猫目堂 D 「違うんだよ。ねぇ、よく聞いて。僕はちっとも君を恨んでなんかない。今でも君を大好きだよ。あの時ね、馬鹿騒ぎみたいな恋の季節が終わって、僕は真っ先に君のところへ帰ろうとしたんだ。ずいぶん遠くまで来てしまったけれど、帰り道はちゃんと覚えていた。君に早く逢いたくて、君を放っておいてごめんねと言いたくて、本当に急いで家に戻ろうとしたんだ。…でも、戻れなかった」 「海斗?」 「僕は、僕のほうこそ、ずっと君に酷いことをしたと思ってた。ずっとずっと謝りたかったんだ」 「海斗……」 彼女は海斗の小さな体をぎゅっと抱き締めた。 海斗もゴロゴロ言いながら、彼女の顔中を舐めまわす。 「これから、仔猫を迎えに行くんでしょ?」 海斗が尋ねた。 彼女は首を振り、泣き笑いしながら言った。 「ううん。仔猫を迎えに行くのはやめるわ。私は、あなたと一緒に家に帰る」 すると海斗は悲しそうに顔を歪めた。 「それは駄目だよ。ごめんね、僕は一緒には行けない。お願いだから仔猫を迎えに行ってあげて」 「どうして?どうして駄目なの?」 彼女は驚いて尋ねた。 「どうしようもないんだ。けれど、その仔猫は君を待ってるよ。僕には分かる。今もそわそわしながら君が迎えに来てくれるのを待ってる」 海斗の言葉に彼女はいやいやと首を振る。そんな彼女に、海斗は優しく話しかける。 「僕の分まで、その仔猫を大切にしてあげてよ。君の新しい家族……僕の妹になる子なんだからさ」 そう言って海斗は彼女の頬を舐めると、トンと彼女の膝から降りてしまった。 「待って!」 そう彼女が手を伸ばした途端――― ガチャンと音を立てて、コーヒーカップが傾いだ。 その音にビックリして彼女は顔を上げた。 「あ……」 カウンターの中で黙々と働く二人の店員。静かにコーヒーを飲む老紳士。本を読む女性。店内を歩いている子供。 そこは先ほどと何も変わらない。 ――夢だったの? 彼女はぼんやりと考える。 それから、ふいに腕時計を見て、慌てたように立ち上がる。バスの到着までもうほとんど時間がない。 [前へ][次へ] [戻る] |