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「れーんーちゃぁーん。なぁにボーっとしてんの〜?」
「、ってえっ!」
 間の抜けたよな独特のテンポは彼以外に聞き覚えは無い、頭に描いたとおりの人物に背中を力任せに叩かれ、蓮は漸く邪念から解放された。
 今は二時間目の休み時間、羽生はいま買って来たのかちゅうちゅうといちごみるくを吸いながら、覚醒したばかりの蓮の背中へと容赦無く圧し掛かる。
「手ぇばっか見てさぁ〜。なにかあんのー? んん?」
「重ぇ……」
 全体重で圧し掛かられれば同じ男といえども形無し、蓮は肩を揺らして羽生を無理矢理下ろさせた。
「どうやったら早くコントローラー動かせるかの研究?」
「ちっげぇわアホ」
 真顔でPS2のコントローラーを模倣する武人に、蓮は呆れて白い眼を送る。
「指の短さを嘆いてたんだろ。見てても変わんねぇぞ」
「うるせぇ死ね余計なお世話だ」
「あァ?」
「……すんません嘘ですすんません」
 突っ掛かってきた言葉が宗像だと分からずに暴言を吐いてしまい、胸倉を掴まれそうになったところで生死の危険を察知して平謝りした。
 そこからは何故蓮が掌を見ていたかというクダラナイ題材での大喜利大会が始まってしまい、その余りの笑いの沸点の低さに蓮は暫く頭を抱えていた。
「ばかやろうども……」
 呟き、再び掌へと視線を落とす。
 頭に浮かぶのは背の高い一人の男だ。明確な目的があったのかは分からないが、昨日ずっと健悟に握られていた自分の手。宗像の言うように指も短いし、女のように細いわけでもない、これといって特徴だってない普通の手を何故健悟はずっと握っていたのだろうか。
 同じ男の手だというのにあんなにも大きさが違った、健悟の手。自分とは長さも細さも違いゴツゴツとしたそれは、しっとりして触り心地も良く、芸能人は指でさえ綺麗なのかと感心したほどだった。指に触れる幾つもの銀の感触は初めての物で、相手が女子ではないという余計な事を改めて認識させてくれた。
 蓮の手でさえ包み込まれてしまったのだから、女の子の華奢な手なんてものは姿すら見えなくなってしまうだろう。
 健悟と共演した女優さんと同じ気持ちを、今自分は味わっているのかもしれない。
 部屋に帰ってからあの後の台本をこっそり読んでみたものの、女優を連れて逃亡するシーンは疎か二人で散歩に行く場面だって存在しなかった。完全なる健悟のアドリブ、きっと只の気まぐれだろうそれに今も意識を持って行かれているのは、こういうことに対する経験値が低い所為なのだろうか。
 昨日の夜、綺麗に並べられた布団で二人は初めて別の寝床で就寝した。
 無理矢理連れ出され、終始手を握られていたからこそ、健悟がなにか揶揄するために仕掛けてくるのかと蓮は常に気を張っていたものの、結局、健悟はずっと背中を向けて眠っており、そのあっさりとした事実には幾分か拍子抜けしてしまったほどだった。
 実際の所は蓮が寝れるように仕向ける為の健悟の狸寝入りであったのだが、寝顔を見つめられていたり、頬を突かれていたり、などという事実を蓮は知らない方が賢明なのかもしれない。
 蓮の方が早くに出発した朝にも健悟はなにも変わらずにいってらっしゃいとだけ告げて見送った。そこで漸く、何もないそれが当たり前だということに気付いたのだった。何かあるほうがおかしいのだ、と。余りにも警戒していた自分を思い出し、さすがに気の張りすぎだっただろうと思う。
 そうして気付けば、視線は後悔と共に掌を追っていて、自分はおろか何も知らぬ武人からも溜息をプレゼントされてしまった。
 呆れた雰囲気に対し、誤魔化すように指をしまうと、その瞬間、尻ポケットに入れていた携帯がぶるぶると震えた。
「……利佳?」
「へ?」
「最近よくメール来るなぁって。見送りもしてたし、なんでそんな仲良し週間? 珍しいよね」
「あー、やー……ははは」
 そういえば先日の朝に見送りをした健悟を、武人は利佳だと勘違いしているのだ、と蓮は思い出した。
 訝しげな視線から逃げるように携帯へと目を落とすと、羽生がちがうちがうと独り騒ぎ始める。
「ちっがぁーうバカタケ、ずばり女子!」
「女か」
「利佳も女でしょ?」
「ちげぇ、ありゃ怪物」
「宇宙外兵器ぃ〜」
「歩く猛獣!」
 調子に乗って言いたい放題、ぶはははは! と豪快に笑った三人を見て、先程の大喜利となんら変わらぬテンションに蓮は呆れながら携帯に視線を戻した。
「おまえらそれを俺が利佳に伝えたら明日はねぇかんな」
「……!」
 さらりと言った一言で、一気に氷点下へと下がった空気を払拭するように、三人の視線を無視してメールの内容を読む。
 差出名は此処数日ですっかり受信する事が慣れてしまったハートの絵文字だった。撮影が休憩中ということで、「構って」というオーラが携帯から滲み出て入るようなそれは、メールにするまでもないクダラナイ内容。しかしそれも、丁度健悟のことを考えていただけに、どんだけ俺の日常に入り込めば気が済むんだ、と舌打ちしてやりたくなってしまう。
 大喜利とはまた違うクダラナイ内容でも、此方には反応してしまう自分が悔しかった。
 謝らないよ、と告げられた昨日、奪われたセカンドキス。
 馬鹿みたいに真面目な顔で告げられた愛の告白は、きっと近い内に映画館で全国に流れることだろう。
 画面越しでも女子を魅了している健悟なのだから、きっと自分が女だったならば、昨日のような状況なんてものには一発で落とされていたことだろう。信じられない位の甘美な声音を受け、一々本気にされれば面倒だから、俺に練習を頼んだのかもしれない。
 アイツはきっと、演技練習だから謝らなかったんだろ。
 だからそう言ったんだろ、謝らないって。
 ――安心しろよ、誤解なんかしないから。
「……あーもう、ちくしょう」
 呟く声は教室の騒音にあっさりと掻き消された。
 どんだけおまえのこと考えさせれば気が済むんだ、この馬鹿野郎。
 怒りと共に鼻を鳴らし、返信することなく携帯を尻ポケットに突っ込めば、その後家に帰るまで携帯が震えることはなかった。



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あきゅろす。
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