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しかも最近は、常連客である暗殺者の好みに合わせた濃度の高い酒等しか置いていない。
悩み抜いた末、少女にカディスが出したのはカクテルだった。マリンブルーの液体、その中央に浮かぶ桜花が印象的な即席の一品だ。
カディスが一工夫し、アルコール濃度を最も低く作り上げた美酒を静かに味わい、少女は静かな吐息をついた。そして満足気にカディスを仰ぐ。
「いい酒だな。繁盛はしてないようだがな」
「──どうも、恐縮です」
褒め言葉なのか揶揄か分らない少女の言葉に、瞬間的に躊躇しカディスは重々しく頷いた。
それを横目で見ていたケルが、忍び笑いを漏らしながらテーブルに紙幣を投げおもむろに立ち上がる。
「マスター、代金はここに置いていく」
「待て」
カディスの返事も待たずに、颯爽と店を後にしようとするケルを引き止めたのは少女だった。
訝しげに振り返ったケルの銀瞳に、少女の碧い瞳が待ち構えていた。
「何だ? 俺に不良なお子様の知り合いはいないはずなんだがな」
微笑を零しながら揶揄するケルに、一瞬少女は眉を顰める。が、すぐに真顔に戻った。
「……お前、やけに血の匂いがするな。人なのに人を狩るのか?」
少女のその一言で、店内の空気が凍てついた。音楽が流れているにも関わらず、冷気を帯びた殺意と殺気満ち、音を一時的に遮断する。
カディスは片付け作業の手を休め、ケルの微笑が掻き消える。少女は毅然と、ケルを見据えていた。
「へぇ……で、それがどうした?」
瞬く間の、沈黙と静寂を破ったのはケルの一言だった。その声で、凍てついた空気が溶解し、再び店内に音楽が流れ出す。
心配したカディスが額に大量の冷や汗をかきながら、どうにか吐息をつく。
ケルのような一流の、強靱な精神を持つ暗殺者が放つ殺気は凄まじい。殺気だけで、常人には耐えきれない程の負荷を与える力があった。
だが、少女は平然とケルを見つめていた。ケルの殺気を一瞬だが、正視から受けてもなお微動だにせずに。
「別に、ただの疑問だ。気に障ったのなら謝ろう」
悪気は無かったというように淡々と言葉を吐き出す少女に、ケルは鼻白む。
少女はカウンターに向き直り、再びカクテルに口をつけた。
その傍若無人な後ろ姿を、腑に落ちない表情で見つめるケル。カディスは額の汗を拭い、ケルに目で先を促した。
用は済んだろう? もう今日は構わず早く帰れと、その瞳は明確に語っている。
実は、ケルは二週間前カディスの店で一騒動起こしていた。
暗殺者は暗殺者の兇刃に倒れるのがこの世の原理なのか、その日、10人近くの暗殺者にケルは急襲された。そしてものの見事に、その暗殺者達を返り討ちにし、カディスのバーの店内を紅黒く染め上げたのである。
買い出しに出ていたカディスが帰ってきた時目にしたものは、自身のバーの人だかり、そして無残な惨殺死体の放置。
ただでさえ人が寄り付かないバーに、ケルがより拍車をかけてしまっていたのだ。
──結果、ケルは店内の掃除と今後同じ事が起こったら本店への入店は一切認めないという警告をカディスに受ける。
「あの時は状況が状況だったんだ。次の仕事も押してた。仕方ないだろ?」というケルの言い訳を、カディスは相手にしなかった。
渋々承諾するケルよりも、言わずとも一番の被害を受けたのはカディス自身だった。
第一容疑者として疑われ、署に連行され長々と不問な取り調べを受けた。
やっと解放され自身の店へと帰りつけば、当の犯人はちゃっかりと入荷したばかりのボトルを空けている。
ケルはカディスの斜視を受けて「分かった」と片手をヒラヒラさせ意思表示をし、店を出て行こうとした。
古びた扉にケルが手を掛けようとした──正にその時だった。
戦慄が、三人の体を走り抜けた。
ケルは咄嗟に目前の扉から離れ、身構える。先程のケルの殺意を超える程の殺気が、扉の外には渦巻いていた。
その恐慌と怖気を催す圧力に、カディスは再び流汗淋漓と、少女は体を硬直させる。
怒濤のように押し寄せる敵意と殺意が二人を圧倒する中、その中でただ一人ケルだけが抗うかのように扉に向き直っていた。
直感的にケルは感じとる。
面倒臭そうな相手だ。
反射的に常に懐に隠し持っている短剣にケルが手をかけた瞬間、三人を呑み込んでいた渦潮のような悪意が嘘のように唐突に消失した。
短剣に手をかけたままケルは唖然とし、少女は驚いたように扉へと振り返る。カディスだけが安堵の吐息をついて、その場にへたりこんだ。
退いたのか? だが、どうして──
ケルの思考は、次の瞬間鋭利な破砕音と共に中断されていた。
店の玻璃窓が全壊し、無数の硝子の砕片の猛雨がケルへと牙を剥く。それと同時に、店に強大な震動が走った。
カディスが驚倒し、思わず声を荒げる。
「な、何だ!?」
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