武人が蓮の部屋に入って早々踏み入った場所は狭いベッドで、遠慮も無しに寝転んだ。
 人一人分座れるスペースすらないそれを咎めることはせず、蓮は大人しく床に敷いたクッションの上に胡座を掻く。
「優しい、俺」
「……どーも」
 武人が買ってきたお茶のペットボトルを蓮の前へと翳すと、御礼と共に蓮は手を伸ばした。けれども武人はその手にすんなりとは掴ませず、一瞬手前に引いてから、故意に蓮と眼を合わせる。
「?」
「――……気付くよ」
 真面目な表情で武人が言えば、蓮の肩がびくりと大袈裟に震えた。それを確認してからはすんなりとお茶を預けて、ぼすんと枕に頭を預ける。
「部屋にも入れない、いきなり香水使い出す、初めて指輪付けちゃー変な質問してくるし。今だってコントローラー綺麗にしまってあるしさ、こーんなきれいな部屋可笑しいじゃん、蓮ちゃんらしくない。あんた友達居ないのに誰か来たなんて聞いてないよ」
「うるせぇ」
 友達が居ないといった部分に過剰に反応すれば、緩い笑みが返って来る。
「それに、いつからって考えれば簡単だったんだ。蓮ちゃんが大人しくなってったの、あの撮影が始まってからだし」
「…………」
「誰かの目星は付かなかったし、まさかとは思ったけど……――真嶋健悟オススメ、だっけ?」
 武人の視線は蓮から外れて、どこか遠い後ろを見ているようだった。
「!」
 気付いた蓮が勢い良く後ろを振り向けば、学習机の上に健悟の置いて行った香水が未だに置いてある。彼を消したいとは思うけれどそれと同じ位彼が居たという痕跡を弄りたくなくて、そのままにしておいたものだ。
 急いで片付けようと立ち上がろうとすると、腕を握られて再度座り直すよう促された。
「……引ーっ掛かった、やっぱりか」
「なっ……!」
「小悪魔っつったときからオカシーと思ったんだよ、あんなに笑うの」
「、」
 此方が怯めばふっと口角を上げられて、ベッドの上から見下ろされるという体勢のせいか文字通り負けた気になってしまう。
「いま、俺がカマかけたのも知らないでしょ」
「……」
「ただ居ただけなら、そんなに動揺しないよね? なんで泣いたのかなー、蓮ちゃん」
「…………」
 揶揄するように言われて眼を背ければ、武人は深く追及はせずに再び枕に寝転がった。頬しか見えないからこそなにを考えているのかも分からず、何を悟られたのかも分からない。
 健悟が此処に居ただけならまだしもこの余計な感傷まで悟られた気がして、再び鼓動が煩くなっていった。
 そんなことを思っていたら眼が合って、再び俯いてしまう。すると、次に落とされた言葉は溜息混じりのものだった。
「さっきも言ったじゃん。――気付くよ」
 ドクン。今度は心臓だけでなく肩までも盛大に跳ね、背筋が震えた。
 意味深なニュアンスは此処に健悟が居たことだけではない、その先にあったものまで悟られている気がして、蓮はこっそりと上を向く。
「…………」
「何がって? 聞きたい? 思い当たる節はいっくらでもあるけど」
 けれども見えた表情は馬鹿にするでも軽蔑するでもなく、まるでクイズに正解した中学生のように得意気な顔で見つめられるのみで、此方が呆気にとられてしまうことも無理のないことだった。
 気付くって、何に気付いているんだろう、何に、どこまで気付いているんだろう。
 男が男を好きになるなんて、望みの欠片もない相手を好きになるなんて、傍から見れば滑稽でしかない現状なのに。なんで武人は笑っていられるんだろう。
「ま、さすがにビビるねー、ここにあんな人居たとかすげーわ」
 そっちかよ、と突っ込む事さえ忘れて、余裕溢れる彼を見る。けれどもいつもよりも少しだけ綺麗な部屋をただ眺めているだけで、侮蔑や嘲笑の類いを含んだものではなかった。
「……ぜんぜん、スゴくねぇよ」
 ぽつりと呟いた言葉に返されたのは優しい頷きで、まるでこの罪悪を肯定されているような気分にすらなってしまう。
 そんなこと、絶対にないのに。
「だって、俺の前では、ぜんぜん、……」
 健悟は、凄い人なんかじゃなかった。
 普通の気の良い兄貴みたいな存在で、ヘタレで馬鹿で、甘やかしたがりの子供な大人で、ただの一人の男だった。

 ――……今となっては、どこからどこまでが真実だったのかすら、分からないけれど。

「っ、」
 最後の言葉をのみ込んでぐっと下唇を噛む。自分の言葉にダメージを受けることも慣れっこで、終わりのない思考回路は無限ループを決めているようだった。
 しかし今日はその先に続くことなく制止される。
「いてっ」
 軽く握った拳で、ぽかっと頭を叩かれたからだ。
「言ってみなよ、最後まで。一人で悶々してっから悪いんだって」
「……別に良い、かっこわりぃ」
「黙って萎れてく方がダセェと思うけど。ていうか隠そうとするってことはなんかあんだね」
「、ねぇよ!」
「わっかりやす」
「……っ、」
 ぷっと笑った表情は今度こそ揶揄が含まれていた。けれども決して嫌な感じではないことに気付いて、尋問される気まずさに任せて眼を逸らしてしまった。
「れんちゃんさぁ、全然いい子なんかじゃないのになんでこういう時だけいい子ぶろうとすんのよ?」
「……どういう意味だよ」
「穢いことなんて嫌いですー狡いことなんて考えてませんーしませんーって顔してさ、そんな本能に逆らって我慢ばっかしてたらあんたが壊れちゃうよ?」
 聞いてるー? と緩い口調で尋ねながら頭に手を置かれて、左手で振り払おうとした。
 けれどもその手が一向に離れず、不審に思いながらも両手を使ってでも離そうと格闘する。蓮にとっての目標遂行は武人の手を頭から逃がすことだったけれど、彼にとっては違ったらしい。
「――やっぱりだ」
 そう言って、未だ指輪の光る右手を引っ張られてしまった。
 右手の小指をまじまじと見る武人が何かを知っているような気がして、途端に背筋が震えてくる。
 部屋を走る無言に次に何を言われるのだろうと怯えていると、指輪から目を離した武人と目が合って、その後に小さく口が開かれた。
「なんで誰も気付かないんだろうね、――……お揃いなのに」
「、」
 聞こえた言葉に反応したのは身体が先で、握られた右手が大きく揺れると同時に目を見開いた。
 何故武人が、知っているんだろう。
「気付いたよ、俺は。この前の挨拶会行って確信した。あのひとも付けてた、これ」
「……っ、」

 ――健悟が、まだ、これをつけていた。

 その事実を知った途端に嬉しさだけが募って、右手を引くことも止めて反芻してしまった。
 同時に、あの日自分たちの輪から外れた武人が一人で挨拶会に出た理由も分かった気がして、いつから知っていたんだろうと、心臓が脳内にあるように騒がしくなった。血が冷えていく感覚を知って、背筋が震え始める。
「、」
「……そんな泣かないでよ。苛めに来たんじゃないんだから」
 ごめんごめんと謝られてもコンビニの時のように涙が止まりそうにない。最近はいつもこうだ、頭では思っていなくても勝手に感情が出てきて暴走する。その引き金が何かなんて自分に問うまでもなく分かっているからこそ、この気持ち同様止める方法が見付からなかった。



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