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「蓮ー、起きて……ナイのね」
 風呂から上がった健悟が蓮の部屋に入れば、真っ先に金髪が伏せている事が分かって思わず口を押さえた。
 静かな寝息と蝉の声。健悟の為を思って付けっぱなしになっていた電気に笑みが漏れるのは当然のことで、綺麗に片付いている上段のベッドは申し訳ないと思いながらも見ないフリをさせてもらうことにした。体重差と身長差を考えても、自分と蓮では当然蓮が上段なのではと思わずにはいられないが、普段から下段を使っているからそのまま寝てしまったのだろうか。
 狭く暗がりの下段を覗き込めば、タオルケットを腹だけに掛け、壁際で丸くなりながら寝ている蓮。普段は誰よりも男らしいというのに、寝ている今が余りにも可愛らしく、思わず健悟がその髪に手を伸ばすと――。
「襲わないでよね、ウチの大事な末っ子」
「ッ!」
 予想外の位置、耳元で声がして、思わず声を上げそうになったのを喉元で押さえ込んだ。
 此処で蓮を起こせば間違いなく別々のベッドになる展開が見えており、健悟は、出そうになった驚嘆の言葉を必死に飲み込んだ。
 そして、ゆっくりと後ろを振り向けば。
「りっ、利佳かよ……びびったぁ……」
 昨日と同じ赤い眼鏡を掛けた利佳がいて、睦や忠孝ではなかったことに一先ず安心する。
「びびったじゃないっての。あんた上じゃないの?」
 蓮の寝息が聞こえるからこそ、こそこそと話を進める利佳が、ベッドの上段をトントン、と叩いた。
 明らかに下段に忍び込もうとしている健悟が見えて部屋に入ってきた利佳に、健悟は目を逸らしながら上段に手を伸ばす。力を込めて強めに押せば、ギ、ギ、と怪しげな音を立てる上段のベッド。
「……俺が乗ったら壊れんじゃねぇの? べつになんでもねーから寝ろよ」
「馬鹿か。いまにも襲われそうな弟を護らない姉が何処にいる」
「なにそのお前らしからぬ発言。なんの裏があって言ってんの?」
「ああ?」
「……」
 誰に向かって言ってんの。とは、言われなくても雰囲気で伝わり、健悟は思わず目線を逸らせてしまった。
 怖いと云うわけではなく、今利佳を怒らせたら如何なるのか予想もつかないからだ。部屋移動か、強制帰宅か、無期限立入禁止か。些細な事でと思うかも知れないが、この些細事項が繰り返されれば重大事項になるのが世の中の常であり。家の者に命じられれば客人は黙って従うというルールもまた、世の中の常だ。
 護るとか絶対嘘だろ、と心に秘めつつ目を逸らした先には、何も知らずに深い眠りに付いている蓮。
 幸せそうに眠りっているその姿を見れば、考えるよりも先に、思わず溜息が出てしまった。
「しょうがなくない? 覚えてないに決まってるじゃん、小学生のときのことなんて。」
「そうだけどさー……まぁ、ちょっとくらい期待すんじゃん? 普通。」
「……」
 健悟が過去を思い出しながら下段のベッドに座り込んだが、今度は利佳は怒らない。
 その代わりに、ベッドに近付いたと思えば、その瞬間に健悟の頭をバチンと叩きつけた。
「っつ……!!」
「大丈夫だって。」
 大きい声を出してはいけないと、頭の天辺に走った痛みを堪えながら健悟が睨めば、利佳は腕を組みながら堂々と頷いた。
「……なにが…!」
「だから、あたしは吃驚したから。友達の家であんたのポスター見てコーヒー吹いたっての。あ、なんなら弁償してくれていーのよ、あのときのワンピース2万円」
 ほれ、と手を差し出す利佳に健悟が気まずそうに目を背ければ、クスクスと笑われる。
「……まだ言うのそのネタ」
「そりゃね。あの糞餓鬼本気だったのかーって感心したっていうか。」
「……(糞餓鬼っつってもオメーの方が年下だけどな……!)」
 理不尽な利佳の言い分を出来るだけ笑顔で聞き流すように努めたが、目を背けながら拳を握ってしまうのは仕方の無いことだと自分を落ち着かせる。
 居間に飾ってあった成人式の写真の可愛らしさは何処に置いてきた、と健悟が考えた、そのとき。
「……まぁ」
「?」
 健悟を見下ろした利佳が何かを思い出すように溜息を吐けば、部屋の空気が重々しいものへと一変した。
 それに気付いた健吾が利佳に視線を戻すと、そこに在ったのは、自分を一直線に見つめている強い瞳。
「面白いから見守る側についちゃう位には、ね。……結構吃驚してんのよ、こっちも」
「……」
 髪を掻き上げながら、少しの本音を見せた利佳の視線は、まるで健悟の力量を試しているようなもので、昨日貰ったそれと一緒だとわかる。
 この家に辿り着いたからといっても、それはまだスタートラインに立っただけ。未だ認められているわけではない事実に、当然の事ながら、コトが簡単では無いことを改めて考えさせられた。
 だからこそ、利佳を強く見据えた後、健悟は迷いも無く言い切る。
「本気に決まってんだろ」
 言うまでもないと、堂々と。
 確かな自信と共に言い切るが、利佳の視線は変わらず探るようなものであることに変わりはない。
「人生賭けてんだよ、こっちは」
 だから、左手の指輪を利佳に翳しながら、そう、強く言い切った。
 健悟の左手にしっかりと嵌まっているシルバーリング。断固として揺るがない健悟の本気の瞳を見て漸く、利佳は愉しそうに微笑んだ。
「まっ、そーじゃなきゃ許さないけど」
 そして、あっけらかんと笑い飛ばした利佳の様子に、再び空気が戻ったことを悟った健悟は安堵しながらもハイハイと頷いた。
 何食わぬ顔で笑っている利佳に、この家にきた時からずっと言ってやりたかった一言をぶつけてやる。
「どーせ蓮が俺のこと知らなかったのもオメーのせーなんだろ」
「あれっ、バレてた?」
「バレバレ。何が大丈夫だっつの。おまえはほんとにどんだけ俺がキライで……ってちげーか。どんだけ蓮のこと好きなんだよ」
「え? 合ってるわよ? あんたのことがキライで」
「……」
 にっこりと笑う利佳は本気の目をしていて、心当たりなど多数あるからこそ負い目を感じて、惚けるように首を傾げた。
 蓮がテレビを見れる環境も、雑誌を見れる環境も、少ないながらもゼロではない。
 利佳が確実に味方をしてくれていれば、蓮に“真嶋健悟”を印象付けることは容易に出来たに決まっている。だが、それをせずに、蓮が知らないままだったということは、利佳がその情報に触れなかったか、わざと、蓮にも触れさせなかったのか。
 0か100かの性格をしている利佳だからこそ、健悟は後者だということ――蓮がその情報に触れることを必要以上に邪魔していたのだろうということは、簡単に見抜くことが出来た。
 加えて、久しぶりに合った利佳の全く悪びれていない様子に、数年前の自分は利佳にどれほどのダメージを与えたのかを今更ながらに痛感し、あの頃の自分を呪うしかない。
 もう少し方法があったのかもしれないな、と健悟が溜息を吐いた、そのとき。目の前にいる利佳の小さな唇が、「あ」と小さな声を出して動いた。
「言い忘れてた。勿論間違いが起きたら即行旅館に強制送還だかんね。あそこ“料理が美味しい”って有名なんだから」
「……」
 思い出しながら付け加えられた言葉に、健悟は再び気まずそうに目を逸らす。やべ、と小さく呟いた言葉も狭い部屋では充分相手に伝わってしまい、馬っ鹿じゃないの、と呆れたように一笑されてしまった。
「あのねぇ、地元の旅館だよ? 気付いてないとでも思ってたわけ?」
「あー……、や、」
「蓮はあんたがウチの御飯食べに来てるだけだと思ってるみたいだしさー。やだやだ、騙して嘘つく大人ってサイテー」
「……」
 おめーがサイテーなんか言える立場なんかよ……! そんな言葉が拳の震えと共に喉元まで出て来たが、そこは気力で押さえ込む。
 にやにやと笑いながらからかうように責めて来る利佳。騙して嘘をついた、という一言に、“なんでいるの”と蓮に問われた昼間を思い出す。会ったばかりの人間が蓮に会いたくて来たなどと言えば、普通は一線引くだろうと思い、はぐらかして答えた昼間。睦の料理を食べに来ていると誤解してくれれば口実ができて訪れやすくなると思ってしまったのが、狡い感情だということは承知していた。
 それでも、騙しているつもりは無かったんだけど、と溜息を吐けば、それを見た利佳が満足そうに笑うから、更に意気消沈してしまう。
「ここ、壁はそんなに薄くないけど夜は静かなの。気ぃ付けなさいね」
「? え、……おまえ――」
 しかし、そんな健悟を眼にした利佳はそう一言呟いて、電気を消してしまった。健悟が追求しようとすると、既に足音がだんだん遠ざかっていく。
「じゃあ、オヤスミ」
「……オヤスミ」
 そして、ゆっくりとドアを閉めて、利佳は部屋から出て行った。
 残されたのは勿論、壁際で熟睡している蓮と、下段のベッドに座っている健悟。
 雲に隠れているのか、月明かりは無かった。暗い部屋の中、もう動かない扉のある場所を見つめながら、健悟は呟く。
「……かなわねーわ」
 忠告しても結局は許してくれた利佳に、ふっと笑みが漏れてしまう。
 階段の梯子も見えない今、健悟が下段に座ったままだというのに出て行った利佳が言いたいことは、結局の所、此処で寝る事を許してくれたということ。
「ったく、どっちがラスボスだかわかんねー……。」
 なんだかんだあいつなりに応援してくれてんのかね、と左手にある指輪を見ながら呟けば、嬉しいのは勿論のことで思わず笑顔になってしまう。
 姉弟揃って面倒臭そうだと分かりつつも、仕方が無い。
 長期戦になることは元より覚悟の上だ。
「……失礼しまーす。」
 オヤスミ、と小さく呟くも、昨日同様返事は無かった。
 何時になれば返事が貰える日が来るのだろうと溜息を吐きながらも、目の前の蓮の寝顔を見つめていれば、そんなことがどうでもよくなっていく自分が居ることも確かだ。
 今日近くにあった笑顔が明日も変わらない事を祈って、健悟は、その金色の髪を優しく梳き続けた。



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