59
「ほら、眼ぇ開けて〜」
「、」
 温かすぎず冷たすぎない、ぬるい掌が腹を撫でる。
 恭祐に抱きつかれたり噛まれたり、自身の身体に直接的な刺激を与えられる機会は幾度もあったのに、その時とは比べものにならないくらい感情の機微に触れたことは自分でも自覚していた。じわりと心臓が濡れる感覚、きゅっと蓮の足先が丸まったのは無意識のうちに期待が込められてしまったからで、その浅ましさを健悟に悟られていなければいいと思った。
 メディアに露出している瞳とは正反対の、熱情に満ちたそれを目にしてしまったその瞬間から、肌の粟立つ感覚などとうに戻っていた。
 ぺろり、舌舐めずりする健悟を視界に入れれば自分の前でのみ見せるその表情に、ぞくりと優越感が湧き上がる。
「ーーー四日も居なかったんだから、コレ、責任取ってよ」
 吐息に少しの冗談を乗せて笑った健悟は、行き場なくシーツに放られていた蓮の右手をそのまま自分の腹下へと押し付けた。
「! …………おま、思春期過ぎてんのに……」
「ちょっとー! 同情なんてしなくて良いのー!!」
 ごり、と既に明らかに芯を持っているそこに蓮が表情を歪めながら溜息を吐くと、そうではないと言わんばかりに健悟が声を荒げる。
「もうっ、蓮だからだって何回言えば分かってくれんのかな、ほんとに!」
「えー……だって、俺おまえが俺以外の人とヤってんのとか見たことねえし……」
「当たり前でしょ、それ」
 むしろもう勃たないよ、と、とんでもない台詞をさらりと放ったことに蓮は気付いていないのか、上から勢いをつけて覆いかぶさってきた健悟に、重い! と笑いながら身体を捩らせている。
「んー…………しーあわせぇー」
「やっすい幸せだな、おい」
「ん〜〜〜」
「、触んならちゃんと触ればかっ!」
 ぐりぐりと健悟が額を押し付けてくるのはちょうど蓮の胸の位置で、明らかに邪な場所をわざとらしく攻められて、その擽ったさから、はははっと笑いがこみ上げてしまった。
 折角のキングベッドだというのに隙間なくぴったりとくっついて甘えてくる様子は、こうして恋人という関係になるまで知らなかった部分だ。
 ひとの体温と重さも、肌の触れ合う感触だけでこんなにも安心してしまうことも、他人とくっつくことが悪くないと思えたことも、ぜんぶぜんぶ、健悟と出会うまでは知らなかったことだ。
 合宿に行って、自分はこんなにも一人寝が下手になってしまったのかと絶望した。たかだか四日の合宿だったのに、今ならば大抵のことはしてあげられそうなほど、温かい気持ちになってしまっているからだ。

 だって、知らなければ手放せたのに、今はもう、無理かもしれない。

「……っは、しつこい」
 逃げることすら許さないとばかりに咥内を攻め立てられる。いくら教えられても息を吸うタイミングが未だに掴めなくて、半ば窒息しそうになりながら健悟の頬を掌で押し返した。
「……じゃあもっとしつこくする」
「んッ、んー!」
 けれどそんな柔い攻撃で諦める健悟ではなく、蓮に遮られても諦めずに舌を侵入させてくる。
 まるで奥歯を目指すかのように深く噛み付いて、苦しそうに健悟の背骨を叩く蓮の腕に見ないふりをした。ドンドンと叩かれる背中を気にせず口の中に潜っていれば、わざとらしい音を立てながら唇を離す頃にはすでに蓮の目は溶けていて、普段は意思の強い真っ黒な瞳が薄い膜に覆われ揺れている。
「ふは、とっろとろ」
 持ち前の強気は消え果て、たかが唇を重ねただけで息も絶え絶えに胸で呼吸しているものだから、何回キスしても足りないと言葉にするよりもはやく、うっとりとその上気した肌をさらりと撫でる。
「ほんと、かっわいいなぁ」
「、……うれしくねえよ……」
 最早どちらの唾液で濡れたのかもわからない蓮の口端を、健悟が満足そうに親指で拭うと、その余裕めいた表情に触発された蓮は精一杯の力を振り絞って、今にも力が抜けてしまいそうな腕で更に唇を拭った。
「そんな乱暴に拭かないのー」
「…………」
「よだれ垂らしてるくらいのほうが悦に入ってるっぽくて好きだよ、かわいいじゃん」
「……変態」
「いいねそれ、言われ慣れなくて」
「そりゃおまえに言えんのなんて俺か利佳くらいしかいねえだろ」
「もー、いまあいつの話はナシでしょ」
 萎えるって、と鼻で笑った健悟の内太腿へと突然指を伸ばせば、案の定一瞬身体をびくりと揺らして反応するものだから、うそつけ、と鼻で笑い返すことしかできなかった。
 照れるように、たまらず笑った健悟はそのまま蓮に抱きついて、太腿へ伸びた蓮の指を、そのまま自分の中心へと引き寄せる。脱いでいないにも関わらず主張を続ける塊に、にやにやと笑みを浮かべる健悟に対して、恥ずかしさを堪えるように真一文字の唇を携えて、恐る恐る指をばらばらと動かす蓮に思わず笑いがこみ上げる。
 蓮に対して、かわいい、としか言えない自分の脳内に、語彙がねえなあと思いながら、欲望に任せて目の前の唇をまた塞いだ。
 未だに閉じられる瞳には警戒心よりも羞恥心の方が勝っていることは承知の上で、わざとらしく水音を増やせばそれだけで耳まで赤くなる。名残惜しそうに唇を離せば、余韻に浸るとろんとした瞳は語らずとも気持ちいいと言っていて、世界中で自分しか知らないその無防備な仕草に、優越感を抱かずにはいられなかった。
「、……そんな顔もさあ、俺しか知らないんだよね?」
 溢れる笑みを殺せず泣きそうなまでの愛しさを仕舞い込んで蓮に抱きつけば、なにをいまさら、とかわいくない返事が届いたあとで、まるであやすように髪の毛を撫でられた。
「……おまえでもそんなふうにおもうんだな」
「思うよ」
 驚いたように告げられた蓮の一言、健悟にとっては青天の霹靂とも言うべき出来事で、思わず間髪入れずに即答する。
「っていうか思うに決まってんじゃん。……あのねえ、根性だけでれんくんの初ちゅーも初えっちもぜーんぶ貰ってる男デスヨ」
「、」
 自分で言いながら何を思い出したのかうっとりと幸せそうに笑った健悟に、いつもならば調子に乗るなと殴る蓮も、驚くことしかできずぴたっと動きを止めてしまった。
「…………」
 理由は明白で、健悟を見るたびに度々触れていた優越感は、自分だけが得ているものだと思っていたからだ。
 スタジオで撮影しているとき、リビングでふたり並んでテレビを見ているとき、クラスメイトが彼を語るその瞬間さえ、別人を演じる男を見るたびに、本当の健悟を知っているのは自分だけなのだと優越感を抱かずにはいられない。さらりと告げられたその感情は、自分にとって至極身近な存在だったけれども、まさか自分に矛先が向けられるものだとは微塵も想像しておらず、言葉よりも先に驚きが来てしまった。
 しかし、笑うこともせず本気で言っているらしい目の前の人物からの台詞を受け取れば、ちりちりと胸奥に潜む感情が芽を出してくる。
 目の前に居る相手しか知らない温度、知らない表情、知らない身体。
「…………おまえは、」
「うん?」
「…………、」
 あどけない健悟の表情を視界に入れたからこそ、言っちゃダメだ、そう思うけれども、頭から送られる信号に身を委ねてしまいたくなるほどに、理性のきかない状況に陥っているらしかった。


「……おまえのは、…………知ってるやつ、いんだよな?」
「、」






59/60ページ

[戻る]


第3回BLove小説漫画コンテスト開催中
無料HPエムペ!