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小話
黄昏 その1
プロローグ


※一話完結の連作
※27歳のヴァンの精神だけが11歳になるという逆コナンなお話





窓際に座って静かにページをめくっている。
文字を追う蒼い瞳はとても穏やかなものだ。本の世界に没頭し時を忘れ読み耽るヴァンに、ガイは声をかける事に少し躊躇う。
だが、そろそろ腹の虫が空腹を訴える頃である。
「夢中になるのはいいが、もうお昼だぞ」
明るく気さくに笑うガイに、ヴァンは慌てて本に栞をはさむと
「ごめんなさい」
と立ち上がって素直に謝る。
「おいおい、そんなに大袈裟に謝るなよ。俺も譜業に夢中になることがあるからおあいこってやつだ。さ、手を洗ってこい、今日は特製海老天丼だからな」
「はい」
元気よく返事をすると、洗面台に向かって駈け出していく。
その背が扉の先に消えていくまで、笑顔のまま見詰める。
彼の「子どもらしさ」が微笑ましくて、口元を緩ませながら小さなキッチンに向かう。
幼少時から行儀よく真面目で聡明な奴だと思っていたが、意外にも子供らしさがあったんだな。音を立てて駆けだすヴァンなんて初めて見たんじゃないか。
過去の情景と今を照らしあわせていると、ふとガイは気づく。幼い自分の前で彼は年上らしい振る舞いをしようと少しばかり背伸びをしていたのでは、と。
それはあながち的外れでもない気がした。

「運びましょうか?」
手を洗い終わったヴァンが躊躇いがちに声をかけてくる。
思わずびくりと肩を震わせる。
戸惑いが表情にのらぬように注意を払いながら、肩越しに僅かに振り返り笑ってみせる。
「じゃ、グラスを運んでくれるかい」
「はい」
嬉しそうに返事をするとグラス2つと、水差しも運んでいく。
そう広くはないテーブルに海老天丼を置いて、自分の席に腰を下ろす。
目の前に座ったヴァンが行儀よく「いただきます」と手をあわせている。
外見とのギャップに思わず苦笑いしそうになる衝動をおさえながら「いただきます」と同じように手を合わせる。
「美味しいです」
「ありがとな」
向い合い昼食を食べる二人の視線の高さはそう変わらない。
だが。
「海老美味しいです。ホド諸島では美味しいお魚がたくさん捕れるんです。いつの日かガイ……も足を運んでいただけたら…」
呼び捨てにするように言ったのはガイだ。
だが、ヴァンはそれに慣れないでいるようで、名を呼ぶ時いつも躊躇いがちになる。
「ガイラルディア様もすごく喜ぶと思います」
「そっか。俺も、…行ってみたいよ」
ガイの言葉にヴァンが嬉しそうに目を細める。そのヴァンをみて胸の奥がつきりと痛む。


今、ガイの目の前に座り、彼の作った食事を上品な箸使いで口に運ぶのは、27歳のヴァンである。
軍人らしい鍛えられた体躯と、まだ20代とは思わせぬ威厳漂う容姿。
だが、その精神は、ホド崩落という業を背負わされる前の11歳の少年、ヴァンデスデルカであった。


********


「こんな意味有りげな手紙を寄越した目的はなんだ」
宿屋のドアの隙間に差し出された手紙を、戯言だと廃棄する事すら出来ずに出向いた自分をどに苛立っているように、ガイの纏う雰囲気は剣呑なものであった。
だが、彼と対峙しているのは、リグレットとラルゴである。剣の鞘に手をかけながらの問いかけるガイの姿勢は間違ってはいない。二人に殺意がないとわかっていても、だ。
「書いた通りだ。ホドの生き残り」
「『11歳のヴァンを救うために手を貸せ』ってあの戯言がか」
「ああ、そうだ」
呼び出したリグレットが対話のテーブルにつく気すら感じられない態度に、ガイも眉に皺を刻み、青い目がすっと細められる。
二人の緊迫した空気にラルゴが割って入る。
「俺を信じてついてきてくれんか。大した時間はとらせん」
そう告げると背を向けさっさと歩き出す。リグレットもガイもラルゴの広く大きな背を黙って見つめていたが、ガイは鞘から手を下ろし、リグレットも刺々しい空気を緩和させ、後に続いた。
ガイ達がとった宿屋とかなり離れた場所にある宿屋の扉をくぐる時、ラルゴがようやく口を開く。
「お前が帰りたければ、俺が責任をとってあいつらの元に必ず帰そう。だが、万が一にも、総長をほうっておけぬとお前が考えたなら……」
そう前置きし、ラルゴは先を歩きながらガイに事情を話す。
それは俄には信じ難いものであった。
「百聞は一見にしかず、だ」
そう言うと二階奥の扉を開ける。きいっと蝶番の音が鳴る。


*********




扉が開いた時、ラルゴ、と名乗った大きな男が窮屈そうに身を屈めて部屋に入ってきた。
それは見慣れた光景であったはずだ。だが、それに続く人物をとらえたとき、瞠目し椅子から立ち上がる。
「ジグムント様!」
とっさの言葉に、金色の青年は顔を強張らせその場に立ち止まる。
その時、己の失態に気づいた。
金糸と蒼い瞳は同じだが、よくみれば顔立ちはそう似てはいない。第一年齢が違う。
纏う雰囲気がジグムントに似ていたため錯覚をおこしてしまったようだ。
「失礼しました。人違いでした」
頭を下げて謝辞すると、部屋の空気がピンと張り詰めた。
だが、男の声がそれを霧散させる。
「悪いな、血縁があるのはユージェニー様の方だ。俺の名はガイ・セシル」
「…セシル家の御方なのですか」
「ああ、ヴァンデスデルカ。俺は、お前を……救いに来たんだ」
すっと目の前に手が差し出される。自らの手を動かすと、視界に見慣れぬ手が入ってくる。思わず眉を潜める。
ちがう、こんな手ではない。こんな顔でもない。こんな低い声でもない。
目が覚めた時、見たこともない男女に囲まれていた。
若く美しい女性と、熊のような大男と、細身の少年。年齢も性別もバラバラな三人は、ホドでは見たこともない衣装をまとっている。
マルクトの軍服とも違う。
だがすぐにそれがローレライ教団オラクルのモチーフであることに気づく。
何故ホドにローレライ教団が?
すぐさま警戒を強める。フェンデが守り続けている譜石が目当てなのか、と。
「誰だ、お前たち」
自分の口から出た言葉は、たしかに自分のものであったのに、そうではなかった。「声」が。
喉に手を当てる。張り出した喉仏、何よりも喉に触れる掌はゴツゴツと硬い。
ベッドから飛び起きて、鏡を探す。背後で「――か。如何……れまし……か」先ほどの女性が声をかける。
だが、酷い頭痛と耳鳴りで言葉を聞き逃す。
洗面台の鏡を見つけ、その前に立った時、喉から絶叫が迸る。
誰だ、誰だ、誰だ。この「男」は誰だ!
「…か!お身体に――――ま…」
美しい顔立ちの女性の手が背に触れた時、反射的にそれを振り払った。
「お前たち、誰だ。僕に何をした!ここは…どこだ」
「……リグレット、ちょっと黙って」
すっと小柄な少年が前に出てきて尋ねる。
「名前は?」
ぐっと唇を噛んで答えない。
「記憶がぶっ飛んだ…とか?」
「記憶はある。僕は、ホド領主ガルディオス伯爵家とも縁がある者だ」
「…へえ、賢いね。警戒し名を明かさずに、そして一応の釘も刺しておくって事か」
「どういうことだ、シンク」
事の経緯を静観出来ずにいる女性を少年はピシャリと跳ね除ける。
「ちょっと黙っててよ。今は口を挟まれたくないよなあ、ヴァンデスデルカ・ムスト・フェンデ」
その時、視界がブラックアウトした。


次に意識を取り戻した時、囲んでいた男女三名がそれぞれ名乗り事情を話した。
マルクトの非人道的実験で、身体を構成するフォニムが暴走し、急激な成長を遂げてしまった事。
かねてよりこの実験に難色を示していたガルディオス家はこの事態を重く見て、秘密裏に逃したこと。
ダアトを亡命先とし、エベノス導師より派遣されたオラクルが彼ら、リグレット、シンク、ラルゴ、の三人。
母は別の派遣隊が救い出し、ユリアシティという場所で保護されていると知らされた。
俄には信じ難い話であった。不審に思っている事を隠しもせずに、問いかける。
「私に打診もなく、ガルディオス家がそのように動くとは信じられません」
違和感に頭が重くなる。自分が発する言葉なのに、別人が話しているようで、気持ち悪さがつきまとう。
「そうだねえ、アンタをユリアシティに亡命させ、母親と対峙させれば納得してもらえるかもね。
だけど」
少年は言葉を切って、顔を近づけニヤリと笑う。
「ホド在留のマルクト兵が大騒ぎしててね。そりゃ貴重な実験体を逃してんだもん。大失態だよね。
船の中隅々まで検めるという暴挙に出てしまって当分ユリアシティにアンタを運べない。
後残るは…、アンタの母親を無理にこっちに連れてくる事だけど、変わり果てた息子の姿みてショック受けてねえ。
今、妊娠してるんだろ。動かすのは流産のおそれがあると言って医者がとめてるんだよ。
だから今ボクらはあんたに事の真実を証明する術は全くない。信じなきゃ信じないで構わないよ。ボクは面倒なミッションがなくなるだけだし」
一気に捲し立てると、もう興味がなくなったように肩をすくめて部屋の隅の壁に背を預けている。
彼らの言うことに一理あるのだろうか。いや、誘拐犯の可能性もある。私の身柄と引き換えに譜石を奪おうとしているのでは……。
「あー、そうだった。世話係として、ガルディオス家と縁戚関係にある子を呼ぶように一応手配もしてあるよ。会ってみる?」
シンクの言葉に、リグレットという女性が血相を変えて「シンク!」と鋭く叫ぶ。
だがシンクは気にした様子もない。ラルゴは顎のひげを一撫でし「会ってみてはどうだ」と後押しをする。
少し考えたい、一人にさせてくれ、と言えば皆すんなりそれを聞き入れて部屋から出ていく。
だが、鍵はかけられた。
ホドから離れて一日かのか、二日なのか、それとももっと多くの日にちを経ているのか、さっぱりわからない。
だが、確かにこの身は大きく変化している。
「ガイラルディア様、マリィベル様……」
金色のひだまりのような、姉弟が脳裏に浮かぶ。
二度と会うことは敵わないのだろうか。こんな…身になってしまった私は。



差し出す途中で固まっている手を、暖かな手が包みこむ。
「びっくりしたよなあ。急に身体がおっきくなったんだから」
心底労る優しい声に、視線を目の前の青年に移す。
にこり、と殊更陽気な笑顔を浮かべる。この笑顔を私はよく知っている気がする。
「大丈夫、元には戻るさ。だけど、今は身を潜めていなきゃいけない、わかってくれるか?」
こくりと頷く。声は殊更出したくない。
「そう長くはならない。だから、俺と、二人で暮らしてみないか?」
「あなた…と?」
「ああ。オラクルとは息が詰まるだろ。だから俺と二人でだ。この街を出て少しいけば崖がある。その崖のそばに小さな家があるんだ。
そこで当分身を隠そう」
「………」
「何か心配事があるんだろう。母上、ファルミリアリカ・サティス・フェンデ様が心配かい?」
「…………それも、あります」
「あとは?」
「…………ガイラルディア様と、約束していたんです。今度の日曜日、蝶を捕まえにいくって。だから……きっと…残念に…」
目の前の青年の笑顔が一瞬曇る。そして目を細めて、肩に手を置く。
「そうか、泣き虫ガイラルディアは幸せだな」
「……ガイラルディア様のことご存知ですか?」
「実物はお目にかかった事はないけどね。一応、ユージェニー様からの書簡で色々知っているよ。
姉のマリィベル様から「男でしょう」と言って素振りを毎日させられていること。そのせいで掌の豆が潰れて大泣きした事。
ああ、そうだ。かくれんぼしたのはいいけど、その時不幸な事に君がいなかったらしく、マリィベル様がなかなか見つけることが出来ずに
オロオロしはじめて。そうしたらガイラルディアも「姉上ー」と泣きながら出てきて、二人で抱き合ってわんわん泣いた事とか…ね」
この人は本当にセシル家の方なんだ。ダアトもマルクトも、ガルディオス姉弟の日常の些細な事など調べられるはずもないのだから。
「一緒に身を隠すことで異論はないみたいだね」
どこからともなく、シンクが部屋に足を踏み入れてきた。
コクリと頷くと、目の前の青年も同じく頷いた。


そうして私とガイは共に暮す事となった


その2










あきゅろす。
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