60

 ぽろり、飛び出した言葉。
 自分しか知らないという優越感、それはいつも余分なほどに募るものだったというのに、この瞬間だけは、目の前の男がひどく遠く感じた。
 口にした瞬間にぴたりと動きを止めた健悟の指先から、固く止まった空気に触れる。恐る恐る健悟の表情を覗きこめばすっかり表情をつくることを忘れているようで、さっきまでの笑顔とは一転して驚きに表情を任せているようだった。
 自分よりも年上で順風満帆な人生を送ってきただろう健悟の過去に拘るつもりなんて微塵もなかったはずなのに、自分が知らない夜を越えて来たという事実が頭に浮かんだが最後、どうにも隠せそう にはなかった。よくあるドラマじゃあるまいし、なにを女みたいなことを、ばかなことを、そう自覚すればするほどに恥ずかしさしか募らず、思わず「うそ、」と呟き誤魔化したけれど、このベッドの狭い空気の上で、この雰囲気の中で、嘘で片付けるには条件が足りなすぎた。
「………………」
「……………………っだよ」
 嘘だと言っても変わらず目を丸くする健悟は露ほども信じていないのかまじまじと蓮を見つめていて、ぱちぱち、と、わざとらしく瞬きをしたのち髪の毛を掻き、気まずそうに視線を逸らす。
「……や、俺が聞きたいんだけど……おまえでも、そんなふうにおもうんだ、って」
 口元を隠して告げられた言葉の語尾は小さく揺れていたけれど、この静かな室内ではしっかりと蓮まで届いてしまった。
「……ばっかじゃねえの」
 思うに決まってんだろ、と言うのも尺で、ため息一つ返しただけだったというのに、それを肯定ととったらしい健悟はぐっと唇を噛み締めた。そしてそのあとで、一瞬だけ息を止めると、まるで見えない宝物を抱きしめるように、とても大切そうに、言葉を吐き出していく。
「なんか……すげ、……れん、ほんとに俺のこと好きになってくれてるんだね」
「、……はあ?」
 どうしてそうなったんだよ、いまさらかよ、好きじゃねえとでも思ってたのかよ、言ってやりたい言葉は水中の泡のようにふつふつと浮かんだけれど、あまりにも頬を崩してしあわせそうに笑う健悟にかける言葉とはそぐわなくて、無言のままシーツを手繰り寄せて身を隠すことしかできない。
「こらこらこら!」
 すると、待て待てと叫ぶ健悟はあっさりとシーツを取り去って、蓮の肩を掴み無理矢理に瞳を合わせてくる。
「耳赤くしてんの知ってんだからね、もうっ」
 にやにやと蓮の顔を覗く健悟は至極楽しそうで、蓮のだいすきな顔、絶対的な笑顔を携えて近付いくる。
「……おめーも赤いって気付いて言ってんだろうな、それは!」
「えっ」
 マジで、と耳を触る健悟のそれは本当に赤くなっていて、きっとそれと同じくらい、それ以上に自分の金の下の肌も赤くなっているのだろうと思う。全開の笑顔でこんなにもストレートに感情をぶつけられたことはないし、逆もまた然りだ。未だに慣れない応戦も、自分の気持ちが言わずとも相手に伝わってしまっているこの環境も、むずむずするくらいの喜びが沸き上がってくる。
 だって、うれしい。こうして、自分の素直な感情を伝えていいのだという、それだけで。
「…………」
「…………」
 お互いが耳を抑えながら見つめ合うという変な構図のまま二秒が過ぎたあと、先に格好を崩したのは健悟の方だった。
「、……あはっ」
 にやり、表情の色を変えた健悟の意図がわからず蓮は一瞬身構えたけれど、自身の耳から手を離した健悟は、今度は蓮の耳を見せ付けるように、金色の前髪を耳に掛けて赤いそれを晒してくる。
「れーん。いないよ?」
「…………」
 真っ赤な耳たぶについたシルバーピアスをはむりと噛んでから、甘い顔を見せて、幼い子どもに言い聞かせるように穏やかなトーンで紡がれた言葉。一瞬その優しさに身を委ねて見惚れそうになってしまったけれど、じわり、再度撫でられた耳に、何の話だ、と覚醒する。
「、うそつけよ」
 気を持ち直してから会話を辿れば、先ほどの自分の放った台詞を思い出した。あんなに無防備な表情を今まで他の人にも見せてきたのだろうと、子どもじみた嫉妬心に任せて渡してしまった言葉の糸を辿って否定する。
「えー、ほんとだよ。いるはずないじゃん」
「……なんでだよ」
「なんでって、朝まで一緒にいたいと思ったのなんて蓮だけだもん」
「、」
 なんでそんなことを聞くのだろうと、まるで質問の意図が分からないとでも言いたいかのように、すんなり言葉を贈られた。
「朝までじゃなくて、ずうーーーーっと一緒にいたいけどさ」
「……卑怯くせー」
「あ。あと、前からちゃんと見てシたいとおもったのも蓮だけ」
「、うっせえよ!」
「ほんとだよー、この家に入ったのだって蓮以外いないしー」
「…………」
 にこりと邪気のない笑みで語られる言葉たちは言わずとも蓮が特別だと言っていて、剥き出しになった嫉妬心がするすると小さくなっていくことが自分でも分かる。
 こんなにも単純なことなのに、たった一分しか無いやりとりだけなのに、それでも、うそでもうれしいと頬がムズムズしてしまうくらいには、意志と反して口角が勝手に上がってしまう。だからこそ再び、だらしない顔を隠すべく、無防備な耳はそのままに、ふかふかの枕へと顔を埋める。
「ちょっとそれずるくねえ? ちゅーできないでしょー」
 ねーえー、と髪の毛をぐしゃぐしゃに掻き混ぜられるけれど、怒気を孕んだ様子は見受けられない。
 むしろ此方の反応の理由を悟っているからこそ、わざとらしく耳の裏を触ったり、項を触ったり、じわじわとちょっかいだけを出してきているようだった。
「…………別に、妬いたんじゃねーかんな」
「ん?」
「……忘れろよ、さっきの…………」
「うん、わかってるよ」
 妬いたくせに素直になれないってことがね、そう健悟が心の中でのみ呟いたあとは、肯定したことにより安堵した蓮の隙を狙って身体を仰向けに返した。
「、わ!」
「すきあり〜」
 ぎゅうと抱きついた後、蓮の唇に噛み付くのは、もう何度目になるのかも分からない。
 ふにっと走る柔らかい感触に、ずっと食んでいたいと思う反面、そうできなくなるくらい身体の内側から笑いがこみ上げてきてしまった。
「あはっ」
「、ん?」
「あ、ごめん。なんかもー、いいなあーって」
 にやにやしながら蓮の鼻に自分のそれを擦り合わせると、近距離に負けた蓮が先に目を逸らしたからこそ、また隙ありと言わんばかりに唇をぺろりと舐めてやる。
「だってさあ、すごくない? 蓮とちゅーしてる回数なんてもう数えらんないのにさ、……俺、これだけでまだこんなうれしいんだよね」
 じわじわと込み上げてくる喜びの正体なんて一切分からないけれど、身体にぽかぽかとあたたかさだけが溜まっていく。うれしい、そんな素直な感情しか持っていないからこそ、証拠と言わんばかりに蓮の手をとって、自分の左胸に押し付けた。
「ほら。すっげードキドキしてるっしょ?」
「、……ばーか」
 鼓動がうるさいくらいに脈打っていることは、押し付けられたてのひらからきっと伝わっていることだろう。
「れーん、ありがとね」
 なにがとはいわないけれど、うちに来てくれたこと、選んでくれたこと、出会ってくれたこと、なにもかもをひっくるめて御礼が言いたくなった。
「…………」
「……あはっ、」
 言えば、言葉にせずとも優しく髪を撫でられて、どっちが大人だか分からないやりとりに、柄にもなく泣きそうになってしまった。
 蓮がこんなにやさしくなんなら、たまには離れるのも良いのかもな。……とか言ったら拗ねそうだから言わないけど、本当にやりそうだから言わないけど、っていうか、これ以上離れることなんてマジで無理だし、できそうにもないけど。
「…………れぇーん」
「……なんだよ」
「んー」
 気を抜けば言ってしまいそうな言葉は、かわいい、と、すき、だけで、本当に語彙のないそれは何百回言っても足りないけれど、精一杯の愛してるを伝えるために、もう一度目の前の唇に噛み付いた。




60/60ページ

[戻る]


あきゅろす。
無料HPエムペ!