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カルナヴァレ
注意:捏造



アルマンドはこの状況に飽き飽きしていた。密やかな話し声、女たちの媚びた視線、男たちの下劣な視線。アルマンドは美しくないものが大嫌いな男だった。だから黙って煌びやかなシャンデリアに視線を向け、黙々と演奏し続ける楽団の音楽に耳を澄ましていた、つまり完全なる壁の花。
ヴェネチアで行われている謝肉祭、カルナヴァレ。南欧諸国独特の祭りは復活祭の前の伝統行事だ。マスケラと呼ばれる仮面で己を殺し、忍び笑いで一夜の戯れ、大人の欲望。嫌悪感を抱きながら、夜が明ける前に美しい女を攫い偽りの睦言に身をゆだねる。自分も頭がおかしいのだろう、くい、とロゼを飲み干した。

「アルマンド様」

砂糖菓子のように甘ったるくてふわふわした声。アルマンドが視線を向けると一人の女が隣に立っていた。

「そのお美しい銀の髪、アルマンド様でしょう?」
「さぁ、どーだか」
「意地悪なさらないで下さい…、アルマンド様は踊らないのですか?ワルツはお嫌い?」
「好きかもしれないし、嫌いかもしれない」
「もう、意地悪ばかり…」
「申し訳ありません、美しい女性の困った顔が好きなので」

そう言えば女は仮面に覆われていない頬に朱を走らせた。夢を見ているような瞳でアルマンドを見つめる。そ、と手袋に包まれた指先でアルマンドの腕に触れる。震える指先はまるで処女。

「私…アルマンド様のことをこのカルナヴァレでお見かけしてから、ずっと目で追っていましたの…」
「…それで?」
「アルマンド様…私の、私の名前は…」
「黙って」

アルマンドを見上げる潤んだ瞳。名前を告げようとした唇に、アルマンドはそっと指を這わせた。そのまま頬を撫でれば女からは甘い吐息。

「せっかくのカルナヴァレ。一夜限りの魔法が名前を告げれば覚めてしまう」
「アルマンド様…」
「私はあなたを知らない。…だから何も隠すことなどないのです」
「あぁ…っ」
「あなたの部屋に?」

体を預ける女の腰に腕を回し、アルマンドは会場をあとにした。女に向けられる他の女たちからの嫉妬の視線。それすらも蜜なのか女はますますアルマンドの腕にすがりついた。
会場のある建物はホテルでもある。幾つもの階段を上がり、廊下を進み女の部屋へ。鍵を開けるために女が離れる、アルマンドは心の中で溜め息を吐く。今夜はこの女と過ごすのか。そう思いながらふと廊下の向こうから歩いてくる一人の男に気付き、アルマンドは目を見開いた。男もアルマンドに気付いたのか、藍色のマスケラに覆われた目元を僅かに見開いた。そして女に視線を移し唇に笑みを浮かべる。
軽やかに、そして優雅に歩き去っていった男に、アルマンドは思考を支配された。
なぜ、ここに彼がいるのだろうか。もう会えないと思っていたのに。
カチャ、と小さな音を立てて開いた鍵の音が、やけに遠くに聞こえた。

アルマンドは18歳の時に家出をした。家はヴェネチアでも有名な美術商、何不自由なく美しい物に囲まれてアルマンドは育った。アルマンドは長男、本来ならば家を継がなければならないがアルマンドは頑なにそれを拒否し続けていた。
美術品は確かに美しい。しかしそれを取り引きする人間は美しくない。欲望、陰謀、そんな物を抱えて生きたくはなかった。どうせ汚れるのなら血肉で汚れたい、人体こそがあらゆるものの最高峰、人体にこそ美しさの本随がある。幾多の人間と決闘をし、その手に握る剣で屍に変えていった。
父親はそのたびに怒鳴り散らしたが、追い出すようなことはしなかった。アルマンドの他に、二人の息子達がいる。その二人のうちどちらかに継がせれば良いと考えていたのだ。父親はアルマンドを別の目的を与えていた、それが社交だ。
その銀の髪は美しく伸ばされており、幼い頃から体に叩き込まれたマナー、立ち居振る舞い、涼しげな顔立ちに映える刀傷すら女たちを虜にした。社交場でアルマンドが抱いた女の家はこぞってアルマンドの父親が営む美術商へ投資した。もし、令嬢と結婚でもすれば家は安泰だと、そう父親は考えたのだ。
アルマンドは文句は言わなかった。剣が振れればそれでいい、あんな家を継がないのならそれでいい。毎夜毎夜、様々な社交場に赴いては気まぐれに堕落した夜を過ごしていた。
しかし、そんな生活にも嫌気が差したある日。アルマンドは荷物を纏めて港から船に乗り込みヴェネチアから姿を消した。縛られるのは嫌いなのだ、父親が持ってきた見合いの話も原因かもしれない。
船で乗組員と同様、手伝いをしながら行けるところまで乗せてもらった。そうして着いたのがシチリア島のメッシーナ。船長を始め、乗組員たちに見送られアルマンドは気ままに暮らし始めた。宿場に行き、金貨の入った袋を渡せばずっと居てもいいと喜ばれたのには苦笑した。

アルマンドにとってシチリア島での暮らしは最高だった。とくに宿のあるメッシーナは地図で言うイタリタの爪先部分、レッジョ・ディ・カラブリアと程近いため物流も盛んで、定期船に乗れば30分ほどで本土に渡れた。アドリア海を長旅で回ってきたアルマンドにとっては笑えるほどに近い距離。
そして何より、シチリア島にはマフィアがごろごろといる。メッシーナも例外ではなかった。少し睨んでやればすぐに絡んでくる。そんなマフィアをあしらったり、気が向けば斬ったりもした。あしらうのは得意なのだ、自分を見せなければいいだけだから。
そんなある日、アルマンドの泊まる宿の主から話を聞いた。メッシーナ一帯では数年前にボンゴレという新勢力が現れてきたらしい。創設者を筆頭に、ボンゴレファミリーは一般人に暴力は振るったりしない、そう話す主の顔は誇らしげだった。そう言えば自分に絡んできたマフィアにボンゴレの人間はいなかったなとアルマンドは思い返す。斬ったりすればどうなるだろう、そう考えていると宿の主は笑いながらアルマンドの頭を叩いた。

「止めとけよアルマンド、お前もボンゴレには勝てないさ」
「まだ何も言ってねーだろぉ?」
「はっはっ、ボンゴレはな、不思議な力が使えるんだよ」
「不思議な力?」
「あぁ。俺もな、一度しか見たことないんだけどよ。こう…手から炎がぼわっと出るんだ。あの時のジョットさんは怖かったぞ」
「ジョットって創設者のかぁ?」
「あぁ。普段はお優しいんだけど、なんでもファミリー随一の武闘派らしい。だからアルマンドもボンゴレには手ぇ出すなよ?」
「ふーん」

宿の主の話を軽く聞き流していたが、不思議な力となれば見てみたいものだとアルマンドは思った。しかし絡んでくるのは他のマフィアばかり、剣の腕を見込んでか絡まれたマフィアのボスが勧誘に来たりもしたがアルマンドはすべて断った。
自分に負けた人間がいるファミリーなど眼中にはない。どうせ仕えるのなら強いところがいい。なにより縛られるのも縛り付けるのも嫌いだ。
悠々自適に暮らしていたそんな毎日。アルマンドは日課になりつつある散歩に繰り出していた。
森の中まで入り、生い茂る木々を見る。時折吹く海からの潮風がアルマンドの髪をほんの少し揺らす。今日も清々しい天気。

「………?」

なにか聞こえた気がして、アルマンドは森の奥へと向かう。次第に大きくなる音、それは動物の鳴き声だった。草を掻き分けて見てみれば木の隙間に挟まったまま暴れる子兎。

「なんだぁ、お前。挟まって出られなくなってやがんのかぁ」

あまりにもマヌケなその光景にアルマンドは笑うと、暴れる子兎の胴体を掴み、ゆっくりと木の隙間から出してやる。途端、自由になった自分に驚いたのか子兎が強く地面を蹴った。飛び出したその先は、草が茂っているが急な斜面。

「バカ……っ!」

飛び出した子兎を空中でなんとかキャッチするも、アルマンドの体はバランスが取れないほど斜面へと傾いた。とっさに子兎を自分の胸元に抱き込むと、ぐるぐると回転しながら落下。地面に当たる体が痛い。
ようやく回転が止まる。随分と長い斜面だった…、そう仰向けに寝転がったまま視界が回るままに空を仰ぎ見る。胸元でもそもそと動く感触から、どうやら子兎は無事のようだと分かった。
ぼーっと真っ青に晴れ渡った空を見る、濃い青ではない、爽やかな色合いだとアルマンドは思った。転がり落ちたせいで混乱していたのか聴力は何も捉えなかった。だから突然視界に現れた青年にアルマンドは驚いた。

「大丈夫か?お前」
「うぉあっ!?」
「ふふ、何だよ情けねぇな」

くすくすと笑いながら青年は視界から消えた。サクサクと足元の草を踏みしめる音が今度はちゃんと聞こえる。体を起こして周りを見ると、そこは森の中にぽっかりと開いた場所。地面を一面覆う芝生に、たくさんの花が咲いている。

「メルヘーン…」

アリスの兎でも出てきそうだ。そんなことを思いながらアルマンドは未だに自分の上でもそもそと動いている子兎を見た。差し詰めコイツが時計の兎か、そう思いながら再び自分に近付く足音。

「ほら」
「ぁあ?」
「血が出てるぞ、使え。頭は大丈夫か?レモネードしかないけど飲むか?」

額に押し付けられたハンカチを、慌てて自分の手で押さえる。すると青年に腕を掴まれ木陰へ連れて行かれた。小さなバッグから取り出された、瓶に入れられたレモネード。受け取って飲めばそれは冷たく、アルマンドの思考を鮮明にしてくれた。

「天使かと思った」
「なにがだぁ?」
「銀髪が綺麗だから、天使って斜面転がり落ちて現れるもんなんだなって」
「んなわけあるかぁ、面白いなぁアンタ」
「突然斜面から派手に現れるからだ、死ぬほど驚いたぞ」
「悪かったなぁ、不可抗力だぁ。そー言えば名前は?俺はアルマンド」
「ルチアーノ」

目の前の青年はルチアーノと言うらしい。漆黒の髪に、明るい翡翠の瞳が綺麗だと素直に思えた。少しぼんやりしていると、足元に何かが触れる。

「あ、お前かぁ」
「一緒に落ちてきたのか?」
「こいつが木に挟まってたんだぁ」
「マヌケな奴」
「俺もそう思った。まさか助けたのに落とされるなんて思わなかったけどなぁ」

そう言ってアルマンドが笑えば、ルチアーノも笑った。ふいに、額のハンカチに触れられる。アルマンドはおとなしくルチアーノに処置を任せた。

「血の割に小さい傷だ。薬を塗ればすぐに治る、良かったな」
「あぁ。ルチアーノはこのあたりに住んでんのかぁ?」
「この森を抜けたところにな。アルマンドは?このあたりの人間じゃねーだろ」
「俺は、…ちょっと訳あってな。港の近くにある宿にいる」
「そうか」

何かを感じとったのか、ルチアーノはあまり深くは聞かなかった。アルマンドはほっとすると他愛もない話を始める。なんだかもっと話していたいと思えた。同じ年頃の相手にあまり会わなかったからかもしれない。アルマンドの話に、ルチアーノは時折相槌を打つと笑った。ルチアーノが笑えばアルマンドも笑う。あっという間に辺りは夕暮れになっていた。

「悪い。そろそろ帰らないといけない」
「そうかぁ…、また会えるか?」
「…多分な。これ、やる」

そう言ってルチアーノがアルマンドに渡したのは美しい短剣。銀の柄に繊細な細工、何よりもエメラルドが煌めき高価なものだと一目で分かった。

「おい、これ…っ」
「なんかあったら、それを見せろよ?」
「はぁ…?ちょ、ルチアーノ」
「またな、アルマンド」

そう言って分厚い本を抱え、ルチアーノは走り去っていった。アルマンドは呆気にとられ、しばらく静止したあと、短剣を夕陽に照らす。
思い返せばルチアーノのことは何も聞けなかった。膝の上に乗せたまま離れようとしない子兎が不思議そうにアルマンドを見上げる。アルマンドはその毛並みを撫でてやると立ち上がった。

「マンマのとこに帰るんだぞぉ」

そう言えば子兎は足の周りをくるくると周り、何度も振り返りながら茂みへと消えていった。
それから何度かアルマンドは森へ足を運んだ。しかしルチアーノに会うことは出来ない。木漏れ日の中、難しそうな本を傍らに自分の話に耳を傾け、笑ってくれたルチアーノの顔が頭から離れない。
もっと話したい、会いたい。そう思わせるなにかがルチアーノにはあったが、それが何なのかアルマンドには分からず終いだった。


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