猫目堂
A
――希凛チャン。
誰かに呼ばれたような気がして、希凛は慌てて顔を上げた。
「誰?」
問いかけるものの、やはり部屋には誰もいない。何の気配もしない。
希凛はため息をつきながら、何気なく窓の外へ目を向けた。
暗くなり始めたオレンジ色の空に、一番星がくっきりと輝いていた。
*******
日の暮れはじめた夕方の誰もいない公園。
そこに希凛は一人でいた。
小さな手足を一生懸命に動かしてジャングルジムを登っていたのだ。
「もう、ちょっと。あと、ほんのちょっと……」
大人には何てことないジャングルジムも、まだ四歳の希凛には途方もなく高くて厄介なシロモノだ。たどたどしい手つきにぐっと力を込めて、これでもう何度目の挑戦だろう。
それでも希凛はあきらめず、ひたすらてっぺんを目指した。
「やった。てっぺんだ!」
笑顔を浮かべ最後の鉄棒に手をかけようとした瞬間、希凛の手は空をつかみ、小さな体がバランスを崩してぐらりとジャングルジムから離れた。
――落ちる。
そう思い、次に襲ってくるだろう衝撃に、希凛はぎゅっと目を閉じて身構えた。
だが、希凛が予想した痛みはやってこなかった。
希凛の小さな体を受け止めたのは、硬い地面ではなく誰かの優しい腕だった。
「大丈夫?」
柔らかな声がして、希凛は閉じていた目蓋を恐る恐る開いた。
すると綺麗な琥珀色の瞳が、心配そうに希凛の顔を覗き込んでいた。
「大丈夫?」
もう一度そう訊きながら、希凛の体をゆっくり地面に下ろす。
希凛の細い足がしっかりと土を踏みしめたのを確認して、黒髪の青年は安心したようにほほ笑んだ。
「よかった。どこにも怪我はないみたいだね」
希凛は呆然としながらも二、三度頷いた。
何が起こったのか分からないままじっと青年の顔を見つめている希凛に、青年はにっこりと笑いかけてきた。
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