10


 祖父母、父母、姉、蓮、健悟。
 家族が全員揃った中で利佳の盛大な笑いが家に響いたのは、その日の夕食のことだった。
「ちょ、なに、ていうことはやっぱりあんた本気で知らなかったの?」
「……しらねーよ、テレビみねーじゃんウチ」
 睦が作ったポテトサラダを尖らせた唇に運ぶ蓮はすっかり拗ねていて、未だ可笑しそうに笑い続けている利佳をじとっとした眼で睨みつけていた。

 事の発端は、何時もよりも遅く帰宅した蓮のお祖母ちゃん。訳を聞けば、高校で行われていた撮影を見に行っていたからだという。勿論人は居なかったのだが、残されたスタッフや機材の多さに酷く感心していたらしい。
 そして、その凄さについて得意げに語ったのち、「健悟くんはすごいねぇ」と当たり前のようにさらりと笑顔で言ったのだ。お祖母ちゃんでさえも“真嶋健悟”を知っていたという事実に蓮が驚けば、利佳がその表情を見逃すはずも無く大爆笑を始めた。
 高校生からお祖母ちゃんまで誰もが知っている有名人を、高校生である蓮が“気付かなかった”のではなく、“知らなかった”ことについて、アリエナイ、と。
「あんた本当に知らなかったの? 昨日とか知ってるのに気ぃつかって知らないフリしてるんだと思ってたんだけど」
「……だって利佳たち全然そんな雰囲気じゃなかったじゃん」
「は? 健悟でしょ? なんであたしがこいつにキャーキャー言わなきゃなんないのよ、馬鹿馬鹿しい」
「……」
 顔を歪め如何にもキモチワルイと健悟を睨み付ける利佳を見て、蓮は心から、今朝涙を飲んでいた女の子に謝って欲しいと思った。
 しかし、当然利佳相手に言えるはずも無く無言で目を背けるしかない。すると、健悟がハイハイと云う表情で利佳の話を聞き流しているのが見えて、やっぱり健悟と利佳の間には何かあったのだろうかと思わざるを得ない。もし二人が友達なら、馬鹿馬鹿しいってなんだよー、と笑って答えそうなものだが、健悟はなんというか、まるで、利佳に何か逆らえない弱みを握られているような――……と、其処まで蓮の思考が働いたところで、漸く笑いが止んだらしい利佳から蓮にお呼びが掛かった。
「あーもーほんとアホか。あんたの好きなブランド……なんだっけ、いつも着てるヤツ。あれ健悟が専属やってんじゃなかった、たしか」
「は?」
「えーと……なんかどっかにあった気がしたけど……あ、これ、ほら」
 畳の上に散らかしたままだった蓮の雑誌を漁った利佳が、その本をぱらぱらと捲り、とある見開きページを蓮に見せてくる。
「?」
 見せられたページは、蓮も武人も好きでよく通販しているブランドだっただけに、勿論何度も見ていたカットだった。見慣れた文字に反応して蓮が利佳から雑誌を奪い取れば、ブランドの文字を掲げた白い背景の下、全身を漆黒で纏めている一人のモデルが立っている。
 この画像を初めて見たのは武人と雑誌を見ていたときで、同じ男だというのに二人で綺麗だと見惚れた記憶もある。それほど、何度も見た今でさえ新鮮に“格好良い”と褒めてしまうような、文句のつけようの無いページだった。
 蓮はそんな事を思い出しながら、利佳が言いたそうにしている何かを探すように、もう一度じっくりとそのページを見てみた。
 黒いスーツに、黒い開襟シャツ。黒いピアス、ハット、髪の毛。全てが黒で埋め尽くされており、白、黒、肌色の3色しかない写真だというのにこの迫力は何処から来るんだ、と、見ている今でさえ息を飲んでしまう。
 そして、引き込まれているうちにだんだんと頭に浮かんでくる、一人の男。
 見覚えのある長身痩躯と黒い髪の毛が、昼間遠くからぼんやりとしか見えなかった“真嶋健悟”の姿に、あまりにも酷似しすぎていた。
「……うっ、…………嘘だ。」
 蓮はそれに気付いた途端、思わず本から目を離し、健悟を見てしまう。
 しかし、すぐ隣に居る健悟の髪の毛は、シルバーアッシュに黒のメッシュが入っており漆黒の髪とは大違いだった。色気のあるシックな雰囲気が伝わる雑誌とは大違いで、今の健悟では、一見しただけで“遊んでそう”という印象の方が先に来てしまう。
 髪の毛。
 たったそれだけだと云うのに、本から伝わる印象ががらりと180度違っているために、受け入れることは難しかった。
「そう言われてもねぇー」
「だっ……て……こんな、ちょ、スウェットの気ぃ抜けた奴がコレとか……」
 利佳が呆れたように返すが、蓮の耳には全く入っておらず、雑誌と当人を比べ凝視し続けている。
 雑誌の中でクールに決めているモデルが格好良いのは言うまでも無いが、今目の前に居る健悟はシャニットのハーフパンツにラフなTシャツ姿。如何見比べても同一人物には見えなかった。
 シャニットのスウェットに限っては宗像が自分用にと置いて行ったものだが、蓮にはあまりにも大きすぎるそれを健悟は見事なバランスで着こなしていた。だからといって、雑誌に居る“真嶋健悟”と、隣で味噌汁を啜る“健悟”を見比べても、同一人物だということは信じられない。……ではなく、信じたくなかったのだ。
「……嘘だ嘘だ、こんな頬っぺたに御飯粒付けてるなんて誰も思わねーよっ、詐欺だっ!」
「え? ついてる? とってとって」
 蓮が健悟を指差せば、健悟は笑顔のまま蓮の元へと移動したのだが、その後頭部は容赦なく利佳に叩かれてしまった。
「……っあー……いてーっすねーさん……」
「姉さん?」
「利佳……さん。」
「ん」
 調子に乗って牽制されたと悟った健悟は痛む頭を支えながらもう一度箸を持つ。
しかし、雑誌を食い入るように見ている蓮からの痛い程の視線は、変わらないままだった。
「……ちょっと、あの。いてーんですけど視線」
「いやだっておまえ……ガチでやればこんなに格好良かったんだな……つかスゲェ……」
 目と同時に、首を何度も動かして雑誌と本人をみる蓮に、健悟はうっかり笑ってしまった。
 まるで子供のような動作で、あからさまな好奇心をぶつけられた事が嬉しくて、心地良かったのかもしれない。
「なにそれ、へこむとこなのソコ?」
「やー、知らなくてごめんっていうさ」
「いやいーってだから」
「あ、いやでも大丈夫! 俺以外の奴はなんかスゲェスゲェ言ってっから。元気出せよ!」
「……」
「え? なに?」
「……や、そうじゃなくてね、おまえ……」
 一瞬でも喜んだ自分が情けない、と健悟は思った。蓮からのあからさまな好奇心には微塵の下心も加わっておらず、興味が沸いてもらえたと思ったそれでさえ、ただ驚かれただけだったということに気付いてしまったからだ。
 持続する興味とは全く違った、一瞬だけの驚きだったことを。
 額に指を当て崩れ落ちそうな自分を支えた健悟に向けてか、利佳からは鼻で笑われたような声が聞こえる。
 健悟にとって、誰もが知っているよりも、一人に知って欲しいと思っていた数年間があっさりと崩れ去っていくことに、最早笑うしかなかった。
「あ? 良いじゃん、モテモテじゃん、現地妻作り放題。」
 ぐっ、と親指を立ててくる蓮は、如何やら本気でそう思っているらしく、健悟は堪え切れず頭を突っ伏してしまう。
 しかし確かに、健全な男子学生ならそう思っていても仕方が無いと分かっているからこそ、何も言い返すことは出来なかった。
 こっちがあからさまにサインを出してみても全く気付かない蓮に、恋愛対象どころか友達以下、只の訪問者として見られている気がしてならない。
 だからこそ。
「……頭痛くなってきた……」
「?」
 ……先は長い。
 そう、溜息と共に呟けば、其れが聞えたらしい利佳がまた笑い出し、蓮は一向に訳が分からないといった表情をしている。
 利佳は本当に自分の困る顔が好きらしい、と実感したところで次に聞こえたのは、睦の声。
「なんか蓮は利佳よりも健悟のが兄弟みたいねー」
「えー、にーちゃんみてーに勉強教えて貰えねぇじゃん、やだよ」
「……おいそれ遠回しに馬鹿っつってんだろオマエ」
「あ、ばれた?」
「こらー」
 ぺし、と蓮の頭を叩けば、当たり前に返って来た笑顔。イテェよーと笑う蓮は、確かに一昨日までの自分の中には存在していないものだった。
 それを見て漸く、やっと手に入れた距離を、馬鹿な過ちで無くすような失敗だけはしないと胸に決めた昨夜を思い出し、健悟はゆっくりと深呼吸をした。
 焦る必要は無く、やっと迎えた今だからこそ、頑張るのは自分しか居ないのだ、と。
 そして、蓮が健悟の想いを知らないのと同じく、健悟にとっても蓮の想いが分かるはずも無い。
 “東京人”にも関わらず、蓮にとっては良い人に分類された健悟。本当に兄貴だったら面白かったのに、と思う位には客人からの多大な進歩を遂げていた事を、健悟は知る由も無かった。



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