猫目堂
F
カランカラン……
ドアベルが澄んだ音を立てて、木の扉がゆっくりと開かれる。
お客は入り口に立ち止まり、店内から漂ってきたコーヒーの良い香りと新鮮な空気を思い切り吸い込んだ。
「いらっしゃいませ」
そう言いながら、慌てて厨房の中から姿を見せたのは綺麗な顔をした黒い髪の青年。
どうやらこのお店は、彼が一人で切り盛りしているらしい。
解けかけたエプロンの紐に気を取られ、少しうつむきながらメニューを探している。
「すみません、ちょっと待ってくださいね。…あ、お好きな席に座ってくださってけっこうですよ」
お客はそんな彼を見て苦笑すると、迷うことなくカウンター席に腰かけた。先にカウンターに座っていたこのお店の常連客――品の良い初老の紳士と、黒髪を綺麗に結い上げた美人と、人形のように可愛い顔をした小さな少年に、それぞれ笑顔で会釈をしてから。
常連客たちも、そのお客に愛想よく笑いかける。
カウンターの向こうでは、黒髪の店員が一生懸命にメニューを探していた。
「あれ?おかしいな。確かにここに置いたはずなんだけど…」
本気で焦り出したらしい店員に、お客は笑いながら優しく声をかけた。
「メニューなら必要ないよ」
そうお客が言った途端、黒髪の店員の動きが止まった。
それから彼はゆっくりと振り向いて、カウンター席にいるお客の顔を見つめた。
「――どうしてここにいるのさ?」
黒髪の店員は呆れたようにそう言った。
けれど彼の琥珀色の瞳は、とても嬉しそうにきらきらと輝いている。
「なんだかすっかり怠け癖がついてしまってね。こんな役立たずの責任者は必要ないと愛想をつかされてしまったのさ」
「……」
「おかげで今は行くところもないんだ。良かったら、ここで雇ってくれないかい?――カイト」
そんなことを言って、楽しそうに笑う青い瞳。
カイトは一寸ため息をつくと、自分のしていたエプロンをとって、そのお客のほうへ放り投げた。そして、
「言っとくけど、うちは時給高くないよ、ラエル?」
そう言って笑った。
「かまわないさ」
ラエルも笑うと、すばやくエプロンを身に着けてカウンターの中へと入っていった。
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