猫目堂
D
「あなた、名前は何ていうの?」
少女にそう尋ねられて、
「私はアス――」
私は自分の名前を言いかけて、咄嗟に口をつぐんだ。私のことを下級悪魔だと思い込んでいる彼女に、本名をそのまま伝えるわけにはいかないと思ったのだ。
「何?」
「私の名前はアス…ト。そう、アストと言うんです」
「ふうん、やっぱり聞いた事のない名前ね。あと二文字違ったら、あの悪名高き大悪魔と同じ名前なのに。残念ね」
そんなことを言って屈託なく笑う。
私はこっそりと苦笑をかみ殺しながら、今度は彼女の名前を尋ねた。
彼女はそこに生えていたレモンバームを指さして、
「あれと同じ」
そう笑った。
「メリッサ…さん?」
「そうよ」
「可愛いお名前ですね」
私はにっこりと極上の笑顔を彼女に向けた。
するとメリッサは少しだけ頬を赤らめながら、いきなり勢いよく立ち上がった。
「どうしたんですか?」
私が心配そうに尋ねると、メリッサは両手で頬を押さえて、アーとかウーとか唸っていた。かと思うと、いきなり目を閉じて胸の前で十字を切り出した。
「父なる神よ、お許しください。今、私は思わず罪を犯してしまいました」
いったい彼女はなぜ懺悔などしているのだろう。
私は不思議に思い、そのまま彼女に質問した。すると、
「あなたがあんまり綺麗な顔で笑うものだから、ついドキッとしてしまったのよ」
真っ赤になってそんなことを言う。
(いくらでも簡単に嘘がつけるだろうに…)
誤魔化すことを思いつきもしない、そんな彼女のまっすぐな素直さに、私はますます彼女に興味をひかれた。
(どうせ暇なんだし、もう少しここに居てみようか)
(あちらも、私がいなくても別に問題はないだろう)
私はそう思い、しばらくこの村に住むことにした。
仮にメリッサが死ぬまでここに留まったとしても、人間の寿命などたかだか百年弱。気の遠くなるような時間を所有する私にとっては、そんなものまばたきの一瞬にしかならない。
おもしろそうな暇つぶし。
私は、メリッサのことをそんな風に考えていた。
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