猫目堂 C 「一昨年にばあさんと一緒に植えた木なんだが、今年やっと花を咲かせてくれたよ」 そう言って、老人は愛しそうに桜の木を撫でる。 すると気持ちの良いそよ風が吹いて、桜の木がさわさわと枝を揺らした。まるで老人にこたえるように。 老人は目を細めながら桜の花を見つめると、そっと老婆を招き寄せた。 「咲いたなぁ…」 「咲きましたねぇ…」 しみじみと呟く。 その時、ふと神儺は気がついた。 愛しそうに桜を見上げる二人の目元に光る一粒の雫に。 そしてその瞬間に神儺は悟った。 ああ、二人はすでに真実を知っていたのだ――と。 (もしかしたら……) 神儺は、隣に立つラエルの顔をそっと覗き込んだ。 おだやかな美しい横顔からは何の感情も読み取れないが、もしかしたらラエルは、とうに気がついていたのかも知れない。二人が自分たちの状況を、きちんと把握していることを。 神儺は無言で老人と老婆と、そして美しく花を咲かせている桜とを見比べた。 緑の樹々に囲まれ、春の柔らかな日ざしを受けて、誇らしげに薄桃色の花を咲かせる桜。それを笑いながら見守る年老いた夫婦。 なんと優しく、なんと穏やかなその情景。 神儺はその様子に、ただただ見とれていた。 するとそんな神儺の目の前を、ちょこちょこと横切る小さな茶色い影が三つ。 神儺が驚いて見てみると、それは二匹の子供を連れた狸だった。 「おお、お前らも桜を見に来たか」 老人がそう言って、親狸へと手を差し伸べる。 親狸はまったく警戒することなく、老人の手をぺろぺろと舐めた。狸は明らかに野生のものだったが、どうやらこの老夫婦にとても懐いているらしい。 「こうしてこいつらも来てくれた。嬉しいなあ、ばあさんや」 「本当にねえ。桜の花も見られたことだし、もう何も思い残すことはありませんね」 二人はにこにこと笑いながら、まるで世間話でもするようにそんなことを話している。 その間も狸たちはぴったりと二人の足元に寄り添い、二人と一緒に桜の花を眺めている。 [前へ][次へ] [戻る] |