フリリク第二弾 夫人公認で公爵に愛人として囲われるG 前編 姉さん、ピンチです。 人生最大のピンチです。 ガイは膝の上においた拳をぎゅっときつく握る。 何故かバラの花弁が散らされている絹のシーツの上に腰をおろすのは危険極まりないと、脳内の警告に素直に従ったガイは窓際に置かれている椅子に座った。 背にある窓は、天井まで届くほどの高さで、青白い光を室内に差し入れている。 カーテン引いたほうがいいのかな、いや、まて。そうなるとランプの灯りだけになって、なんだかそれってムード満点じゃないだろうか。 先程も同じ事で悩み、悩んで悩んで応えをだしたはずなのに、また同じことで思い悩む。 たかがカーテン。されどカーテン。 普段のガイならば、こんな瑣末な事では心を煩わす事はないのだが、今、目の前に差し迫っている厄災を直視したくなくて、逃避するため思考は同じ処をグルグルと巡っている。 事の起こりは昼。 昼食を終えたルークの剣の遊び相手になるためにガイは部屋に向かった。 扉を開けた途端、がっくりと肩を落としているルークの姿がそこにあった。 「どうした、何を落ち込んでいるんだ」 そう声をかけると、チラリとガイに視線を走らせ、ルークは深く深く溜息をついた。 「お前、元気だよな」 当て擦るようなルークの言い方に、きょうはご機嫌斜めだな、とガイは呑気に考え、苦笑いで応対した。 「はあ、なんでさあ、……あー、もういいや。俺の相手していたら親父が不機嫌になるだろうから、さっさと支度なり準備しとけよ」 しっし、と追い払うような仕草をみせるルークに、ガイは戸惑う。 「ルークの世話を任命したのは旦那様なのに、何故不機嫌になるんだ?」 きょとんとするガイに、苛立たしそうな口調で 「剣振り回して傷とかつけたら大変だろ。もうちっと自分の立場考えろよ!あー、早く出て行けって」 そう怒鳴ると、そのままガイの肩を押してグイグイ扉に追いやる。 立場?単なる使用人だけど? ルークの勢いにおされてそのまま廊下に追いやられると、目の前でバタンと音を立てて扉が閉められる。 扉の向こうで「あー、ちくしょー!あの中年!!!横からかっさらいやがって!!」とルークの怒鳴り声と共に、何かに当り散らしている音が起こっている。 どうやらそっとしておいて方が賢明だな、とガイがルークの部屋の前から立ち去った。 手持ち無沙汰になってしまったガイは、同僚たちに「何か手伝う事はないかい?」と声をかけていった。 だが、反応は皆同じで、ブンブンと効果音をつける程の勢いで首を横に振り「こんな荒仕事させられるわけないだろう」とすげなく断った。 その時になってようやく、皆が遠巻きに自分をみている事にガイは気づいた。 あれ、今日は何かあるのか?とガイがカレンダーに視線を送ろうとした時、ラムダスがいつものように音もたてずに、ガイの背後にすっと立っていた。 「う、うわっ、ラムダスさん」 振り返りながら、びっくりした、と続く言葉はついにガイの口からは出ることはなかった。 いつもは一分の隙も見せないラムダスが、憔悴しきった表情で立っていたからだ。 「お前が女性恐怖症という事で、手配に色々苦労したが、まあ、美容のプロと豪語しているので彼らにまかせておくとして」 そして、ガイにはさっぱり何も見えてこない事を一方的に話し始める。 「へ?あの、彼ら?」 すると、その時、ラムダスの後ろを荷物を抱えた下働きの男たちが通りすぎていく。 それを呑気に、また旦那様が急な模様替えを言い付けたのか、と同情の視線を同僚たちにおくっていたが、荷物の一つがガイの目に留まると、目の前のラムダスの存在を忘れ 「おい!それは俺の荷物だろ、どこに運ぶつもりだ」 と男たちに詰め寄る。 珍しくガイが血相を変えたのは、男たちが彼が愛してやまない音機関を乱暴に取り扱っているからだ。 ガイの問いかけの返事をしたのは男たちではなく、存在を一瞬忘れ去られたラムダスであった。 「お前の新たな部屋にだ。あの部屋に旦那様を呼ぶわけにもいくまい」 は? ガイの頭の中ではその一文字一色で埋まったが、その片隅でピコーンピコーンと警告音がうるさく鳴り響いている。 「そろそろ彼らも来る頃だろう。部屋を案内しよう」 「い、い、いや、俺、そ、その」 撤退だ、今すぐこの場から撤退しろ!と何かが胸の内で叫んでいる。 後ずさろうとしたガイの腕をガシっと何者かに掴まれる。 離せ、と抵抗しようと顔をあげた時「この彼でしょう?いやーん、かわいいー。もう私好みだわ、張り切っちゃう」と野太い声がおりてきた。 悲鳴があがらなかったのが奇跡だと、後からガイは思いを馳せた。 長身のガイより頭二つぶんの背の高い男は、その長身に見合ったがっしりとした体躯をしており、割れた顎は髭の剃り跡が青々としている。 それを隠そうとしているのか、顔面を真っ白なペンキで塗りたくったのかというくらい粉をふいて、唇には、今そこで魔物でも食べてきましたか?と尋ねたくなるくらいに毒々しい赤がのせられている。 広い肩幅の男らしい身体を包んでいる衣服は、フリルだらけのブラウスに(彼のブラウス一枚で女性のブラウスが何枚作れるだろうか、とガイは一瞬考えた)目の覚めるようなピンクのボトムスであった。 「あ、あ、あの」 「お部屋はどこ?彼を隅々までピカピカに磨いてあげるわ」 有無を言わさずガイをそのビヤ樽のような太い腕で小脇に抱えあげて、ラムダスに部屋を尋ねる。 「部屋はこちらだ」 この数分の間、憔悴を増したラムダスが男を案内するために歩き出す。 赤い絨毯しか見えない中で、ガイが必死に 「ちょ、ちょっと!ねえ、ちょっとー!!!」 と足をばたつかせて抵抗するが、「あらあら、お転婆さんね」とピシャリと尻を叩かれ、その掌の強さに負けて大人しく身を任せることにした。 そこからはただ、ただ、暴風雨がガイの中で吹き荒れた。 新しくガイに宛てがわれた部屋は、屋敷の奥の日当たりの良い場所で、ルークの私室よりも広いものであった。 大理石の床の浴室には、猫足のバスタブが置かれている。張られた湯にはバラの花びらがいくつも浮かんでいる。 どこの貴族のお姫様だ、とツッコミをいれる暇もなく、浴槽に身を沈められると、海藻の匂いのする怪しげな泥を顔や体中に塗りたくられた。 「あらん、お肌スベスベなのに、クレイパック必要かしら」「初めては何事も完璧によ。それより、あなた、ハーブティーの用意はどうしたの」 今この浴室にいるのは全て、生物学では男と分類されている。ラムダスの言葉がガイの脳裏に蘇る。 いくら俺が女性恐怖症だからって、何もオカ………異性装者を呼ぶことはないんじゃないですか、ラムダスさん!と心のなかでガイは叫んだ。 身体のあちこちを文字通りピカピカになる程に磨かれ、ぐったりとした面持ちで浴室から出てきたガイを迎えたのがシュザンヌであった。 「まあ、ガイ。見違えましたよ」 おっとりとした口調で声をかけてくるシュザンヌに、ガイは己の笑顔が引き攣っているのを自覚した。 「これからは旦那様のお世話を頼みましたよ。 ああ、でも、ルークが酷く寂しがっているの。 始めはあなたも色々と大変でしょうから、体調のよい午後にでもあの子と遊んでやってくれないかしら」 「あ、あの、奥様。私は別に旦那様のおせ」 「頼みましたよ」 ガイの問いかけを、聖母のように優しげな笑顔で、だがそれ以上紡がせぬように言葉で遮る。ひやりとしたものがガイの背を伝った。 「貴方達もご苦労でした」 王族でありながら下々の者への気遣いを忘れぬシュザンヌは、労りの言葉をガイの周囲の者へと掛け、そのままメイドに連れられて部屋を後にした。 扉が閉められて僅かの沈黙が部屋に満ち、はあっと大きく息を吐いたのは、ガイを小脇に抱えて運んだ大男だった。 息と共に 「あなた、逃げられないわよ」 とお気の毒にと同情の視線を送られた。 「……だよ、な…」 つられるようにガイも大きく息をついた。 シーツにバラの花びらが撒かれた広い天蓋付きベッドを、ガイはひたすら絶望の眼差しを送る。 シルクのナイトガウンは軽く滑らかだが、心もとなく、前合わせをギュっときつく締め上げる。 姉さん、これは、どう考えても、俺の貞操の大ピンチです。 はあっと本日二桁になった溜息をついて、手で顔を覆う。 その時、鍵の回る音と共に扉が開かれた。 覆っていた手をおろすと、ゆっくりと椅子から立ち上がる。 足を踏み入れた屋敷の主がガイを一瞥すると、ゆるりと部屋を眺め回す。だが、ある一点で視線が凍りついたように止まる。 「あれは、お前の趣向か」 視線の先にあるのは、ベッドのうえに散らされたピンクや赤や白と色とりどりのバラの花弁であった。 咎めるよりも呆れを多く含んだ問いかけに、ガイは己の名誉にかかわると慌てて否定する。 「いいえ。私は旦那様のご趣向かと思っておりましたが」 するとベッドに釘付けだった視線をガイに移すと、その翠の双眸に「んなわけあるか」という抗議の色を濃く差した。 「シュザンヌだろうな。何やら浮かれ、珍しく精力的にメイド達に指示しておった」 「はあ」 ああ、それは納得だ。この手の趣向は女性がよく好む。17歳の子供をもつともは思えない程、浮世離れしているシュザンヌ様ならあり得る。 同じ間で、ふうっと二人の口から小さく溜息が零れた。 「あの、旦那様。本日は一体なんの御用でしょうか」 二人きりという事や、珍しくいつも漲らせている威圧感は鳴りを潜めている事もあり、ガイは思い切って言葉をぶつけてみる。 「……聞かされてはおらんのか」 その返答も、いつもの威厳にみちたものではなく、ぽろりと口から本心がこぼれたような声色だった。 「ええ、何がなにやら。誰かと間違われているのではないか、と想いまして」 とにかく無邪気な振りして、とぼけてこの場をやり過ごして逃げちまえ!と心の声に従い、笑顔を向ける。 無言で調度品に向かうと、そこから何やら書類を一枚取り出してガイに向ける。 「これ…は?あ、先日の」 三年に一度、雇用契約の更新がファブレ家では行われる。公爵が無言で突き出していのは、先日ガイがサインをした新たな雇用契約書である。 「それが何か」 「明記してあるが?お前が私の愛人になる業務が新たに追加された事を」 「はあああっ?」 乱暴に公爵の手から用紙を奪い取ると、まじまじと見つめる。 そんな馬鹿げた事を書いていたら、サインなどするわけがない。 要項は以前と変わらずに衣食住の保証と月々の賃金、特別手当についてで埋められている。 特別手当はルークが記憶喪失になって以来専属の世話係を自発的に請け負った時から明記されるようになった。 普段と変わらぬ書類だ。と、ふと、細かく小さく、かつかなりうすーく一文が追加されている事にガイは気づいた。 「む、無効です。こんな一文気づくわけがない」 「だがサインはしている」 「帰責事由による不履行を申し立てます」 「ほう、賢いな」 「っ!からかってんのっ………おいでですか?」 怒りを滲ませて、最低限の取り繕いさえもポロポロと剥がれ落ちていくガイに、公爵は鷹揚に答える。 「賢いから賢いと褒めただけで他意はない。私の愛人になるには最低限の教養も必要かと考えていたが、それもあまり必要ないようだな」 「いや、だから、その愛人云々の話がおかしいっ!ムリ、絶対ムリですから」 「何事もやってみなくてはわかるまい」 「やらなくてもわかります!ム・リ!!」 一語、一語切って語気を強く返すガイに、ふむ、と公爵は顎に手を当てて思案顔だ。 沈黙が部屋に満ち、気まずさは頂点に達している。 だが、ガイは引けぬと思った。 ようやく何か思い当たったようで、公爵はガイに向き直る。 「私も手荒な真似をするつもりは毛頭ない」 その言葉にほうっと安堵の息をつく。 「と、考えていたが、この場合は致し方ないな」 とそのままガイの腕を強く掴んで、引き寄せる。 うっかり油断して不意をつかれる形となったガイは、あっさりと公爵の腕の中におさまる。 「お、お、お、お戯れはもう、この辺で」 「私は戯れや冗談を口にしたことはない」 そりゃ知っている、とガイは胸の内で返す。無愛想、仏頂面、傲慢で鋭い眼光で終始ピリピリした空気を纏って使用人に緊張を強いる人物だ。 息子のルーク相手にでさえ、一度たりとも笑顔すら見せたことはない。 「い、いや、そ、う、うわああああああっ!!!!」 絶叫がガイの新たな部屋に迸った。 後編へ |