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 子犬の里親捜しは意外にも難航した。その間にも子犬はブラッドに懐き、また家に彼が帰っている間中べったりとくっついて離れない。家主であり、餌を与える俺の方へは見向きもしない癖に。


「全く……君ってばなかなかの忠犬だよ」


 俺の呆れた物言いに、子犬は短い耳をピッと立て反応する。


「自分の恩人が誰だかちゃーんと分かってる。偉いね」


“間違エル筈ガナイ”


 横柄な口の聞き方に思わず苦笑した。子犬は続ける。


“時間ガ惜シイ。タダ側ニ居タイ、ソレダケダ”


「ふーん、多分君が初めてだと思うよ。彼の側に居たいって言ったのは」


“オ前ハ違ウノカ?”


 予想だにしない子犬の質問に俺は目を丸くした。俺が? 何で?


“側ニ居タイ。ダカラ一緒ニ居ル。違ウカ?”


「違うよ」


 断言できた。別に側に居たい訳じゃない。居てもそれほど気分は悪くはないけど。

 濡れた瞳で俺を見上げる子犬が首を傾げた。


“デハ、何故?”


 ──何故か? どうしてなのか?

 俺がブラッドに構うのは、最初は好奇心と興味半分だけだった。だが今では全く別の理由になってしまっているように感じる。

 ──それは一体何なのか?

 暫く黙考の末、答えが出た。


「いい奴だからかな、ブラッドが」


 そうだ、これが正解だ。


 一見、酷く人間嫌いで凶暴。そして残忍で粗暴である血塗れの罪人。だけども、その心根はどこまでも真っ直ぐな芯の強さと不器用で素直ではない優しさとで埋まっている。

 街外れの孤児院に報酬で得た依頼料の半分以上を気紛れに寄付してみたり、大の人間嫌いの癖に闘争で巻き込まれた一般市民の家族を銃撃の流れ弾から身を呈して守ったりした事だってある。

 今だって死にかけた子犬を自ら進んで拾って来ている状況だ。

 偶然を装って本人は素知らぬ顔しているが、俺は彼の今迄をちゃんと見てきている。

 有言実行ができない口先だけの連中とブラッドは違う。

 傍目からは怠そうで近寄り難い様子であるが、いつだって彼は自分の真に守りたい対象を守っている。

 自分の心に忠実だ。


「それに俺は……」
「──ディルガ、誰と話してる?」


 声の発された方を見ると、外から帰って来たばかりであろうブラッド本人が怪訝そうな表情で扉の入口から覗いていた。


 動物と会話できる俺の能力を知らない彼には、大きな独り言を呟く奇怪な人物に見えたのだろう。

 子犬はブラッドの出現に喜び、急ぎ駆けて行く。

 俺といえば苦笑いするしかない。


「悩み事を、君の足元の動物に聞いて貰ってたのさ」


「……そりゃ淋しい限りだな。てめぇ相談する相手もろくにいねぇのかよ。──クソっ、纏りつくな。踏むぞ!」


 口調こそは乱暴だが、面倒臭そうな顔でブラッドは座り込み子犬を指先で軽く小突く。

 押され倒された子犬は遊んで貰えると思ったのか、すぐさま態勢を立て直しブラッドに向かって楽しげに吠え出した。

 仕方なく子犬と取り合うブラッド。だが彼にしては珍しく穏やかな表情をしている。



“タダ側ニ居タイ”


 純粋無垢な小さな子犬の願い。

 罪人と戯れる動物を見ていて、その細やかな望みを何故だか無性に叶えてやりたくなった。





 ギルドからの正式な依頼が血塗れの罪人に入った。それが、約一週間前。

 子犬がろくに餌も食べず玄関口から動かなくなったのも、丁度その頃だった。

 澄んだ真っ直ぐな眼差しで、唯一人の人物を待ち続けるその後ろ姿は哀愁を帯びている。

 俺は密かに溜息をつき、子犬の傍らに座り込む。


「彼の事なら心配しなくていいよ。流石に一週間以上も音信不通ってのは俺も初めてだけどね」


 ギルド直接の依頼とは、言い換えれば与えられた称号に見合うだけの最高難易度を誇る特別任務。当然、完遂は容易くない。

 帰らぬ身になる傭兵だっている。


 ブラッド自身も例外ではないのだが……実際に殺したって死なないような奴だ。むしろあれは殺す方が難しいと思う。


“……帰ッテ来ナイ”


 ぽつりと呟く子犬。


“マタ捨テラレルノダロウカ?”


 黒瞳は空虚だった。

 悲しみを認めない、孤独な強さを秘めていた。

 自分の口角が自然と持ち上がるのが分かった。


「馬鹿にしないでくれる?」


 発した声音は、俺自身思った以上に不機嫌だった。


「うちの傭兵をあんまり嘗めないでくれるかな? 少なくとも君を見放したのと同類にしないでよ。彼はそんな──人間じゃない」


 子犬が瞳を瞬かせる。

 俺はというと、言った後で一気に気恥ずかしさが込み上げてきてそっぽを向いた。


 何を一人で熱くなっているんだろ? しかも小動物相手に大人気ないぞ、俺。


 軽く落ち込んでいると、床に着いていた手に濡れた感触。

 見ると子犬が俺の手の甲を舐めていた。


「何?」


“信ジテルノダナ”


 子犬が瞳を細めた。それがこの動物の笑みだと気付き、俺もつられて微笑んだ。


「一応、彼の相棒だからね」










 雲一つない見事な晴天だった。

 爽やかに駆ける風。蒼穹の下にはそよぐ緑の海原。アナシア裏街北東部。その小高い丘の上に俺と罪人、そしてかつての子犬は居た。


「遅いよ」


 俺の非難にもブラッドは地に跪いた状態で微動だにしない。彼の両手は土と砂利で汚れ傷付いていた。

 その姿は血塗れだった。

 携帯通話記録に残した俺の伝言を聞き、依頼を終えたその足でこの地に赴いた彼は満身創痍の状態。

 傷付いた身体を引き摺るようにしてやってきた彼は、その手で冷たく硬直した子犬を埋葬したばかりだった。


「そいつさ……君の事が大好きだったんだ。君の側に居る事が望みで、それだけしかなかった」


 燃えるような瞳は、逸す事なく眼下の地に埋めた今は亡き命を見据えていた。


 彼の唇が僅かに開閉し、一欠片言葉を落とす。


「──原因は?」


 多分、俺は苦々しい表情を浮かべていただろう。


「生まれつきの遺伝性疾患。元々寿命は定められていて、その健康状態の善し悪しに関係無く既にもう末期で駄目だったって……ヤブ獣医が言ってたよ」


 一陣の風が吹き、俺とブラッドの髪を好きに弄ぶ。

 互いの視線と想いは最初から一点に集中していた。

 そして俺はその想いを堪える事ができなかった。


「……ただ、君を待ってた」


 言下に、怒りよりもやるせなさと後悔に襲われた。


「君を信じてそいつは待ち続けたんだ」


 吐き出す想いは止まらない。


「薄々気付いてたんだろ? ならもっと早くどうして──こうなる前に──分かって接してやらなかったんだよ……今更、何したってそいつには、死んでからは、届かないんだから」


 死んでからは、届かない。


 俺自身が実際に過去身をもって体感し、痛感してきた心を抉る言葉だった。

 そうしてブラッドを責めた所で、子犬が生き返る訳でもその寿命が延びていた保証があった訳でもない。

 それが分かっていながら彼を糾弾する俺は最悪だった。


 ……ブラッドも、子犬も自分の想いに真っ直ぐな奴だから。彼等はよく似ていたから。

 それが嫌だった。

 だってそれじゃ──


「こいつ……最期は苦しんだか?」


 俺の思考を断ち切ってブラッドは尋ねる。俯き、俺は呟く。


「俺が気付いた時にはもう、眠るように逝ってたんだ」


「そうか」


 無造作に立ち上がったブラッド。その足元には墓石代わりに立てられた短剣が差さっていた。

 刃の十字架を背景に、こちらへと振り返った彼の表情から感情は何も読み取れない。


「ブラッド」


 彼が俺の横手を抜ける瞬間、声を掛けた。ブラッドが立ち止まる。

 そして万感を込め、最後に想いは放たれた。


「……遅いよ」


「そうだな」


 横目で見た彼の頬に伝い流れた落ちた血が、一瞬、涙みたいに見えたのは俺自身の気のせいだったのだろう。

 通り過ぎたブラッドは振り返る事なく、前だけを見て行く。僅かにふらつきながらも、その足取りはしっかりと地を踏んで先へ進む。


 感傷的な気分が見せた幻覚を振り払うように、俺は首を振る。

 そして子犬が静かに眠る墓地を眺めた。


 死を控えた小さな命を拾い、側に置いた彼。訪れる終わりが見えていて、それでも伸ばした指先は一体何を掴めたんだろう?


 不意に頭上を仰ぐと、そこにあったのは眩しい程の一面の色彩。

 ……世界は一つの命の終わりに涙さえ流さない。流してはくれない。この大空ですら泣いてはくれなかった。

 それでも、ただ、一つ言える事は──彼等がお互いを信じ想いあっていた間は──


「君も彼も幸せだったのかな」


 そして今は

 重い心とは対照的に、鮮やかなあの空の蒼さが憎い。









〜『ひかる、そら』

I borrowed a title from “maria”.

thanks!




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