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愛になるにはまだ幼い



髪を掻き上げ自身の耳を、まじまじと洗面所の鏡に映し、改めてピアスの存在を確認する。自分の耳の形を確認するのなんて、生まれて初めてかもしれない。未だ、じりじりともどかしい熱を持つ耳たぶには、見慣れない赤い石が鎮座していた。細かな光を反射してキラキラと輝く血のように深い一粒の赤。宝石には疎いが、恐らく高価なものなのだろう。見たことがないほど、奥の深い真紅の輝きが美しかった。ただ一つ、我が物顔で陣取るそれに溜息を禁じ得ないとすれば、どう見てもこのアクセサリーが、女物であることだ。自分の男らしいとは言い難い容姿も相まって、これじゃあまるで男色にでも見えやしないか、と、いらぬ心配が頭をもたげた。

まんまとやられた。色素の強くない自分に、痛いほど派手に映える真っ赤な宝石の存在に、あの男の執拗な欲念がちらつく。加えてさらに、精神を削られる原因。少し動くだけで自身の腰は、錆びついた機械のように鈍い痛みを訴えた。痛い。しかし、案外、悦ばしかった夕べの行為に、ひとり間の悪い心持ちにならざる負えない。ガラス細工でも触るような、酷く優しく、もどかしい手つきを思い出して、むずむずと背骨に沿って少しの電気が走る。体中の血液が顔に集まってくるのを感じ、おれは洗面台の蛇口を勢い良く捻り、熱を逃がすように顔を冷たい水で濡らした。


結局、熱を上手く逃すこともできず、制服に仕舞いっぱなしにしていた煙草を取り出し、急いで火を点ける。やっとのことで、正常な速度で脈を打ち始める自身の体に安心を覚えながら、朝の澄んだ空気と一緒に枯葉の香りを肺へ送り込んだ。静かに、自分がニコチン中毒であることを再確認した瞬間である。


未だ心地良さげに眠りを貪る一人分の山ができたシーツへ、そっと自分の体を滑り込ませれば、二人分の体重を受けてベッドがわずかに沈み込む。眼下で眠る25歳児の、艶のある黒髪へ唇を寄せれば、眠っているからか、ローにしては少し高い体温が鼻先にじんわりと伝わった。サラサラとした毛束から漂う香りに、どうも懐かしい気分が押し寄せてくる。人間の肉体の記憶とは不思議なものだ、と感心しながら顔を上げると、まだ無意識の領域に留まる、うつつな瞳と目があった。

おはよう、とはっきりしない瞳へ告げれば、自分の寝床へ誘うように体を引っ張られる。寝起きだというのに案外強い力に、大人しく二人の隙間を埋めるよう、腕の中へ身を預け、ぬるま湯のような微睡みにゆっくりと意識は覆われた。



愛になるにはまだ幼い



衣擦れの音に意識が引き上げられる。ぼんやりと靄のかかる視界。こんなに深く眠りこけたのは久しぶりだった。ごくわずかな煙草特有の香りに、気分が和らぐ。恐ろしいほど安心するそれを、自分の中へ更に取り込むため、腕の中の銀髪頭へ鼻を寄せれば、こそばゆいのか、ナマエは、ぎこちなく体を捻ってシーツへ顔を埋める。くぐもった声色が、言葉にもならない声で、抵抗を示した。銀糸から覗く赤い飾りのついた耳たぶに昨夜の記憶が蘇り、腹の下が熱くなる。堪らず、形の良い白いそれを口に含み、溶かすようにピアスを舌で転がせば、びくり、と眼下の肩が震えた。


「っ、…痺れるから、やめ…」

「感度いいな…」


やっとおれを視界に映したナマエは、むっとした様子で濡れた耳を抑え、おまえねえ、と呆れ声を寄越す。頬は少し紅潮していた。そんな些細な目の前に広がる光景に、なんとも、手足の端々から内臓まで、すべてが優しく溶け出してゆくような幸福感がこみ上げてくる。やっぱり、離れがたい。船へ持ち帰るために、ナマエをどう納得させるか考えながら、金の瞳を縁取る白い睫毛を観察すれば、勘の鋭い白銀の主に先手を取られた。いってらっしゃい、と。完全に手に入れるのはまだ、先になりそうだ。

細い指先がおれの髪を梳いては、頭をそっと撫でる。何度も何度も繰り返されるそれに、この男もまた、この時間が心惜しいと思っているのだろうと、嬉しくなった。


「それで、これからローはどうするんだ」

「…まあ、やることはたくさんあるな」


コラさんの本懐を果たすために。つぎの島へ航路を取ると決めたのも、その目的を果たすため。だから、この町に辿り着くのは必然だった。ナマエは、思いも寄らず登場した先輩海兵の名前にわずかに目を見開き、ふうん、と短く相槌を寄越した。

考えごとでもしているのか、心ここに在らずの様子で瞳がぼんやりとおれを見つめる。まあ、海軍大佐ならば、おれが誰を相手取ろうとしているのかぐらい、心当たりがあるのだろう。ナマエの心配を拭うつもりで、白い額へ唇を寄せてやれば、名残惜しげに、細い腕がおれの背へ回される。それから、三日月型に弧を描いた口元は、ロー、と優しくおれの名を呼んだ。唇に触れる柔らかくてあたたかい少し湿った皮膚の感触。じんわりと熱を寄越すような、触れるだけのキスは、魔法のようにおれの体を見えない温かな膜で覆う。少しだけ世界が明るく輝くような、不思議な感覚。ナマエは、緩くはにかんだまま、おれの髪を梳いた。


「おまえの計画はすべて上手くいく…の、術だ」


なんだよそれ、と懐かしい言葉に笑えば、思いの外、恥ずかしかったのかナマエは照れ臭そうに頬を掻いて、腕からぬけ出そうと身を捩った。けれど、おれは、もう少し魔法の膜の内側にいたくて、ナマエの熱くなった体が逃げないよう、強く抱きしめ返した。また、必ず会いに来ようと誓いながら。



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(あ、キャプテン。あの港に立ってるのって)
(ん、…ああ)
(ナマエとあのガキ、見送り来てくれたんですね)
(そうみたいだな)

(まあ、案外またすぐに、会えますよね)
(……進んだ航路を戻る予定はねえが?)

(あれ?ナマエから聞いてないんです?)
(……?)

(本部勤務になったらしいですよ。だから、新世界に入ったら嫌でも追い回されますよ!)
(……は?)




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