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無音の膨大な殺意に勘づいたベンは、その場に縫い止められたかのように一歩も動けなくなってしまった。


口内が渇き、嫌な汗が絶え間なく噴出し続ける。


唾を飲む事さえ、今のベンには困難だった。


冷戦のように無言で刃を交わし、佇む暗殺者達。

まるで心臓が抉り出されるようなこの鋭利な空間から、できる事なら逃げ出したい。

激しい逃走の衝動に駆られるベンが路面に倒れ込んだのは、まさにそう思った瞬間だった。


倒れ伏したベンの頭上を、数瞬遅れて白刃が通り過ぎる。

リヴェードは忌々しそうに舌打ちして、ケルとの間合いをとった。


膝裏に足蹴りを叩き込んでベンを転がしていたケルは、地面に伏した彼を見下ろしてぞんざいに言葉を吐き出す。


「退いてろ、邪魔だ」


双剣を交差させるように構え、ケルは薄く笑った。
視界の標準はリヴェードに定められている。


口元から消えない綻びは、殺しが生き甲斐となった者が見せる凄絶な笑みだった。

そしてそれは同様にリヴェードにも浮かべられている。






──ケルは日常の殺戮の予感に内心狂喜していた。


殺意が殺気が血の匂いの予感が、自分自身を非道に残酷に残虐に歪め捩じ曲げてゆく。


どうも……加減はできそうもない。


久々の殺り合いが、彼にとっては異常に楽しみだった。





ケルと同様にリヴェードの方も、思考は狂気じみたものに染まっていた。





憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い──

あの銀狼をやっと八つ裂きにして殺れる。


あの美しい顔半分を自分と同じように醜悪にしてやる。


切り刻んで原型を止めぬ程にしてやる。



絶望させて苦しめて


一切の光は与えず、深い死の奈落の闇底へと突き落としてやる。








二匹の魔物に露になった殺意を浴びる前に、ベンは無意識の内に路地の片隅へと離脱している。

瞳は暗殺者達に釘付けになってはいるが、その場から脱出しようと身体はジリジリと路地奥へと後退していた。


──そうだ! ロラン、あいつら。


不意に我にかえったベンの脳裏には部下の姿が浮かび上がる。


リヴェードは殺したと言っていた。


……信じない! 信じられるか! ──この目で確かめるまでは!!


悔しさ自身の腑甲斐なさに強く奥歯を噛み締め、ベンは暗殺者達を尻目に睨んだ。

そしてそのまま密かに路地奥へと姿を消した。







「貴様を殺して我が汚名を晴らす。忘れはしないぞ! 貴様が私にした死にも優る仕打ち」


怒りに震えるリヴェードに対し、ケルは笑みを深めた。

だがそれはあまりにも渇ききった笑み──嘲笑だった。


「それはお前の仮面を剥がし、その下の素顔を大衆に拝ませたからか? それとも止めも刺さずに、動けなくなったお前をその場に捨て置いた事を言っているのか?」


「両方だ!」


恥辱に顔を歪め、殺意に燃える暗殺者は目にも止まらぬ速さでケルの首筋を刺し貫いた。

思わず銀狼を仕留めたという改心の笑みを浮かべるリヴェードの顔が、驚愕に変わったのは次の瞬間だ。


剣で貫いている筈のケルが、突然掻き消えたのだ。

そしてリヴェードの背後からは膨大な殺気。


「鈍いぞ。俺の幻でも見えたか?」


リヴェードが振り返る間もなく、ケルの瞬速が流れた。


鈍い音と共にリヴェードの仮面が弾け飛ぶ。


「悪いな、手元が狂ったようだ」


悪びれた様子もなく気軽に言うケルの瞳には、リヴェードの素顔が映り込んでいた。


顔面の右半分が糜爛し、そこに存在する筈の眼球が喪失・暗い空洞が頭蓋へと続いている。
糜爛した箇所の所々には壊疽による黒色の染が疎らに広がっており右上唇の壊疽の進行は早いのか、唇の腐り落ちた隙間からは歯が覗いていた。


常人ならば怖気が走り気を害す恐ろしい光景に違いない筈なのに、ケルの瞳はそれを正面から直視していた。


そして笑った。



「前より、随分男前になったんじゃないのか?」


それはまるで友人をからかう様な口調。

そして次はその口調を裏切る冷酷な行動。


リヴェードが異議を唱える間も無く、ケルの二撃目が彼の右顔面に容赦なく叩き込まれた。

糜爛しきった肉を深く断ち切りながら、紅き飛沫を上げ凶器が駆け抜ける。


悲鳴とも怒声とも区別がつかぬ叫びが、リヴェードの喉から迸る瞬間。

その絶叫を塞ぐべく、神速の第三撃目が宙を凪いだ。




──目に見えていた勝敗は呆気なくついた。


「終わりか……つまらないな」


ケルは、自身の右手に握り締めた刃を何気なく捻る。

そのリヴェードの喉笛を貫いていた刃は、彼の喉頭を深々と抉り引き抜かれる。

身体をビクリと震わせ、両膝を地につけた彼の視線はケルに向けられていた。



何故だ……!?


何故私が奴に膝をついている!?



リヴェードには理解できていなかった。

自分が敗北したという事に。


自分が既に後は死に向かうだけだとは。

斬られた感触はあったが、それは全て銀狼の爪牙が剥かれた後だという事実に。


銀狼が絶対無敵と謳われる真の理由──


それは誰も触れる事の敵わない神速──速さにある。


速度とは勝負の世界においてより重要なものである。


例えばその一撃で相手を死に至らしめる事ができるのならば、先制した者が当然勝つ。


そして一撃で仕留めれずにせよ、敵に手傷を負わす事ができれば自然と優位はこちらに傾く。




銀狼が真に恐れられる理由──

それは出会った瞬間に相手を殺れる、死神のような存在だった事。


触れる事の敵わない速さ。


気付く事さえできない速さ。


それは痛みや叫びさえ先回る神速。


恐怖も絶望も希望さえも感じさせてくれない不可避の速攻。


その事実に、死に直面したリヴェードはようやく理解できていた。

大きく見開いた左目の眼球、呪詛のように溢れ出る喉の傷穴からの空気の抜ける音と液体。


馬鹿な……


速……すぎる……


こ……れが……本当に……人間の……動き……か……!?


眼前の銀髪の男を食い入るように見つめるが、徐々に不鮮明になる視界にリヴェードはあがらえなかった。


いつ事切れてもおかしくないリヴェードに向かってケルは冷笑を送った。


「じゃあな」


化け、物め……




リヴェードの捨て台詞はケルに届く事はなく

彼の身体はゆっくりと倒れ、自らの作った血の海へと頭から突っ伏していった。
激しかった全身の痙攣は徐々に萎えてゆき、やがて完全に停止する。

石畳に浸透してゆく血の絨毯の上で、リヴェード・ダルクスは静かに絶命した。



──……これが銀狼に牙を剥いた大抵の哀れな愚者の末路だ。



両短剣に付着した液体を振り払い、無造作にリヴェードの遺体を見つめるケルの瞳には何の感情も含有されていなかった。


その姿はまるで動かなくなった獲物に興味を失った獣のようだ。


ケルの、殺り合う前にはあれ程高まっていた狂気じみた高揚感も今では冷めきってしまっていた。


それにしても……


リヴェードの死体、それ以上に気になるのか右腕から肩にかけて返り血に染まった上着を斜視し、軽く嘆息する。


「クソっ……汚れた」


誰にともなく毒づき血に湿った袖口部分を摘み、ハタとケルは妙な違和感を強く感じた。


いつもならば瞬速で駆け抜け舞うケルの剣舞の前には、返り血一つ届かなかった。

それが今日は相手の噴出した血糊が、彼の肩を覆うように濡らしている。


自身の身体に、確実に、あの男が言っていた変調が訪れているようだ。


致命的な現実を目の当たりにし、ケルは思わず微苦笑する。


「死体に戻る、か……」






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