猫目堂
E
「見よう見まねで初めて作ったオルゴオルでした。たしか曲目は……」
「ドビュッシーの『月の光』」
いきなりそう言われて、彼は驚きに目を丸くした。
「そう。まさしくそれです。どうして分かったんですか?」
不思議そうに尋ねる彼に、ラエルは笑いながら、彼の手元を指さした。
「そのオルゴオルの曲も『月の光』なんですよ」
そう言われて、改めて手の中のオルゴオルを眺める。
「本当だ。よく見れば、確かにこのメロディーは『月の光』ですね。すごい偶然だな」
彼が言うと、ラエルは意味ありげに頷いてみせた。
それからそっと彼に近づき、彼の両手に白い手を添えて、そっとオルゴオルの箱を裏返して見せた。
「あっ――!」
箱の底に刻まれた文字を見て、彼は驚いて声を上げた。
そこには、このオルゴオルの製作者の名前が刻まれてあった。
それは彼の名前だったのだ。
「まさか、そんな――」
彼は信じられない気持ちでラエルの顔を見つめた。
ラエルは、まるで何もかも分かっているというかのようにほほ笑んだ。
「息子さんからもらった大事なオルゴオルだからと、わざわざ箱をこしらえたそうですよ。恥ずかしいから、このことは息子さんには内緒だと言っていましたけれどね」
ラエルの言葉に、
「そんな……とっくに捨てられたと思っていたのに」
彼は呆然とつぶやき、じっとオルゴオルを見つめた。その瞳にうっすらと涙が浮かんでいる。
「そのオルゴオル、ぜひあなたの手で持ち主の方に返してあげてください」
ラエルはあくまでも優しくそう言う。
彼は言葉を失い、ただ無言で何度も何度も頷いた。
彼はオルゴオルを手に立ち上がると、コーヒーとサンドイッチの代金をカウンターに置いた。
「僕はもう行きます」
彼が言うと、
「はい。ありがとうございました」
二人の店員が笑顔で応えた。
「気をつけてお行きなさい」
老紳士も優しくそう言った。
彼は深々と頭を下げると、ゆっくりと扉を開けて出て行った。
彼がバス停にたどり着くと、そこには思いがけない人物が立っていた。
「どうして君がここに?」
心底驚く彼に、
「工房の人から聞いて、あなたの後を追いかけてきたの」
彼女は俯きながらこたえた。
そして彼が何か言おうとすると、顔を上げて、遮るように言葉を紡いだ。
「昨日あなたは何も言ってくれなかった、引き止めてもくれなかった。だからもう私のこと好きじゃないんだって、あきらめようと思ったの。けれど、やっぱり私はあなたが好き。両親に何と言われようと、あなたに何と思われようと、私、あなたにずっとついていくわ」
頬を染め、涙ぐみながらそう告げる彼女に、彼はますます驚き、じっと彼女を見つめた。彼女も黙って彼を見つめている。
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