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Criminal


 橙の光がアナシアの街に降り注ぐ。

 墜ち行く太陽の残照が雑居ビルの窓硝子全体に反射し、夜までの僅かな煌めきを残す。

 そのビル群が立ち並ぶ街路の谷底を進む孤影があった。


 淡い鶯色の髪に浅葱の瞳。顔立ちは平凡ながらも、表情は柔らかいので優しげな容貌に見える青年が悠然と歩いている。


 そんな彼の周囲を慌ただしく駆け抜けて行ったのは、悪相の黒背広姿の男達だった。男達の無造作に開かれた背広の懐から覗いたのは、拳銃と耐刃ジャケット。

 青ざめた表情で逃げるかのように走り去って行く男達を無感情に一瞥し、鶯色の髪の青年は彼等とは逆の進路方向へと歩んで行く。


 額が切れ鮮血で顔を濡らした同じく黒背広の男が前方から駆けてきた。

 黒背広の男は不意に、自分達が逃げてきた場所へと近付く青年の姿を認める。急く足を止めて叫んだ。


「おい! あんた何処行く気だ?」


 息を切らせ、僅かに充血した瞳でその場に留まる男。振り返りもせず、当然のように返事を返したのは青年の彼。


「この先だよ」


「悪い事は言わない……行かない方がいい」


 青年の進むその先で、何か恐ろしいものを見てきたかのように震えながら忠告する男は口早に呟いた。


「──アレは、アレは、おかしい、あんなのは人間じゃない……狂ってる」


 男の断片的なおよそ意味合いの理解できない言葉。しかしその台詞に思わず口角を吊り上げた青年は、そこで初めて黒背広の男へと振り返る。

 その顔にあったのは満面の笑み。


「うん、知ってる」


「!? あんた──」


 意に介せない反応をした彼に、男は動揺を隠せないようだった。

 茫然とする男を後に残し、彼はどこか楽しげに再び歩みを再開させる。


 平坦で退屈な街路を進行していると、その途中で破砕され周囲にばらまかれた硝子片と歩道や街灯に穿たれた無数の銃痕を見つけた。

 横手の硝子張りである建物には、弾痕が描き造り上げた幾重もの蜘蛛の巣の罅。


 先程までこの場で行われていたのであろう銃撃戦の形跡を青年の視界が捉える。

 そして歩みと同時、次第に近付いてくる鈍い鋼の音響と悲鳴じみた怒声は、彼の表情をすぐさま曇らせていった。


「ま〜た、派手にやってるのかなぁ? あの罪人は」


 「元気だねぇ」と呑気な口調で独り言を呟き、目前の角を折れた所。そこで青年の足はその場の情景により強制的に止まらされていた。


 街路の一角中を浸している赤黒い液体。それらが飛散し灰色から赤に塗り替えられた壁面。

 無造作に地面に転がっていたのは数人の、先程見掛けた黒背広の男達と同じ服装の者達のようだった。

 そしてそれらに紛れだが、私服の武装した者も数名窺える。だが今は四肢の取れ壊れかけた人形のように、装備毎それぞれがそれぞれのパーツだけの遺体になっていた。


 切り刻まれた骸の群。
 街路に散在した手足や頭は最早、朱に侵された石畳の上で入り混ざり誰の者とも区別がつかなくなっている。


 烈傷した腹部から臓器と共に零れ立ち上ってゆく湯気とまだ僅かながらに痙攣し激しく出血する手前の数体の死体が、つい先程までそれらが生きていた事を容易に予測させた。


 血臭に満ち陰惨極まるその光景を作り出した張本人。死骸達の中心に立っていたのは長剣を携えた一人の人物。

 その手の刃と同様に自らも全身真紅に染まり、気怠そうに宙を仰いだその男の髪と瞳はその場の血よりも濃く赤かった。


 眺める青年はその男が何者なのか、よく知っていた。


 最近になり、この街のギルドに所属し傭兵となった者。名をブラッド。ルーキーの割にその実力には目を見張るものがあり、所属と同時にSS級の凄腕の称号を会得した男。

 少年と青年の狭間のような面立ちで鋭利な目付きをした彼は、ギルド内ではその鬼神の如き戦闘姿から血塗れの罪人という異名が付けられている。


 血塗れの罪人──誰がいつからそう呼んだかは分からない。だが正にその異名に相応しい姿をしたブラッドは、足元に転がる死体を乱雑に蹴り退け、その先で怯懦する男を睨めつけた。


 顔面蒼白で、恐怖から食い入るようにブラッドを見つめ畏縮する男。
 後退し壁に背をぶつけても尚、下がろうとしていた。


 男は先程自らの眼前で冷酷な惨劇の場面を見せつけられたばかりであった為、恐慌状態に陥る寸前だった。

 噛み締め過ぎた唇からは赤い線が零れ滴ってゆく。


「……さてと、そろそろ死んどくか?」


 そう簡単に言い放ったブラッドの背後に、無惨な姿で横たわる遺体等が男の目に入る。

 黒背広の死骸に交じり、重装備を纏ったままの遺骸。今や身体の各個部位だけとなった哀れな死者達。その中に見知った死に顔を見つけ、男の表情は不自然に引きつった。

 恐怖で震えながらも、押し込められた声を喉から無理矢理絞り出す。


「ま、ま待てよ! お前この街のギルドの傭兵だろ!? 狙いはマフィア【ヴラスト】の殲滅だったんだろ!? 俺も支部こそ違うが同じギルドに所属する傭兵なんだ!」


 血糊が付着した刃を頭上に掲げたブラッドに、男は縋るかのように必死に言い募る。


「俺の仕事はヴラスト組員の護衛だったんだ! お前は殲滅だったから今回はお互い不幸にも偶然居合わせて戦う形になったが、もうその必要もないだろ? 俺が護衛すべきヴラストの者はお前に殆ど殺され、生き残った数名も逃走した。ここにはもう居ない。俺の仲間の傭兵もお前が殺した!! だから、お前自身は既に現段階での任務を果たている。そうだろ!?」


「で? 結局、何が言いたいんだ?」


 男の言葉などまるで耳に入ってこなかったかのように、泰然と先を促すブラッド。

 瞬間、男は気まずそうに顔を歪ませる。ヴラストの組員の骸と共に散らばる仲間達の死体から視線を逸らし、そしてためらいがちに口を開いた。


「俺を──同じ、同業者のよしみとして、俺の命だけは……助けて欲しい」


 ブラッドの紅玉の瞳が丸くなった。

 俯きその身体はやがて小刻みに痙攣し始める。眼前の男に失笑し、ブラッドは呆れ返っていた。


「笑わせるんじゃねぇよ、てめぇは馬鹿か? 殲滅ってのは、それを含めての皆殺しだろ。ギルドなんて関係ねぇ。観念しな、ここがてめぇ自身の墓場だ」


 男の表情に絶望の色が広がる。

 不意にブラッドは考え込む様な仕草を見せ、その後、男を真っ直ぐに見据えた。

 その赤眼は血に飢えたような修羅の眼だった。


「そうだな──よし、最期に選べ。天国と地獄とどちらが見たいのかを」


「どういう意味で──」


「どっちだ?」


 困惑する男に有無をいわさぬ口調でブラッドは選択肢を突き出す。ブラッドの態度から何かを悟った男は震えながら掠れた声音で「天国」と、言葉少なくそう答えた。


「お望み通りに」


 簡潔なブラッドの台詞と共に、男の額から上が消失していた。斬り離された部位は壁に激突した際の衝撃に血と脳漿を溢れさせ、その場に惨憺さを足す。残留した頭部の無い男の身体は緩慢に傾斜し、その場に力無く倒れ伏した。

 斬りつけた断面から噴出した血潮により頬を紅に染めたブラッド。

 振り抜いた長剣をもう一度宙で振り払い、血糊を落とすとその凶器を静かに見つめた。

 凶器の次に場の情景へと紅の視線は移り、唇には充足感を得た笑み。


 いとも簡単に人を殺めた、ブラッドの胸中に罪悪感などは一片もなかった。勿論、懺悔も後悔も見当たらない。ただブラッド自身を支配していたのは果てない憎悪だった。沸き起こる負の感情は止まる事を知らず、欲望のままに彼を狂気へと駆り立てる。




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あきゅろす。
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