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小話
黄昏 その4
眠れぬ夜


静かにガイは目を開く。
そこに広がるのは闇だった。
部屋の明かりは落とされ、窓から差し込む月光は新月ゆえ望めない。
静かに身体を起こし、耳を研ぎ澄ませる。せつな、寝台から下りて静かに扉をあける。
ガイを眠りから起こした微かな音が、僅かに大きくなる。

「…かっ…、はっ、アッ、」
喉に何か引っかかったような途切れ途切れの悲鳴を漏らしながら、引きつけを起こしている。
「おい、ヴァン!!」
寝台を激しく軋ませながら痙攣する身体を掴み、大声で名を呼ぶ。
すると、弾かれたように目を開いたヴァンは動きをピタリと止める。
何もない虚空の一点を見つめ、それからゆっくりとガイの方に視線だけを向ける。
「ゆ、……め?」
「おい、大丈夫か」
瞬きを繰り返すと、茫洋としていた瞳に光が戻ってくる。
「は、はい。すみません、悪い、夢をみて、しまって」
整わない呼気で、途切れ途切れに言葉を紡ぐ。
「水を持ってきてやる。それとタオルも」
ガイはそう告げ、素早く動く。ヴァンはゆっくり身体を起こし、まだ震えのとまらない自分の手を見つめ、それからぎゅっと握りこむ。
すぐさまガイは戻ってきて水の入ったグラスを差し出す。
一気に飲み干すと、次はタオルを渡される。その時になって、ヴァンは自分が汗をかいている事に気づく。
顔を拭くのをガイはじっと見つめ、椅子をベッドの傍までもってきて座る。
「なあ、ヴァン。どんな夢をみていたんだ」
「……大した事ではありません」
睡眠時にヴァンが取り込んだローレライが接触をしているのかもしれない。
ローレライから遠隔で接触を試みられていたルークは、そのたびに激しい頭痛に襲われていた。
人という身で星のエネルギーの思念体を取り込む。その反動は彼の身体を酷く苛んでいるのではないか。
そうガイは危惧していた。
ヴァンの変化を注視してきた。だから、今夜の小さな声を聞き逃さなかったのだ。


「なんでもありません」
静かな声は拒絶の色を滲ませている。
だが、ガイも引き下がらない。
「なんでもないって事はないだろう。お化けに追いかけられる夢でもみたのか?」
「違います」
「じゃあ、高い所から落ちる夢とか」
「いいえ」
「じゃ、女性に囲まれる夢とか」
「……それは恐い夢になるんですか?」
「んっ…そ、そうだな。なあ、ヴァン、正直に話せよ。こんな事初めてじゃないんだろ」
握りこんだ拳がぴくりと反応する。
「いいえ、初めてです」


これ以上の質問は無駄だとばかりに、ヴァンは口をかたく引き結ぶ。
だが、ガイは追撃の手を緩めなかった。
「……実験の後遺症か?」
幼少時の記憶しか持たないヴァンが、ここまで頑なな態度を貫くとすれば該当するのはそれしかない。
ぎゅっと唇を噛み締めれば、それは肯定しているようなものだ。
11歳で良かった。
27歳の彼ならば「さあ、とんと存じません」としれっと平気な顔で嘘を貫く男だから。
そしてそれを優しさだと勘違いしている大馬鹿野郎だからだ。
「なあ、ヴァン。
お前はなんでそう一人で抱え込もうとするんだ。
何故周囲に助けを求めない」
「……ガイの言っている事がわかりません」
「あんなにうなされて。実験はそんなに酷かったのか」
「だから、違います」
「夢の中でも、実験を思い出すくら」
「だから!!」
ガイの言葉を遮る自分の声の大きさに、ヴァン自身が驚いたようだった。
目を丸くし、それから俯きながら静かにガイに壁をつくる。
「申し訳ございません。でも、本当になんでもないんです」


「ふざけるな!」
びくり、とヴァンの身体が跳ねる。
顔をあげれば、そこにはきつく眉を寄せ、険しい瞳で怒りを滲ませるガイがいた。
「ヴァン。いや、ヴァンデスデルカ!
何故一人で抱え込む。何故誰にも助けをこわない。何故誰にも弱音を零さない。
自分だけが我慢すれば事が丸く収まるとでも?
お前のその尊い自己犠牲の精神は、周囲がどれだけ手を差し伸べようともそれを振り払って。
それは単なる自己満足だ」
後に、このガイの発言を振り返ってみれば、彼の安っぽい挑発だったのだ、とヴァンはわかる。
自分から言葉を引き出すための。
だが、幼きヴァンはそれに乗った。
「仕方ないでしょう!!お国のためです!マルクトの未来のために私は!」
「お国?お国とはこれはご大層な名目を掲げてきたな」
「…っ、ホドを、戦争から守るためには、私が実験台になれば」
「守るのか?マルクトがホドを本当に守ってくれるのか?軍事拠点としてはホドの地形は向かない。救援物資を運ぶ経路は海路のみだからな。
だからホドでは軍人より研究員の方が多く配置されている。
それで有事の際に軍が、国が何をしてくれるんだ。精々研究データを持って我先に帰るだけだ」
ぐっとヴァンは言葉に詰まる。
外見は27歳でも中身は少年のままだ。それを完膚なきまでに叩きのめす事に、ガイはちくりと胸に痛みを覚える。
だが、この頑固な少年を突き崩すのは今しかないと考える。
「だからこそ、ホドは、昔から男も女も剣を持ち、武勇に長けている。
己の身を守るために。己の大事なものを守るために。
……そうだろう?」
ヴァンの唇がわななく。
「だから、お前の母上も、お前を守りたかったはずだ。身重の身でありながら、研究施設に常に付き添っていたのは、非人道的な行いをお前にしないか監視するために。
マリィベルもお前に常に声をかけていたはずだ。『あなただけに辛い思いをさせる気はありません。何でもいいのです。私に言いたいことがあるはずです』と
小さなガイラルディアだってそうだ。お前が元気ないからと小さな花をもって見舞いに行くと一人で飛び出して、迷子になって、結局お前が見つけた。
なあ、お前が守ろうとしてた人たちは、いつもお前を守ってやりたがったんだ。わかるだろう?」
静かで穏やかな声が、ヴァンの胸にゆっくりと染み入ってくる。
必死で守ってきたものが綻びはじめる。
「でも……私が、我慢、すれ…ば」
「そうだな。だからずっと一人で耐えて我慢してきた。
だけど、実験はもう終わりだ。な、もうあんな非人道的な実験はないんだ。お前を誰も苦しめない。
お前だけに何も背負わせない。
だから、お前は今まで溜め込んできた苦しい思いを、少しでも零して欲しい。
つらかった、こわかった、いたかった、いやだった。
なんでもいいんだ。一人で抱え込まないでほしい」
「つ、つらかっ…たです」
言葉がこぼれおちる。


「こわかったし、いたかったし、つらかった。でもそれを言ってはいけないと……、お、思って。
フェンデの立場や、それにガルディオス家にも害を為すと思って、言っては、いけない。
母上を悲しませてしまう。苦しませてしまう。大好きな人達に迷惑をかけてしまう。
それならば、私が、我慢すれば、いいって……
でも、実験は痛くて。それに、実験してない時も暴力的な衝動が起こったり、逆に、酷く陰鬱なきもち、になって。
自分が自分で、なくなるようで、こわくて」

声を震わせて、途切れ途切れになりながらも、溜め込んでいた言葉を吐き出す。
嗚咽が混じるその告白をガイは、己が斬りつけられたように、苦い顔をした。
腕を伸ばし、ヴァンの頭を引き寄せる。

「よく頑張ったな、ヴァンデスデルカ。
フェンデの誇り、ガルディオスへの忠心、それらを守ろうと本当に頑張ってきた。
えらいぞ。でも、もう頑張らなくていい、お前は休んでいいんだ。
そして俺にもっと甘えろ。
怖い夢をみたら、俺がそばにずっとついてやる。お前の手を握ってやる。
幼いガイラルディアにお前がしてくれたように、俺が、お前を、悪夢から守って、やるよ」
ガイの声は震え、濡れている。
その時、ヴァンの脳裏に何かが過ぎった。だが、今は優しい温もりにただ包まれていたかった


その5









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