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言い訳にしては生臭い



夜も更けたこんな時間に訪れてきた客人に、自分の頬が引き攣るのがよくわかった。珍しく叩かれた自宅の扉を開けて、玄関先に立つその人物を確認し冒頭に至る。非番の日に飯屋で会って、頼むから問題ごとは御免だと忠告してから数日経ったいま。まさか、こんなにも早く再会するとは思わなかった。海軍の中では、ハートの海賊団の情報は入ってきておらず、軍をあげて捕まえる動きもなかったため、上手くやっているのだろう、ぐらいに考えていたが、まさかこんな展開になるとは誰が予期しただろう。おれの家を教えたのだれだよ、と近所の町人たちの見知った顔を数人思い浮かべる。


「ナマエ、入れろ」

「…断る」


命令形で告げる悪人面。こちらへ踏み込もうとする体が玄関を越えないよう、扉を閉めようと試みるも、無駄に屈強な腕が扉を無理矢理こじ開けた。いや、怖すぎ、と頭を抱えながら、仕方なくローを部屋に招き入れてやる。玄関を通り抜け、遠慮のカケラもなく、ど真ん中に佇み人の部屋をじろじろと眺め回すローの姿を視界に入れ、おれは更に痛くなりそうな頭を抱えた。陰になって見えなかったが、いつも抱えている物騒なあの刀に結び付けられるように、あのクソガキがぶら下がっていたからだ。呑気に鼻ちょうちんをつけながら、眠る姿に更に、自分の顔が引きつるのがわかった。こいつに誘拐の趣味が合ったとは、と愕然とするおれに、ローは違ェ、と苛々した様子で舌を打つ。

差し出された鬼哭のつかに固く結ばれた紐を解いてやりながら、理由を聞けば、また性懲りも無く、このガキが彼らに挑んでいったのだという。吐きたくなるため息を堪え、クソガキを抱き上げる。背中には小さい体に隠し持ったナイフの感触。どうやら本気度は高いらしい。しかし、いつも悪態を吐く忌々しい態度も寝ているときは年相応の、幼い子どもだ。ローを置いて、寝室のベッドへ彼を寝かせに行く。呑気に寝息を立てる小さい黒髪を撫でつけ、命を大切にするようにどうしたらわかってくれるのか、と嘆息。まったく奇妙な夜だ。

元のリビングへと戻れば、本棚に並ぶ本を勝手に広げる姿。この男が軍人である自分の部屋にいるのは新鮮だった。シャツのボタンもとめず、目のやり場に困るほど大っぴらにされた、胸の刺青に目を細める。そのハートには、どんな意味が込められているのだろう、と。本を片手にこちらを振り返る瞳。あの、珀鉛の少年が、ずいぶん精悍に育ったものだ。こちらを見つめる双眸と、あの時の、世界のすべてを憎むような瞳が重なった。


「あいつ海賊に親を殺されててさ…」


迷惑かけて悪いね、と頬を掻けば、ローは構わないとでも言うかのように、短い返事を寄越す。逆に軍人に両親を殺された彼の過去のことを思うと、背中から血の気が少し引いていくような気がした。人間の恐ろしさに。








酒でも飲んでく?と首を傾げる男を見下ろす。やわらかそうな毛質をした銀髪の下で、鈍く鋭い光を放つ、金色の瞳。目の奥は、十年前と変わらずなにかを渇望するように、どこか哀しそうだった。最後に彼と逢ったとき、ナマエはその瞳を絶望の色に染めていたことをぼんやりと覚えている。それは間違いなく、大切な人を奪ってしまった、おれのせいだった。苦笑を浮かべたナマエは、取ってくるからソファに座ってろ、と部屋の隅を指を差す。昔と同じ困ったような笑顔がいまは見上げる形ではなく、自分と同じ高さにいた。相変わらず下手くそな笑顔。面倒見が良いのは変わらないらしい。大人しくソファに腰を落とし、キッチンへ向かっていく背中を見つめる。サイドデスクには、いくつかの吸殻が転がる灰皿。その銘柄をよく知っていた。

冷蔵庫から冷えた酒瓶を数本手に持って戻ったナマエは、グラスをおれに押し付け、小気味良い音を立てながら栓を開けた。懐かしいにおいがあたりに漂う。恐らくノースの酒だ。


「まさか、おまえと飲む日が来るとはねぇ」


あのクソガキくらい青臭かったのにな、とにやりと笑みを浮かべたナマエは、おれのグラスと自分のグラスに酒を注ぐと、おれの隣に静かに腰を落とした。グラスを煽ぎ、酒を飲み込む。鼻につくアルコールの香りが、口付けたグラスからこちらまで漂った。胸のポケットからくしゃくしゃになった煙草とオイルライターを取り出し、一本咥えると、慣れた手つきで火をつける。その姿に過去の景色を重ねてしまうのは仕方がないことだろう。その仕草の全てがコラさんそのもののようだった。注がれた酒にひとくち口を付け、机へ置く。吐き出す紫煙で曇る空気を見送り、煙草を挟む細い指先からそれを取り上げれば、ナマエは金色の瞳を見開き、銀の睫毛を瞬かせた。昔、おれを包み込み熱を惜しまず与えてくれた腕を引き寄せ、衝動的に胸の中に閉じ込めるように抱きしめる。おれの腕の中で固まった銀髪は、聞いたことのない短い奇声。あの時とは逆転した体格差に、長かった時の流れを感じた。


「ナマエ…」


会いたかった。おれの胸を押し返そうとする体を抱きしめる腕に力を入れながら、取り上げた吸いかけの煙草を灰皿に押し付ける。ここまで来れる理由になったあのガキの存在に、自分は運が良かったと思う。コラさんがこの世から跡形さえなく消えてしまって、少しの間、一緒の時間を過ごすこともあったが、いつしかナマエはおれの前から姿を消した。たぶん、行き場を失って、お互いに苦しかったのだと思う。一緒にいること自体が。あの時、懇願すればナマエを連れ戻すことは容易だったかもしれないが、なにもかも失って絶望の淵にいた当時のおれはそれすら怖がって、しなかった。

こちらを押し返すのを諦めたのか、抵抗をやめた銀髪の主はおまえねぇ、と呆れた声を寄越す。代わりに、静かに背中へ回される腕。優しく行き来するあたたかい手のひらは、昔のそれと変わらなかった。ナマエの髪からは、懐かしいにおいがした。おれと彼が大好きな存在の。

ず、と遠慮がちに鼻をすする音。腕の中を覗き込めば、金色の瞳と視線が交わる。少し水気の多い膜を張った眼球。やはり、奥の方は哀しそうに暗い闇が広がる。ナマエは、眉尻を下げ、あの困ったような笑顔を作ると、ごめんな、とおれの頬を細い指で撫でた。華奢な肩口へ吸い込まれるように、重い頭を預ける。小さなため息を聞きながら、懐かしい記憶を辿るようにおれは目を閉じた。しがみつくように抱きついていた、幼い時の記憶を。もう二度と離したくなかった。



言い訳にしては生臭い



ちいさく体温の高い、体を抱えるように抱き込む。やわらかくて気持ちいい。日なたのにおいがする黒髪へ鼻を埋め、浅く現実と夢を行き来する意識。重い瞼を持ち上げ、ぼんやりと世界を認識すれば、腕の中で、縋り付くようにおれに身を寄せて、あの近所の子どもが大人しく眠っていた。ああ、そういえば昨日うちに来たのだと、はっきりとしない頭で思い出す。ローが連れてきて、その後、久しぶりに酒を飲んでロシナンテ先輩の話をしたんだった。

固い枕に首が痛むのを感じ、体を捻ろうとした瞬間おれは、は、と背中の温度に息を飲んだ。自分の腕の中に収まるガキは良いとして、もう一人分の腕が視界に飛び込む。おれと子ども二人分を包み込むように背中から回され、放り出された逞しい刺青の彫られた腕。スースーと、規則正しい寝息が後頭部を熱くする。蘇る記憶。どおりで動きづらいと思った。シングルベッドに成人二人と、ガキ一人(しかも、全員男)はさすがにいろんな意味で厳しいものがある。絶対離さないとばかりに、腕の中と、背中の野郎ふたりに抱きつかれて、どう引き剥がすか、と思考を巡らせていると、まず初めに起きたのは腕の中の存在だった。微かに身じろぐと寝ぼけ眼で、こちらを見上げる。こういう姿を見ると、子どもらしくてかわいらしい。目前のガキは目をこすると、こちらを不思議そうに見つめ、手を伸ばした。小さな指先がおれの頬を擦る。


「ナマエ、泣いた……?」


その仕草で初めて、おれの頬に涙痕があるのだと気づく。寝ぼけ眼の黒髪を撫で、欠伸だよと返せば、怪訝そうに眉を潜めた彼は、ふぅん、と気のない返事を寄越すと、おれの背中へ腕を回した。回された腕に、子どもにしては強い力を込められ、内臓が圧迫される。苦しい苦しい、と声を上げれば、今度は背後の大きな子どもが目を覚ます気配。寝惚けているのか、おれの体に回す腕に力を込められ、朝から最悪な目覚めだ。微睡みもそこそこに、おれを挟んでお互いの存在にやっと気づいたふたりは、ほぼ同時に大きく舌打ちをした。奇跡のシンクロである。先に起き上がったのは小さい子どもの方。ローを視界に入れるや否や、てめえ、と悪態を吐く。朝から元気なことだ。そそくさとベッドを抜け、コーヒーでも淹れようと立ち上がる。その瞬間、背後でローに飛びかかる小さな体。


「ナマエを泣かせてんじゃねぇよ!」


意外な怒りの矛先に、やめて、欠伸だから、恥ずかしいから、という言葉も虚しく、明らかに不機嫌なローは気怠げにその体を起こす。表情を曇らせ、手元にあった枕を手に取り、それごと小さな体目掛けて勢いよく振り下ろしベッドへ沈めた。顔を枕の上から押さえつけられて、もがもがと要領の得ない文句を並べながら、バタバタと短い四肢をめちゃくちゃに動かす少年に、低血圧でより一層人相の悪くなったローが、大人気なくにやりと口角をあげる。いやいや、窒息するでしょ、と枕を抑えつけるその腕を取り払えば、顔を真っ赤にした子どもは、怒声と共にローへ再び飛びかかった。もちろん手の届かない場所に隠したが、昨日仕込んでいたであろうナイフを取り出すため、背中へ手を回したのをおれは見逃さなかった。やはり殺害の本気度は高いらしい。

怠い体に鞭を打ち、お湯を沸かす。いつもと変わらない朝だ。あいつらさえいなければ。睨み合うふたりを目前に、やっぱり似てるよな、なんて考えながらインスタントコーヒーへ湯を注ぐ。今日は早めに家を出ようと心に決めながら。




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(あのガキを見てると、昔のおまえを思い出すよ)
(…うるせェ)





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