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猫目堂
E
 「……英輔、なの?」
 皐月は震える声で尋ねた。その瞳には、すでに大粒の涙が溢れている。
 青年――英輔は、そんな彼女の顔を見つめて優しく頷いた。そして言った。
 「その薔薇の名前、僕はこうつけていたんだ」
 「…なんて?」
 「メイ・ラブ」
 「え?」
 「僕の一番大切な人の名前と僕の本当の気持ちを、その夕焼け色の薔薇に託したんだよ」
 「――」
 皐月は無言で英輔を見つめると、両腕を伸ばして彼に抱きついた。
 英輔はしっかりと彼女を抱き締め返すと、その耳元に優しく囁いた。
 「ただいま。待たせてしまってごめんね、皐月」


 二人はしっかりと手を繋ぐと、並んで『猫目堂』の扉を出て行った。二人の顔は薔薇色に輝き、皐月の黒髪には、鮮やかな夕焼け色の薔薇が誇らしげに飾られていた。
 幸せそうに笑い合う二人を、カイトとラエルも笑顔で見送った。


 「ねえ…」
 しんと静まり返った入り口を見つめながら、カイトが傍らのラエルにそっと声をかける。
 「なんだい?」
 ラエルはコーヒーをおとしながら、のんびりとこたえる。
 「結局、皐月さんと英輔さんは好き合っていたってことだよね?」
 「そうだね」
 「……」
 ラエルが頷くと、カイトは何かを考え込むように俯いてしまった。
 それを見て、ラエルが不思議そうにカイトの顔を覗き込む。
 「どうしたんだい、カイト?」
 「うん。なんだかさ…」
 ぽつりぽつりと語るカイトの琥珀色の瞳が、金色に輝きながら切なそうに揺れている。まるで今にも涙をこぼしそうなその様子に、ラエルは困ったように首を傾げる。
 「なんだか、皐月さんも英輔さんも、それに皐月さんの旦那さんも…なんか分かんないけど、可哀そうに思えるんだよ」
 「……」
 「おかしいよね、こんなの。みんな最後はちゃんと幸せになれたのに。俺、それを知ってるのにさ。……おかしいよね」
 そう呟くように言ったカイトの瞳から、透明な涙が後から後からこぼれ落ちる。
 ラエルは少しだけ呆れたように、でもとても愛しそうに苦笑をもらすと、手を伸ばしてカイトの頭を引き寄せ、その黒髪を優しく撫でた。
 カイトは目を閉じてぽろぽろと涙をこぼしている。そして、小さな声で何度も「ごめん」と謝ってくる。
 「いいよ、カイト」
 ラエルはそれだけ言うと、いつまでもカイトの髪を撫でていた。このうえなく優しい微笑をその口元に浮かべながら。

 窓の外では、鮮やかに輝く夕陽が、今日一番最後の光を地上へと投げかけていた。






《おしまい》



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