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ぼくを組み込む隙間



光の入らない薄暗い路地裏、あまりの腐敗臭に思わず鼻を覆う。その場所へ足を踏み入れると同時に飛び去った数羽のカラスは、おれ達が退くのを待つかのように、じっと建物の上からこちらを見下ろしていた。彼らに死肉を食い散らかされた、酷い死体の惨劇に歪む同行した部下達の表情。足下に転がる、屍となった両手足は酷い悪臭を放っていた。持ち主はわからない。またか、と痛む頭を抑える。

この数週間で、三件目だ。人間の体の一部が立て続けに見つかるという、不可解で残虐な事件が起きていた。持ち主は見つかっていないが、たぶん生きてはいないだろう。名もない猟奇的なサイコキラーの、狂気じみた繰り返される犯行は瞬く間に町へ噂と共に広がり、恐怖のどん底へと突き落とす。いつも残されるのは、切り取られた両手足と、赤く滲む十字の傷跡。胴体は一つも出てきていない。また殺してやった、見てくれ、と言わんばかりに、これまでの方法と同じ手口。腹の底から沸き立つどす黒い感情を抑え、この猟奇殺人のはじまりと、同じくして増えた行方不明者の名簿一覧を部下へ手渡し、検死官を呼ぶよう伝える。直近で報告されたこの行方不明者たちの家族は、これから恐怖でまともな生活も送ることは叶わないだろう。

きれいに直線的に切り取られた肉の断面。迷いのない切り口。ナマエさん、とおれを不安そうに呼ぶ声に振り返れば、青ざめた顔の新人海兵が、今にも胃の中のものを吐き出しそうな面持ちでこちらを不安げに見つめた。


「ただ殺すことが目的なら、わざわざ、こんな事しないですよね」


普通じゃないですよね、と、これがヒトの仕業でないことを願うかのような声色で、念を押すように尋ねる海兵の怯える瞳を見つめ返し、しっかりしなさい、と頭を撫でて落ち着かせてやる。この、サイコキラーは殺しを楽しんでいるのかもしれない。胸ポケットから煙草を取り出し、火をつけ紫煙を吸い込めば、いくらか気分が落ち着き、自分自身も平常心じゃなかったのだと気づく。見回りに行くからついてこい、と新人へ呼びかける。はい、と、か細い声で返事を寄越す、いつもより小さく見えるその姿を視界に捉えながら。恐らくこの殺人を実行した人間はすぐ近くにいる。前の二件もそうだった。

薄暗い路地を抜け通りに出れば、おれが呼ぶように指示をしたこの町の医師であり、検死官である初老の男が、慌てた様子でいつもの白衣姿と、黒い鞄を片手に走ってくる。先生、と慌ただしく走るその姿に声をかければ、おれに気づいた彼は、ナマエ君、と緊張した面持ちでこちらへ視線を寄越した。この先生に会うのも、もう三回目だ。また、例の十字のマークがご遺体にあったかい、と声を潜めてこちらへ尋ねる彼へ、静かに頷く。おれの反応を見た彼は表情を失い、頭を抱え、一体なんなんだ、と呟いた。


「何人か兵士を残してます、検死をお願いしますね」

「あ、ああ…」


よろよろと覚束ない足取りで路地裏へと消えていく先生を見送り、周りに不審な人間がいないか見回す。それは、すぐに見つかった。これもまた、ほかの二人の時と同じだ。道を挟んで反対側の家に魂が抜けたかのように座り込み、ぶつぶつと独り言を呟く男の姿。きっと、星はあの男だろう。重たくなる胸の内側を煙草の紫煙と一緒に吐き出そうと、目一杯空気を押し出すも、その重さが、変わることはなかった。



ぼくを組み込む隙間




「……遅ェ」


すっかり日付も変わった深夜。自宅へ帰ると、不機嫌そうなしかめっ面がおれを出迎えた。人の家に入り浸っておいて、開口一番に言うことがそれか、とため息を吐く。文句があるなら帰れと言いたいところだが、最早そんな気力もない。結局、向かいの家で見つけた男の取り調べも、何の進展もなしだった。この連続殺人のおかげで、ろくに家に帰ることもできず、睡眠もまともにとれていない。足に力が入らず、ふらふらと歩くおれに、ローは怪訝な表情を浮かべる。いま思えば、相当酷い顔をしていたのだろう。シャワーでも浴びてさっさと寝よう、とシャツに手をかけた、その時からおれの記憶はない。慌てた様子でおれの名前を呼ぶ声だけが、遠くでした気がした。

自分の名前を呼ぶ低い囁きに、意識が吸い上げられる。いつの間に移動したのか、横たわっている自身の体に、自宅のベッドにいるのだと気づく。ああ、さっきまで夜だったのにもう朝か、と明るい室内の光を視界に捉え、気分が落ちていく。朧げな視界の奥で、起きたおれに気づいて、こちらを覗き込む双眸と目が合った。起きたか、と確認するかのように、名を呼ばれる。それから、おれの髪を弄びながら、なにか考え事でもしているのか、空中を見つめた。髪を単調に撫でる手のひらの温もりが、眠気を誘う。甘い誘惑に抗うように身動げば、支えを失いベッドから零れ落ちそうになる手足。狭いから、ソファで寝ろと言っているのに、一向におれの願いは聞き入れられない。確かにローが眠るにはあのソファでは狭すぎるのだが。

視界を覆う朝の光から逃れるために枕へ自身の顔を押し付ける。自分の体から移ったボディーソープの香りに、張り詰めていた胸の奥の方が解けるような気がした。どうやら気絶してる間、おれはこの居候に、風呂へ入れられたらしい。介護職として天性の才能があるのではないかと寝ぼけた頭で考えながら、遠慮ない太陽の光からさらに逃れるように、顔を伏せる。おれの名を呼ぶローの声は、どこか憂色を示していた。


「…猟奇殺人の件、手こずってるのか」


さすが、耳が早い。しかし、軍の事情を話せるわけもなく、無言を返す。バラバラ死体の殺人鬼。普通の人生を送ってきたやつならありえない。躊躇いのないあの屍肉の切り口が映像で蘇る。この連続殺人は不可解なことばかりだった。なんの関連性もない人々が町から消えていく。おれが見落としているだけなのかもしれないが、物言わぬ死体たちは、なにも教えてはくれない。重たい頭を枕から上げれば、こちらを伺う両眼と目が合う。大人になったローの姿にも、もうすっかり見慣れてしまった。再び脳裏に蘇る屍肉の切り口に、目眩を覚えながら、まだ疲労のとれない体を無理矢理起こし、ベッドの外、床へと足をつける。おれはこれ以上、ローを見ることができなかった。殺人鬼は、おまえじゃないよな、とは言えずに。



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(今日はなにか進展あると良いんだがなぁ)
(……おれの方でも調べておこう)
(こらこら、首を突っ込むんじゃありません)
(…もちろん礼は弾んでもらうぞ)
(…すこしは人の話を聞こうね)




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