猫目堂
F
それから、彼は小さなため息を一つ吐き出すと、まっすぐに彼女の目を見て言った。
「僕も君が好きだよ。……結婚しよう」
彼女は彼の肩に顔を埋めると、泣きながら、
「はい」
力強く頷いた。
しばらくしてM市行きのバスがやってくると、二人はしっかりと手をつなぎ、幸せな気持ちでバスに乗り込んだ。
「さて、と」
恋人たちを乗せたバスが走り去る頃、老紳士はカウンターから立ち上がり、扉のほうをゆっくりと振り向いた。
「残念だが」
そうつぶやく彼は、すっかりその姿を変えていた。
白い肌と太陽のように輝く金色の髪、青い花のような瞳の青年。その背中には、大きくて真っ白な翼が生えていた。
「私もそろそろ行かねばならない」
天使の言葉に、カイトはさっと顔を曇らせる。
「お願い、もう少しだけ待ってよ」
天使は困ったようにカイトを見つめる。
「ほんの少しでいい。せめて一目だけでも、彼と父親を会わせてあげてくれないかな」
カイトの訴えに、しかし天使は首を横に振る。
「カイト、これは決まりなんだ。死に行く人々の魂を天上へ導くのが、告死天使である私の役目なんだよ」
天使の容赦ない言葉に、カイトは悲しそうに俯いた。
するとそれを見ていたラエルがふいに天使に言った。
「アズライル、コーヒーをもう一杯どうだい?」
驚いてラエルを見る天使に向かって、ふわりとほほ笑んでみせる。
「ついでにBGМを流そう。曲目は……そうだな、『月の光』なんていいんじゃないかな?」
「……」
天使は一寸呆れたようにため息を吐くと、すぐにくすりと微笑った。そしてカウンターにもう一度座りなおすと、ラエルとカイトの顔を見てにっこりとほほ笑んだ。
「では、お言葉に甘えて、大天使殿にコーヒーを煎れていただこうか。それからBGМは、どうせならオルゴオルの音色で聞きたいものだね」
そう言って二人にウィンクしてみせる。
カイトはぱっと顔を輝かせ、ラエルは笑顔で頷いた。
林の中にオルゴオルの澄んだ音色が鳴り響く。
それはまるで天上の音楽のように、静かに深く遠く、いつまでもどこまでも流れて行くのだった。
《おしまい》
[前へ][次へ]
[戻る]
[小説ナビ|小説大賞]
無料HPエムペ!