猫目堂
F
涙に濡れた目で、彼女はじっと父親の顔を見た。
父親は両手で彼女の頬を包み込むと、優しく諭すようにこう言った。
「鏡子、感じるかい?お父さんの手、あたたかいだろう?」
「うん。昔とちっとも変わらないね」
彼女が言うと、父親はにこりと微笑んだ。それから噛み締めるようにしみじみと彼女の顔を見つめた。
「お父さんの姿を、お前たちは見ることが出来ない。だけどお父さんはちゃんとここにいるんだよ。お父さんの心はいつもお前たちに寄り添っている。お前たちが必要とする時は、いつだって傍にいるよ」
「お父さん……」
涙が止まらない。
言いたいことはたくさんあるのに言葉にならない。
父に伝えたいことがいっぱいあるのに、何故だろう、喉に石でも詰まってしまったかのように何の言葉も出てこない。そのもどかしさは涙となって、ますます彼女の頬を濡らした。
そんな彼女の姿に、父親はまるで何もかも分かっているかのように何度も何度も頷いてみせる。
「鏡子、これからもずっと見守っているよ。どんなに遠く離れていても、お前がお父さんのことを想ってくれるたびに、お父さんはお前の元へ行くよ」
「お父さん……」
「ずっと見守っているよ」
そんな言葉を繰り返す父親に、彼女はやっと一言だけ口にすることが出来た。
その一言にたくさんの想いを託して彼女は言った。
「ありがとう」
彼女の言葉を聞いた瞬間、父親は本当に嬉しそうに笑った。そして、
「ありがとう」
そう言いながら、たくさんの光の粒となって溶けていってしまった。
「お父さん!」
慌てて手を伸ばすが、もうそこに父親の姿はなかった。
頬を流れ落ちる涙とかすかな淡いぬくもりと、それだけを残して父親はどこかへ消えてしまったのだった。
「やっぱり夢だったのかしら……」
呆然としながら彼女が呟くと、
「夢じゃありませんよ」
黒髪の店員がそっと彼女に声をかけた。
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