生け贄は断罪を求めて
何度も説得をされたのだ。
頻繁にとは言わないから、せめて数回、一回でも構わないから、と。
何度も頭を下げ、時にはどうして分からないのだと怒鳴られたりもした。
素直になれと。
意地を張るなと。
それがザンザス自身の素直な気持ちなのに、理解していないのはどっちだと内心スクアーロは毒を吐く。
声を出すことは禁じられている。
他ならぬ、主であるザンザスに。
声を出すな、睨むな、殺気を出すな。
ただ、そこにいろと。
そう命じられた。
何度も説得され、ようやくザンザスは頷いた。
頷くことを、スクアーロは知っていた。
ドンである綱吉の言い分は、酷く正しい。
いつだって正しい。
人道、宗教的、義理人情。
いつだって綱吉は優しく、そして正しい。
「俺は、ツナヨシを怒鳴り付けたかったんだぁ」
ザンザスの残り香だけが、部屋には満ちていた。
不思議と甘く感じる、清潔なシャボンの香り。
そこに混じる、涙の匂い。
スクアーロは窓硝子に額をつけ、そこから見える緑を睨み付ける。
ソファに座るルチアーノは何も言わない。
「分かってないのはテメェだと、言いたい。けれどもそれを言うのは禁じられてる。だから言わない。俺も、ザンザスも黙ってる」
『どうして分からないんだよ!お前に会いたがってるんだぞ!?』
『つまらない意地を張って、本当に謝れなくなったらどうするんだよ!』
『一度だけでもいい、会ってやってくれよ。お願いだからさ、ザンザス』
頭の中で揺れる声。
スクアーロの眉が寄る、鋭い目付きがより強くなる。
「人間は忘れる生き物だ」
ルチアーノが口を開く。
ぽつりと呟くように、けれどもスクアーロにしっかりと届く言葉。
スクアーロは視線を緑からルチアーノへと動かす。
相変わらず、ソファで足を組んだまま。
「忘れることで、生きていく。忘れることで、次に進んでいく」
「……、俺は忘れてなんかいねぇ」
「お前は許していないだけだろう」
翡翠の瞳。
普段は森の中に佇む、恵み豊かな湖のようなのに。
時折、ゾッとするほど無機質で冷たい、それ。
怒っているのだと、スクアーロは思う。
「自分も他人も。許せば忘れる。いつかは忘れる、生きるために」
「ザンザスは、」
「あいつも…忘れたいのだろう」
忘れたいのだ。
許したいのだ。
自分を、誰かを。
終止符を打ちたいのだ。
全てに、終止符を。
「分かってやれ」
「………」
「忘れることが、許すことが出来ないのは…苦しいだけだ…」
スクアーロは、静かに目を閉じた。
カーテンが揺れる。
この国の気候としては珍しい、湿った風がザンザスの襟足を揺らした。
ティモッテオは上半身を起こし、花瓶へと生けられる淡い黄色に目を細める。
ザンザスの手が不器用ながらも花を生ける、その姿。
エタノールが風に乗る。
「来てくれて嬉しいよ…ザンザス」
「あぁ…」
ベッド脇にあるパイプイスにザンザスは腰掛け、それきり口をつぐんだ。
長い長い沈黙、廊下から聞こえる子供の笑い声が近付き、また遠ざかった。
「…元気に、してるかい?」
「あぁ」
「あまり無茶をしてはいけないよ?ちゃんと体のことに気を付けないと」
「…あぁ」
ただ静かに、ザンザスは白いシーツを見つめていた。
持ってきた花が、控えめに香る。
音を立てずに深く息を吸い込めば、喉がきゅう、と締め付けられる気がした。
「…聞いて、ほしいことが、ある。いや…聞きたい、ことかもしれない」
「なんだい…?」
ひとつ、またひとつ。
言葉を確かめるように、選ぶようにザンザスは言う。
ティモッテオは優しく視線を向ける、左頬にある傷はいつの間にか下ろした髪に隠れて少ししか見えなかった。
「…俺は、…俺が…」
「なんだい、ザンザス」
俺が、悪いのでしょう?
そう、空気と共に吐き出された言葉は、酷く震えていて。
ティモッテオは僅かに目を見開く。
「聞いて、ほしい。ずっと考えていた、ことを」
初めてザンザスの両の目がティモッテオに向けられ、そしてすぐに逸らされた。
ティモッテオは何度か唇を開いたり閉じたりして、もぞりと姿勢を正した。
それを合図に、ザンザスは口を開く。
「俺は、最初はただ、寂しいと思っていたんだと思う。貧しい生活から突然マフィアの御曹司になった、生活が急に180度変わって驚いた…それ以上に…、怖かった」
寒い寒い、そんな日に。
今は朧気にしか顔を覚えていない母親に手を引かれ、アナタに出会った。
温かそうなコート、手袋。
マフラーを俺の首に優しく巻いてくれた。
「日常生活からテーブルマナー。あらゆる科目の家庭教師に、体術の稽古…何度も帰りたいと、思った。それ以上に、アナタと話がしたかった」
どうして今まで迎えに来てくれなかったの?
母さんとは何処で知り合って、どんな恋をして。
ねぇ。
『おとうさん』
俺が生まれたとき、
嬉しかった?
思い返せば、幼いころのザンザスは時折寂しげに己を見つめていた。
何か言おうとして、自分の体を抱き締めるように、きゅっとシャツを握って。
「…自分の存在が、周りから疎まれてることは、割りと早く気付いたと思う。だけど…、覚えているか?それをアナタに言ったら、気にしすぎるのはよくないと、そう言われた」
自嘲気味に唇が上がる。
ティモッテオは胸が痛くなった。
罪悪感か、違う、何かに。
「問題が解けなければ、教師には鞭で手のひらを叩かれた…。体術の稽古では何度も脱臼を繰り返した。でも、その度に言われた」
十代目になるためだ、と。
なりたくなんてなかった。
こんな苦しい思いをして、痛い思いをして。
それでマフィアのドンになって、いったい何になるのだろうと。
幹部たちの子供が楽しげに庭で遊ぶのを、ただじっと窓から見ていた。
遊ぶ暇があるのなら、勉強しろと言われていたから。
十代目になる人間は、遊びなんて必要ないと。
「自分でも、それがいつなのか分からないが…気付けば十代目になることが俺の生きる意味になっていた。俺が強くなる度に、難しい問題を解く度に、周りは喜んだ。…アナタも、喜んでいた」
確かにそうだった。
ティモッテオは教師たちからザンザスは賢い、素晴らしいと賞賛されるのを聞いて、それで優しく頭を撫でてやった。
ザンザスが誇らしかった?
違う、そうではない。
「アナタに出逢って、信じていたんだ。十代目になればきっと、幸せになれるのだと、今が苦しいのも報われるのだと…。例えアナタが俺を膝に乗せたことがないのに、ツナヨシを膝に乗せていたことを知っても」
家光が楽しげに話していた、俺の息子なのだと。
日本でのビジネス、そのついでにアナタが家に来てくれたのだと。
今でも覚えている。
たくさんの写真を見せてくれて、それを俺は静かに眺めていた。
家光の妻、名前はナナ。
家光の子供、名前はツナヨシ。
小さな庭に咲く花、夕飯を食べる一家団欒の時。
肩車されるツナヨシと楽しげに笑う家光。
ナナの腕に抱かれ何かをねだっているツナヨシ。
楽しそうだと、ザンザスは思いながら写真を捲る。
心臓が、凍るかと思った。
『とうさん』
どうして?
俺は、膝に乗せてもらえたことなど、一度もなかったのに。
どうして…。
そんな幸せにそうに笑うのですか…?
「アナタと距離を置いて、けれども俺の生きる意味は十代目になることで。苦しかった…たまらなく」
ボスらしくなればなるほど、周りは喜び。
そして、アナタは。
「アナタも俺と、距離を置き始めた」
「ザンザス…ちが、違うんだよ…」
「知ってる。違うのは…もう、そのころから気付いていた」
発言を許さないという風に、ザンザスが言う。
ティモッテオは何度か深く呼吸を繰り返した。
毛穴が開くような、鳥肌が立つような。
酷く落ち着かない精神。
「あぁ、俺は、」
聞きたくない。
「俺は…、」
聞いたら、きっと。
「生け贄なんだ、って」
全てが、壊れる。
「十代目になれないことを知って、俺はただただアナタを憎んだ。全てはこのためだったのかと、全部を悟った。アナタの計画に必要な駒でしなかった」
ティモッテオは穏健派のドンとして名高い。
しかし、穏健派とは、それは問題が表面化するか否かの問題でしかない。
確実に次期当主にドンの座を譲るためには。
汚すわけにも、終わらせるわけにもいかない重圧。
大切な跡継ぎになにかあっては遅いのだと、ティモッテオは考えた。
そこに現れた、ザンザス。
その手に炎を宿す、因果の子供。
利用しないわけが、ない。
「俺が十代目となり、ボンゴレを継ぐと内外に知らせれば、自然と危険も俺に集まった。暗殺、誘拐…切り抜ける度に上がる、次期当主の座という価値」
生け贄なのでしょう。
傷付いて、危険に晒されて、ボロボロになって。
そして、正統後継者が立派になったときに、その価値の上がった座を明け渡す。
生け贄は、捨てればいい。
「思い通りにさせたくなかった。憎かった、思い通りになる自分も、させるアナタも、何も知らないツナヨシも」
そして、指輪戦。
モスカにアナタを閉じ込めた時に、ツナヨシがモスカごとアナタを貫いた時に。
感じたのは、紛れもない歓喜だった。
「ツナヨシは、優しいから。正しいから…俺に謝れと、言う」
そう、ツナヨシは正しい。
人として正しい。
『人として』正しいだけ。
「アナタは、最後まで大人で…俺は、最後まで子供」
親にならなかった大人と、我が子になれなかった子供なんだと、思う。
「いつだって、憎んだ方が悪い。傷付けたほうが…裏切った方が悪い…。間違いではない、むしろ正しい。けれど、」
最初から裏切っていたアナタはどうなるの?
ザンザスの紅玉がティモッテオを捕らえる。
いつの間に前髪を下ろしたのだろうか。
それすら分からないのに、自分は、親のように振る舞って。
身勝手なのは、もう、聞くまでもない。
「お前の…、」
声が酷く掠れる。
まるで何年も話すことを放棄していたかのように、喉が張り付いていて。
しかしザンザスの紅玉は言い訳など許さない、そんな風にヒタリとティモッテオを見つめている。
「お前の…、言う、通りだ…。私は、ザンザスを利用して…全て知っていて…。取り返しのつかないことを、していた…」
どこかで罪悪感を感じてはいたのだ。
責める気持ちがあった。
それは間違いないのだ。
ただ。
ザンザスに対して、悪いと思っていたのではなくて。
自分に対する罪悪感、だった。
「人として…一人の運命を、操る。そのことを、自らに何度も尋ねた。それでいいのか、大丈夫なのか…」
私は…、ザンザス…。
「それも、知ってる」
だってアナタは、一度だって俺に謝らなかったから。
『家光はおまえを殺すなと言ってくれた』
じゃあアナタは?
『ボスとしておまえを生かしていておくわけにはいかん…』
本当にボスとして?
それは建前じゃないの?
『……なぜだ』
なぜ?
『なぜおまえは…』
アナタが一番よく知っているはずでしょう?
アナタは無償の愛なんて持ち合わせていない。
そうでしょう?
「俺には謝らなかったのに、ツナヨシには謝った」
モスカから瀕死の状態で現れたアナタは言った。
確かに言った。
『悪いのは……私だ……』
『すまない…』
「その瞬間に、全てが抑えられなくなった」
『私の弱さが……ザンザスを永い眠りから目覚めさせてしまった……』
目覚めさせてしまった?
じゃあどうして凍らせたのですか?
どうしてもっと幼いうちに殺さなかったの?
どうして、拾ったの?
最後までアナタはズルい。
「あ…、あぁ…っ」
呻くように。
ティモッテオの喉から嗚咽が漏れ、溢れた涙はシーツに落ちてじわりと広がる。
ザンザスはただ静かにシーツを見つめていた。
湿った風は、いつの間にか雨を降らせている。
「…思い出す度、苦しくなる」
ぽつり、ザンザスが呟く。
「どうしようもなく、胸が軋んで、息が出来なくなる。…もう…嫌なんだ」
忘れたいのです。
全て、全てを。
忘れて、許して。
終わらせたいのです。
だから、来た。
「許しを、求めて」
「ザ、ンザ…ス」
「せめて最後は、俺を認めて。そして、自分の否を認めて…一度だけでいい。俺を、正しい人にして」
ティモッテオは涙で上手く見えない目を擦り、ザンザスをよく見ようとする。
しかし次から次へと溢れる涙でその顔は見えない。
何に対する涙か、それは分からない。
「ザンザス…、」
「……」
零れ落ちたティモッテオの言葉にザンザスは答えた。
ただ一言、だけど長い間言えなかった言葉を、言わせて貰えなかった言葉を。
許す、と。
雨はただ、激しさを増す。
ザンザスの生けた花が、黙ってその雨音に耳を傾けていた。
(忘れさせて、許すと言わせて。一度だけでいいから、正しい人にさせて)
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