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伊南光太郎は二人いる
4

 東の言う通り、俺はまだ酔いが残っているのかもしれない。いや、残っているに違いない。もうひと眠りしたら頭もすっきりして、この変な状況も夢のように消えるだろう。
 あまりにおかしな現実に俺は考えることを放棄し、とにかく一旦家に帰ることにした。
 とりあえず今は伊南のことは忘れて頭をリセットしよう。そう思った矢先、購買から出てきた伊南とばったり会ってしまった。しかも目が合ってしまった。親交はなくとも一応同じサークルだ。無視するのも躊躇われ、俺は仕方なく「昨日はお疲れ」と軽く手を挙げた。
 いつもの伊南ならオウム返しのような返事と浅い会釈を寄越すだけだが、今日は違った。伊南は俺に向き直ると「昨日は大丈夫だった?」と訊いてきた。
 何を考えているか分からない目でじっと見つめられたじろぐ。昨日とは、飲み会のことだろうか。それとも記憶にない俺の部屋でのことだろうか……。
 どちらのことか分からなかったが、とりあえず無難に「あ、ああ、大丈夫」と答えた。
「そうか、ならよかった。俺は二次会まで行ってないけど、一次会の段階でかなり酔っていたから心配していたんだ」
 本当に心配していたとは思えない無表情で淡々と話す伊南の言葉に俺は食いついた。
「二次会まで行っていないってことは、そのまますぐ家に帰ったのか?」
「ああ、行っていないよ。二次会には今まで行ったことがない」
 伊南の言葉にほっとする。一次会の後に家にすぐ帰ったなら、俺の家に来たはずがない。
「じゃあ俺の家にも来ていないよな」
 念のため確認すると、
「行くも何も、俺は北川の家に行ったことがない」
 二次会に行ったことがないと言った時と同じような普遍的響きを持って伊南が答えた。その返答は、俺を混乱の渦から力強く掬いあげた。
 よかった……! 俺は伊南と寝ていない!
 心の底から安堵の気持ちが湧き上がるが、それと同時にまた違う疑問が頭をもたげる。
 じゃあ、俺の横で寝ていたのは誰だ?
 彼女を伊南と見間違えたのか。いや、それはない。俺は何度も目を擦って何度も確認した。何度確認してもあれは伊南だった。それに、俺は彼女の顔を思い出せない。
「……北川、大丈夫?」
 再び混乱の渦に溺れていく意識を、伊南の声が現実に引き戻した。
「顔色があまりよくないね。家に帰って休んだらどう? よかったら俺が代返ってやつをしておくよ」
「あ、いやいい。東がやってくれると思うし」
「そう、ならよかった。言ってみたものの、代返をやったことがなくてね、上手く声色を変えられるか心配だったんだ」
 いや、声を変える必要はないだろうと思いつつ、真面目な無表情を前にすると突っ込めない。
 どう言葉を返すべきか迷っていると、
「それじゃあ、お大事に」
 沈黙の到来を察知したのか、伊南は背を向けて去って行った。
 その時見えた白い首筋に、朝見た赤黒いキスマークは微塵も残っていなかった。情事を感じさせない清潔で真っ白な肌が目に眩しいほどだった。

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