選択を間違えたと思ったのは、二回。店内の雑誌コーナーに行って彼が表紙を飾る雑誌を見つけた時と、一頻り漫画を読んで落ち着いた後、ドリンクコーナーに移動したときだった。
 いつも飲んでいるドリンクのコーナーには何の因果か彼の大きな写真が貼ってあり、パッケージには彼のシールというオマケすらついていた。あてつけのように涼しい表情をしている彼には貶すとことの一つも見付からず、陳腐な表現ながらも相変わらず格好良いとしかいえない容貌をしていた。こんな田舎だというのに他のドリンクよりも在庫数が減少していることが彼の人気を裏付ける何よりもの証拠である。
 不躾だと分かりつつも蓮は冷蔵庫の扉を盛大に閉めて、あえて隣の扉で飲みたくもないお茶を取り出した。明日が映画の上映というだけで見るか否か迷っている部分すらあるというのに、いきなり続々と降って来る健悟の翳に気持ちが押し潰されてしまいそうだった。
 アンテナを取り付けたテレビにはきっといつも健悟が映っているし、コンビニに行けば雑誌の表紙にだって、ドリンクの広告にだってなっている。今までは気にすらしていなかった部分にどんどん過敏になっていき、同時に苛々する心にこれがストレスなのかと人生で初めて嫌気が差した。
 だからこそさっさとコンビニから出て別な場所に移動しようと、レジに向けて足を進める。
 しかしその足は、一歩も進むことなくぴたりと静止するに留まってしまった。
「――あ、この曲」
 耳敏く反応する武人に、返す言葉すらない。
「これ、蓮ちゃんの携帯から流れてたやつじゃない? 羽生の家で」
「―――」
 どくどくどくどく、どんどん速くなってどんどん煩くなる鼓動に、頭がついていかなくなりそうだった。
「俺知らなかったもん、“真嶋健悟”知らないし携帯もろくに使えないあんたが、なんでこの曲持ってるのかなって思った、あんとき」
 店内に流れる曲を聞かないように武人の言葉に耳を傾ける。
 誰も知らないはずだった曲。それが羽生の家で流れた時、確かにうるさく言及されていた。
 田舎のコンビニですら流れている曲、きっと今となっては日本中が知ってしまうだろうこの曲に、またひとつ、健悟との繋がりが薄れた気がした。
 秘密、と囁いた彼の甘い言葉が、ふわりと宙に消えて行く気がした。
「彼女が登録したのかなって思ったけどそんな気配もないし……――って、ちょっと」
「え、」
 ぐいっと頭を乱暴に上げさせられて、武人と眼があった。けれども、なんで武人が歪んで見えるのか。疑問に感じたのは一瞬で、ぼろりと涙が頬に落ちれば今度は鮮明な武人の顔が現れる。
 眼を開く武人を見て、自分が泣いていることに気付き、慌てて武人の手を振り払う。
「ち、ちがう!」
 俯いてごしごしと腕で目元を擦れば擦るほど、腕の表面だけがどんどんと濡れていく。
「これは……ちがう」
 何も考えたくないと思えば思うほど、頭の中に健悟の声が入ってくる。綺麗な歌声が店頭を支配して、この声が日本中に拡散することが嫌だと、仕様のないことを思った。
「なにが?」
「なにがって……わかんねぇけど……なにこれ、」
 誤魔化すように眼を擦るけれど、武人は誤魔化されないとでも言いたげに此方を一直線に見つめていた。
 その強い視線に後ずさりしそうになったけれど、その視線以上にこの曲の方が心を抉るには充分過ぎた。
 意識がどんどん傾いていく。聞きたくもないのに、勝手に身体を侵略してくる。
 俺のことは何一つ伝えられないのに、健悟は分かってくれないのに、健悟のことだけが一方的に分かる、ずるい職業。それがあいつの職業だ。忘れようとしているのに、忘れさせない、ずるく、卑怯な職業。
 あてつけのように自分の報告もしてやりたいけれど、思っただけで届くのならば誰もが芸能人と仲良くなれるのだろう。黒と白の携帯の、今はどちらに自分が登録されているんだろうと、くだらない疑念にさえ駆られてしまう。
 今までは一切興味すらなかったことが一気に自分の中に入ってきて、抜けていくことを知らない。自分の中に押し固まって、健悟を彩る全てのものが身体の中に吸収されていく。
 どんどんどんどん増えていくそれに、容量オーバーだとパンクする日はいつ訪れるんだろう。
 破裂して、消えてなくなる日はいつ訪れるんだろう。

 どうやったら、健悟から解放されるんだろう。

「……ずっ、」
 嗚咽と一緒に鼻水を飲み込めば、立ち読みしている人が怪訝そうな表情で此方を覗いていた。そりゃそうだ、こんな店のど真ん中で高校生にもなって泣いてるやつ、見た事ねぇよ。
「かえろ」
 二本分のペットボトル、そしてノートを手に取って、武人は一人でレジへと進んだ。俯く蓮に気付きながらも見ない振りをして、なにも見えていない蓮を誘導するかのように、普段のペースで家へと戻っていった。



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