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猫目堂
黄昏と暁@
黄昏と暁

8th ―薔薇の名前―




 私はずっと気がついていた。
 妻が大切にしている一本の薔薇の苗木、それがいったいどういうものなのか。あの夕焼け色の薔薇の花が、妻にとってどんな意味を持っているものか。
 本当のことを言えば、私はもうずいぶんと昔からそのことを知っていたのだ。


 私と妻はいわゆる『お見合い結婚』というものをした。
 家柄がつり合うということで双方の親が縁談を決めたのだ。当時はそんなことは当たり前だったので、私も――おそらく妻も――何の疑問も抱かずにお見合いをし、お互い特に不満もなかったので、縁談はそのまま順調に進み、私たちは多くの人に祝福されて結婚した。

 妻はとても理想的な伴侶であり母であり祖母であった。会社を経営している私を長年の間公私にわたって支えてくれた。
 さらに私が老いてからは、目の不自由になった私の面倒をかいがいしく見てくれて、本当に妻がいてくれなかったら私はどうなっていたか分からない。
 妻にはいくら感謝してもし足りない。
 だから私は、妻の小さな隠し事を見て見ぬふりをした。

 夕焼け色の薔薇、それを妻に託した人の想い。
 私には彼の気持ちが良く分かった。……おそらく彼と私は同じ想いを抱いていたのではないだろうか。
 しかし彼はその想いを抱いたまま太平洋に散った。
 その結果、妻の心の半分は永遠に彼のものになってしまった。
 
 私は、妻が私や子供たちを愛さなかったとは思わない。妻は確かに私たちを『家族』として愛してくれた。何よりも大切にしてくれた。
 ただ、妻――彼女の心の半分はいつもここではないどこか遠い場所にあった。
 あの夕焼け色の薔薇、その先につづく彼女にしか見えない風景。その景色の中で、彼女はずっと彼を待ち続けていたのだ。
 
 私がまったく嫉妬しなかったと言えば嘘になる。
 正直妻と彼とを恨んだこともあった。
 けれど、あくまでも良い妻・良い母・良い祖母でありつづけようとする彼女の姿をずっと見てきて、そして最後まで私に対して誠実でいつづけようとする妻の真心を感じて、私の中の微かなわだかまりはいつしか綺麗さっぱり消えてなくなった。


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