校の同級生たちとおしゃべりをして過ごすよりも、英輔や彼の父親と庭で過ごすほうが楽しかった。 私と英輔は本当に心を許しあっていたお友達だったの。 でもね…… あなたたち若い世代の人たちには『赤紙』なんて分かるかしら? そう。第二次世界大戦中に配られた召集令状。 それがね、ある日英輔のもとにも来たの。 「お国のために…」 若い人たちは、みんなそう言って旅立っていった。家族もそれを誇りに思って、笑顔で見送るのが決まりだったのよ。 でもそんなのは建前で、本当は送るほうも送られるほうも身が切られるような思いだったの。けれどそんなことを口にしたら、たちまち『非国民』と罵られてしまう。 本当の気持ちは心の奥に閉じ込めたまま、私たちは兵隊にとられていく人たちを笑顔で見送ったわ。小さな日の丸の旗なんか振ってね。 だから英輔に赤紙が来たときも、彼の父親も私もこう言うしかなかったの。 「おめでとう、英輔。お国のためにせいいっぱい戦っておいで」 …残酷な言葉よね。 死地に向かう人に、おめでとうだなんて。お国のために戦って来いだなんて。 でも、そう言うしかなかった。 英輔も笑顔で答えたわ。 「はい。お国のため、この命を賭して尽くします」 [前へ][次へ] [戻る] |