「あー、ちょっとまって」
 ドアの音を聞いた健悟はぱっと蓮から離れてガシガシと入念に自分の鬘を直してから、今度は少しだけ乱れている蓮の前髪を揃えてあげた。
「だれ?」
「ん? ヘアメイク。」
 これで可愛くなった、と言わんばかりに蓮の髪を梳いてあげたのは、言うまでもない、一番可愛い状態の蓮を人様に見せたいという馬鹿げた恋人心からだった。
「れーん、撮影とインタビューがちょこっとだから……1時間くらいかな?」
 頭の中で計算しながら健悟が言った言葉にこくんと深く頷く蓮、分かった、と蓮が了承するよりもはやく―――。
「……ちょっとまっててね」
 そう言った健悟は、今にもドアを開けて来そうなヘアメイクが居るにもかかわらず、ちゅ、と蓮の唇を塞いできた。
「、ちょっ……!」
 ばか、と蓮が焦ると同時ににやりと笑んだ健悟は、我慢できないとばかりの悪戯顔でそのまま蓮の鼻頭にキスを落としてくる。
 抵抗しようとする蓮の口をもう一度塞げば、もごもごと表に出ようとしていたた言葉の数々すら健悟の口が吸い取ってしまう。喋れない蓮の咥内を知って箍が外れてしまったかのように舌を突き出してきた健悟に、蓮がその後頭部を拳で殴ってようやく、唇を尖らせながら蓮の顔を解放したようだった。
 ちぇー、と不満そうな顔をした健悟がドアへと近づいて、その顔を隠さぬままガチャリとそれを開く。
「はい、いーよ」
 溜息を吐きながら嫌な顔を隠さずに楽屋と廊下の境界線をなくすと、そこから飛び込んできたのは健悟と同じくらいに背の高い男性だった。
「あれっ?」
 きゅ、と帽子を直した後、腕まくりしながら入って来たその人物が真っ先に視界に入れたのは、撮影で使用する衣装の真横で少しだけ頬を赤くしている金髪の持ち主。見たことも無い顔にヘアメイク―――金本(カネモト)が首を傾げると、その姿を見た健悟は暗い表情から一転、突如明るさを取り戻しながら、蓮の肩に己の腕を廻していく。
「俺の〜」
 にへっと芸能人らしからぬ笑みを浮かべた健悟はすっかり体重を蓮へと預けていて、ゆるゆると頬の緩みをなくしていた。そんな健悟を見た蓮が想うことは二点のみ、俺の……なんだよ、という好奇心と、健悟がいつもの健悟だということ、スタジオという彼のテリトリーだというのに、芸能人の皮を被っていない彼を見ることになるとは、想像すらしていなかったということだ。
 ぱちくりと瞬きを繰り返す蓮の真横、健悟はあたかも普通のトーンで蓮の頭を自分の胸元へと抱き寄せて来るものだから、蓮が肩を強張らせてしまうことも無理はない。
「遊んでたついでに連れてきちゃった」
「……あー、例の?」
「!?」
 健悟の腕中に居る蓮をじろじろと不躾な瞳で見下ろす金本は何かを見定めているような視線に満ちていて、蓮は半ば怯えながら威嚇するように睨みつけることしかできなかった。
「へぇー…………」
「……なんスか、」
 上から下まで視線を動かしながら蓮を見定める金本が一人頷いている姿を見て、蓮は唇を尖らせて不満を顔に表したけれど、金本がぐいと自分の帽子を引っ張ったことによってその表情を見ることは阻まれてしまった。
「べっつにー」
 見えたのはにやにやと緩んだ口元のみ、真意の見えないそれに蓮がぐっと文句を飲みこむと、この話題はこれで終わりとでも言うように蓮に背を向けた金本が健悟を呼び付ける。
「あー、とりあえず今日もこっから何着か着て貰うけど……何着たいとかある?」
「ない、何でもいーよ」
「じゃあこれ、一発目はこれマストで」
 一転して仕事モード、とでも言うように衣装を漁りだした金本と健悟を蓮は蚊帳の外で眺めるけれど、そんな蓮に気付いた健悟が、突如、えい、と蓮の脇腹を抓った。
「って!」
「れぇーん、蓮は何着て欲しい?」
「はぁ?」
 どれが良い? と数ある衣装を蓮へと見せつけた健悟はとても楽しそうで、蓮は呆れつつも一歩ずつその場へと近づいていく。
「選んで選んでっ」
「…………えー……」
 一着一着ハンガーを移動させて見ていくけれど、普段全く自分が着ない系統なだけに何を基準に選んでいいのかも分からない。モノトーンで纏まったそれはどれも同じような洋服に見えるけれど、首周りの形や丈の長さなど些細な違いが際立っているのだろうと気付くまでに時間は掛からなかった。
 自分の好み、ではなく、目の前に居る芸能人を引き立たせる服はどれか、似合いそうな服はどれか……嗜好に合わぬ服とはいえ、そう考えながら見ていくと少しだけ分かりやすい気がした。
「えー、んー、……あー……これ好き、かも?」
「あー、これね」
 なんとなくだけど、と付け加えたのは普段着ない洋服の系統に一ミリの自信もないからに他ならない。にやりと口角を上げた健悟が「じゃあこれにしよーっ」と目の前でジャケットを脱ぎ始めるものだから、そんな簡単に決めて良いのかと詰め寄ることも無理はないことだった。軽く「いーのいーの」と答えながら腕をクロスしてTシャツを脱ぐ健悟に更なる疑念が付き纏ったけれど、その不安そうな蓮の表情を見た金本が衣装を触りながら片手間に喋り掛けてきた。
「君さぁ、今選んだやつ、あれいくらするか知ってる?」
「? えぇー……、2万とかっスか?」
 到底分からない値段を蓮が適当に当てに行くと、金本は一瞬だけ動作を止めてから、そんなことある筈ないだろとでも言うように、ふっと口角を上げた。
「―――桁が二個足りねぇよ、オコサマ」
「……!??」
 ふたけた、と言われた金額を頭で計算すれば決して手を出せないような額であり、高々洋服一枚にそんな値段がするのかと目を見開いてしまうことも無理はない、それを気負わずにあっさりと着こなす健悟を信じられないと言わんばかりの瞳で見つめるも、蓮が選んだデザイナーズシャツを着終えた本人からは「似合うー?」と平然とした声が落とされるのみだった。
「……うっそだろ!!!」
 健悟の着ている洋服を指差しながら言えば、金本からは、ホントだよ、とあっさり肯定を返される。
「そんな不安気な顔しなくてもさ、どれも一級品なんだから。どれ着ても良いモンなのよ、これ」
「…………」
 まるで子供を愛でるかのように健悟の服を直す金本はそれに似合うようなアウターやチェーン、ゴツめのアクセサリーを楽しそうに選んでいて、段々と装飾されていく健悟自身が本当に綺麗だと思う。
 素材が良いと小物も選びやすい、と言った金本、その素材が服だけではない、健悟自身も含まれているのだろうと蓮が気付けば、そんなにも高価な代物に普段から当たり前のように触れている健悟に尊敬の念しか抱けず、無駄に高い小物はこういう背景があったのだろうかとこっそり思った。とはいえ健悟との間に生じる明らかな金銭感覚の格差はこういうところから来ているのだろうか、と未だショックを隠せない蓮は、同ブランドの指輪を選んでいる金本にこっそりと尋ねる。
「あの、これって総額いくらくらいなんスか……」
 こそこそと金本に尋ねると、金本は手にした指輪を電飾に透かして、そのキラキラとした輝きを見せびらかしながら蓮に微笑んだ。
「―――世の中には知らない方が良いこともあんのよ、少年」
 光に反射する指輪はキラキラと輝きあっていて、数あるその中から三つだけ手にとった金本は、健悟の小指についているそれに合わせるようにバランス良く指輪を装着していく。
 健悟の指に輝くは三つの見知らぬ指輪と、たった一つの大切な証。それに触れることなくコーディネートしていく金本を見て、いつもこうなのだろうということは容易に想像ができた。それは健悟にとってのピンキーリングが、彼の周囲にとっても当然となっているようで、ガラにもなく蓮の心の中がぼんやりと温まっていく感覚があった。



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