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猫目堂
A
 そう言えば、亡くなった彼女の父親も、おっとりしていてのんびり屋の彼女のことを心配して気にかけてくれていたものだ。
 気がつけば、いつだって彼女のことを温かく見守ってくれる父の姿がそこにあった。
 (お父さん……)
 切なさと情けなさとが入り混じったような気持ちで、彼女は今までで一番大きなため息を吐いた。

 それからバスはさらに三十分以上も山道を走り続け、ようやく終点らしき小さなバス停に辿り着いた。
 (さあ、今からここまでかかったのと同じ時間を戻らなくちゃならないのね)
 そう思いつつ覚悟を決めたように椅子に座りなおした彼女を、運転手が迷惑そうに振り向いた。
 「お客さん、終点ですよ」
 「分かってます。ここから折り返すんですよね?」
 彼女が尋ねると、運転手は無情にも首を左右に振った。
 「申し訳ないですが、このバスはここから回送になるんですよ。だから降りてもらわないと困ります」
 「ええっ?」
 そう聞いて、彼女はやっと真剣に慌て始めた。
 「あの、でも、それじゃ困ります。私、間違ってこのバスに乗ってしまったので、始発の駅まで戻らないといけないんです。この辺の地理なんてまったく分かりませんし、こんな山の中で降ろされたら、いったいどうしたらいいのか……」
 「そう言われてもねぇ」
 運転手も困ったように頭を掻いた。
 「あと一時間もすれば下りのバスがここを通りますから、それに乗って駅まで戻ってくれませんかね?」
 「はあ」
 曖昧に答えながら、彼女は思わず窓の外を見つめた。
 冷たい風がビョウビョウと木々を揺らし、たくさんの枯葉が舞い散っている。外の寒さは相当なものだ。こんな場所で一時間も放置されたら、きっと凍えてしまうに違いない。
 すがるような目を運転手に向けるのだが、運転手はまたしても困ったように頭を掻きながらバスの外を指差した。
 「あの木立ちの向こうに、建物があるのが見えますか?」
 そう言われてよくよく目を凝らしてみると、白い木肌が連なる先に赤いレンガ造りの建物が見えた。

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あきゅろす。
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