猫目堂
C
私には娘が一人いてね。
『リラ』という名前なんだが。――ああ、そうだね。フランス語でライラックのことだ。
妻を亡くしてから、私は男手ひとつで娘を育ててきた。
ちょうど店が軌道に乗り始めた頃でとても忙しかったが、私は娘に不自由な思いはさせなかった。
誕生日にもクリスマスにも、両手から溢れんばかりのプレゼントを用意した。娘が惨めな思いをしないように、良い学校に行かせ、習い事もたくさんさせてやった。独りぼっちで寂しくないようにと、メイドも雇った。
妻の分まで私ががんばろう、娘をしっかりと育てよう。そう思っていたよ。
娘のために必死に働いた。だから今のように店を大きくしたんだ。
そして娘にも祝福されて、五年ほど前に再婚してね。
相手の女性はずっと昔からの知り合いで、私の店にもよく通ってくれていた。
私はまだ死んだ妻の事を忘れていなかったから躊躇したんだが、娘に背中を押されてね。
「ママだってパパが幸せになるのを望んでいるから」と。そう言ったんだよ、あの娘は。
私は幸せだった。
店は順調だし、娘も新しい妻も本当の親子のように仲が良くて。
何もかもが満ち足りていた。とても満足だった。
そんなある日のことだ。
突然、娘が結婚したいと言い出した。
相手はオルゴオル職人だという。小さな工房で働いていて、給料はお世辞にも高いとはいえなかった。夢があって優しい人だと娘は言ったが、そんなもの私に言わせれば何の役にも立ちはしない。
私は反対した。
だって当然だろう?娘が苦労すると分かっていて、みすみす黙っている親などいるものか。
娘は泣いた。
どうして分かってくれないのかと、何度も何度も泣きながら私に訴えてきた。
オルゴオル職人の男も、何回も私を訪ねてきた。「かならず娘さんを幸せにしますから」なんて、ありふれた言葉を吐いていたな。
私が怒鳴りつけても、その男も娘も決してあきらめようとしなかった。二人で一生懸命に私を説得しようとしていたよ。
でも私は、決して彼との結婚を承知しなかった。
お前にはもっとちゃんとした良い男を見つけてやる、今まで通り私の言うことを聞いていればきっと幸せになれる。そう娘を諭した。
……娘は去って行ったよ。
私を捨てて、その男のもとへ行ってしまったんだ。
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