猫目堂
D
カランカラン……
ドアベルが澄んだ高い音をたて、木の扉がゆっくりと開かれた。
そして一人の青年がお店の中に入ってきた。
「いらっしゃいませ」
カイトとラエルが愛想よく声をかけると、青年はにこりと笑った。
「こんにちは」
そして迷うことなくカウンター席に近づくと、
「お隣に座ってよろしいですか?」
そう老婦人に尋ねた。
「え、ええ。どうぞ……」
老婦人は驚きながら頷き、しかしその青年の顔から視線を外せないでいる。
自分の隣に座る青年の姿をまじまじと眺めながら、老婦人は胸元の薔薇を抜き取ると、それを青年に差し出した。
「あなた、この薔薇の名前をご存知かしら?」
老婦人が訊くと、青年は老婦人の手から夕焼け色の薔薇を受け取り、その芳香を吸い込んだ。
青年はしばらくの間、黙って薔薇の花を見つめていた。
そんな青年の横顔を、老婦人は期待と不安のない交ぜになった眼差しでじっと見守っている。
やがて、青年はその薔薇の花を老婦人へ返すと困ったように言った。
「残念ながら、僕には分かりません」
一瞬、老婦人の目が大きく見開かれ、次には明らかに落胆の色を滲ませた。
「そう…。そうよね……」
老婦人のあまりに気落ちした様子に、青年はますます困ったように顔をしかめる。
そして、真摯な声で老婦人に語りかけた。
「すみません。でも本当に分からないのです。その薔薇が、今はいったい何と呼ばれているのか」
「え――?」
青年の言葉に、老婦人はのろのろと顔を上げた。
そんな老婦人に、青年はにっこりとほほ笑みかける。
「その薔薇の名前を、僕は教えないまま旅立ってしまったから。だから、その後で君がいったいどんな名前をつけたのかは知らないんだよ、――皐月」
「……」
老婦人の瞳が先ほどより大きく見開かれる。
いや。すでに彼女は老女の姿ではなくなっていた。数十年前、幼なじみの青年と別れたときの瑞々しい乙女の姿になっていたのだった。
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