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猫目堂
B
 「はい。どうぞ」
 彼の前にコーヒーが差し出された。
 「ああ、どうも」
 コーヒーのいい香りを吸い込みながら、ひとくち飲む。
 とても美味しい。それに体が温まる。
 彼は安心したように椅子の背もたれに体をあずけた。

 「お待たせしました」
 コーヒーが半分になる前にサンドイッチが運ばれてきた。
 食後にもう一杯コーヒーを注文して、彼はサンドイッチにかじりついた。コーヒーと同様、こちらもとても美味しい。そしてどこか懐かしい味がする。
 (そうだ。母さんが作ってくれたサンドイッチと同じ味なんだ)
 彼はそう思い、今朝方の電話を思い出していた。

 「お願いだから帰ってきて。父さんもあなたに会いたがってるわ」

 久しぶりに聞いた母の声。いったい何年ぶりだろう。
 オルゴオル職人になりたいという彼の夢に反対する父母をふりきって、ほとんど身ひとつで家を出たのは、たしか大学を卒業して間もなくだった。
 父の跡を継いで弁護士になってくれという両親に、ずっと胸にしまっていた幼い頃からの夢を話した。
 母は嘆き、父は怒った。
 オルゴオルなど作って何になるのだ、そんなことのために大学まで行かせた訳ではない、と父に激しく罵られた。いくら彼が訴えても、父は決して許してはくれなかった。
 そしてある日、
 「もういい。出ていけ!」
 その父のひと言に、彼はカッとして家を飛び出してしまったのだ。

 その後いろいろとあったが、何とか今の工房に就職して、少しずつ生活も安定してきている。まだまだ収入は少ないが、彼はとても満足だった。
 大好きなオルゴオルを作り、それを応援してくれる優しい恋人もいる。
 自分は幸せものだ、心からそう思っていた。

 けれど昨日の夜から、彼の幸福は揺らいだ。

 「実はね、両親にお見合いを勧められているの」
 レストランでの夕食を終えた直後、そう恋人に切り出された。
 「え?」
 うろたえる彼に、彼女はさらに言う。
 「私ね、あなたのことちゃんと両親に話したわ。けれど父は聞き入れてくれなかった。安定した仕事をしている人と早く結婚しろというの。……私、どうしたらいい?」
 不安そうに彼女が訊くのに、彼は何も答えることが出来なかった。

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