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小話
あなたの腕の中で  前編 ヴァンガイ
ゆっくりと意識が覚醒する。
重いまぶたをあげれば、見慣れない天井がそこにある。
僅かに目だけを動かせば、すぐさま椅子から立ち上がる音が鼓膜を震わせる。
「起きたか」
見慣れぬ天井を遮って、見下ろしてくるその顔に漸く状況をガイは把握した。
「ああ」
ゆっくりと身体を起こすと鈍い痛みが走る。それを表に出さぬように注意を払う。
身体はきれいに清められ、傍らには綺麗にたたまれたガイの衣服が置かれている。
「何か飲み物を用意しよう」
そう言ってヴァンはガイに背を向ける。その背をガイは無言で見つめると、それからゆっくり窓に視線を移す。
小さな窓からみえる空は鈍色で、いつでも雨がふりだしてもおかしくない天気であった。
素早くシャツに袖を通し、重い体を叱咤しながら衣服を整えていく。
「折角用意してくれたのに悪いな。雨が降りそうだ」
カップを手にしたヴァンにそう声をかけて、扉のノブに手をかける。
「待て」
そう声をかけられ、刹那、ガイの胸が跳ねる。
卓にカップを置いたヴァンがガイとの距離を詰める。
ゆっくりとヴァンの大きな手が上がる。期待に心臓がどくどくと早鐘を打つ。
だが、その手はガイのチョーカーを正すと、すぐさま離れていった。
「気をつけて帰るのだな」
「ああ。悪いな」
いつもの自分の笑顔を作りながら、そのまま扉をあけ、早足で宿を出る。
バチカルの上層まで天空滑車に乗りながら、ガイは息をゆっくり吐き出す。
ガタンと音をたて、僅かに身体が振動を感じると、滑車が止まる。
邸前の見張りの兵士にかるく手をあげて挨拶を交わすと、使用人専用の出入口に足をすすめる。
その時にポツリと肩に天から水滴が落ちてくる。
「雨か…」
足を止めて天を見上げガイは思う。もっと勢い良く降ってくれれば、俺も泣けるのに、と。
その叶わぬ願いを自嘲気味に笑い飛ばし、ゆるりと再び歩き出す。


*******


一年程前、ガイが願った事でこの関係は始まった。
ガイの願いを聞いたヴァンは珍しく、戸惑う心情を隠すことなく表情にのせた。
その顔を目の当たりにし、ガイはこれ以上ヴァンの顔を見上げる気力は失せ、静かに項垂れる。
足は重く、立ち去る勇気すらわかなかった。
長い長い沈黙が二人の間に満ちた。
「承知した」
その声が空気を震わせても、ガイはまだ信じられず、恐る恐る顔をあげた。
深く考えこむ様子ではあったが、嫌悪や侮蔑はそこには微塵もなかった。
「貴公が、いや、ガイラルディア様が望まれるのならば」
その身を捧げるというのか、とヴァンの言葉を受けて問い返したくなる。
だが、それよりも単純に喜びがガイの中で勝った。
いいのか、と問いかける言葉は喉につかえて出てはこなかった。
問うてヴァンが考えを覆すのが怖くて。
つっと知らず涙がこぼれた。
ヴァンの手があがり、優しくガイの頬をなぞった時、幼少の頃泣いている自分を慰める時にした仕草だと思いだし、益々涙が溢れ出した。
落ちる涙を拭う指も、頬に落とされた唇がガイの全身に落とされても、それはただ、ただ、優しく穏やかなもので性的な匂いなど微塵もなかった。
そしてそれは長い時間をかけてからヴァンがガイの身体を貫いた時も、奥深いところで熱が爆ぜた時も、なんら変わることはなかった。

彼らの関係はそうして始まった。


********



「あー、また今日も雨だ。面白くねーな」
はあっと寝返りをうってまたベッドに潜り込むルークを、そこから引き剥がすのがガイの今日の一番の仕事だ。
「こらこら、今日は午後から家庭教師の先生が来られるだろ。それまで飯食って顔洗って、最低限の身だしなみは整えておけよ」
「雨じゃなかったらさー」
「んー」
シーツを頭までひっかぶってへそを曲げているルークの身体をポンポンと叩きながらガイは適当な相槌を打つ。
「ヴァン師匠に稽古つけてもらえたかもしれないんだぜ」
ヴァン、の名に白い塊を叩く手が止まる。
「父上が言ってた。一週間前からバチカルに滞在してるって」
知ってるよ、と言えるはずもないガイは「へえ」と曖昧な相槌を打つと、シーツの端を持つと一気にルークから引き剥がす。
「だらしない生活をヴァン謡将に見れたら大変だぞ、ほら、起きた起きた」
身体を覆うものがなくなったルークは、チッと盛大に舌打ちして身体を起こす。だが、結局はベッドの上に胡坐をかいて座り込むにとどまった。
「見られっこないだろ」
「わかんないぞ、ほら、あそこに謡将が」
「まじかっ!」
ガイが笑って窓のほうを指すと、がばっと勢い良くベッドから飛び降りて窓に近寄る。
一拍おいて、騙されたとわかったルークが、おどろおどろしたオーラを撒き散らしながら
「ガーイ。んのやろう、騙したな」
と詰め寄ってくる。
ハハハと快活に笑い飛ばしながら「ほら、起きたならまず顔を洗ってこい」と促す。
ちぇっと拗ねた様子のルークは洗面のため浴室へを消えて行く。
ルークの消えた扉を見つめるガイの顔から笑いは消えて、どこか苦しげでさみしげな表情で、重い溜息を一つついた。


*******


「ファブレ公爵家に、か?」
ガイの言葉にヴァンは表情を変えることはない。
想定していたのだろうか、とガイはふと考える。だが、目の前の男の思考など読み取れた試しもない。考えるだけムダだったな、と胸の中で自嘲する。
いつもの密会の安宿でガイはベッドの端に座り、僧衣を脱いで軽装になったヴァンを見上げながら乞うたのだ。「ルークに会いにきてくれ」、と。
「公爵からルークの剣の稽古を望む書簡は届いてはいる。ただこの度のバチカル滞在ではその時間を工面するのが難しくてな」
「そうか、仕方ないな」
「どうした」
「ん、何が?」
ヴァンは余計な言葉は言わない。だから時々ガイは発言の意図を掴めないことがある。
「貴公がしょげた顔をしている」
「俺、が?」
からかいが多く含まれているその言葉に、ガイは掌を自分の口元に寄せる。
鏡は浴室にしかない安宿では、今、自分の顔など確認のしようもない。
しょげた顔をしているのだろうか、と内心小首を傾げる。
「いや、ルークが残念がるだろうってな。あいつ、お前がバチカルにいるのに、屋敷に顔を出してくれないから盛大に拗ねてんだ」
「……子守も大変だな」
「そう思うなら少しでいいから顔を出してほしいね。あいつの機嫌が良くなれば、俺の仕事が一つ減る」
少なくともルークをベッドから引き剥がす仕事は減るのは間違いないだろう。
やれやれと肩をすくめてみせると、ヴァンも僅かに口元を綻ばせる。
「善処しよう」
「助かるよ」
笑い返すと、ヴァンの掌がガイの頬に添えられる。
上体を折ったヴァンがゆっくりと顔を近づけてくる。ガイがそっとまぶたを閉じると、視界は暗闇に染められる。
額に、目の端に、頬に落とされるその唇は、あの頃と変わらない。今はない島で、昼寝前にぐずるガイに、ヴァンが落としてきたキスそのものだ。
親愛の情に満ちた穏やかで優しい唇。
それが始まりの合図。
身体を深く繋げても、心はあの頃となんら変わりはしない。
お前が欲しいと一心に願うガイを、優しく穏やかなキスで宥めようとするかのようで。
肌をそっと唇でなぞるだけの口づけは、どこまでも優しくて残酷だとガイは思う。
そっと触れていくだけのそれは、情交の跡を残さない意図からくるものだと知っている。
それでも、一度身体を繋げてしまえばヴァンから離れることはできない。
自分の愚かさに笑いの衝動がこみ上げてくる。
ふと、閉じた視界の中で、昼間みたルークの背が浮かび上がる。
ヴァンがいないと知り、寂しさを滲ませたあの背を。
同情なのか、憐憫なのか。何に押されてかはわからないが、あの背があまりに小さくて。そして、あまりに自分に似ていて。
胸の奥がズキリと疼く。
だがそれも、ヴァンの掌や唇がガイの身体を余すことなく落とされていくうちに、何も考えられなくなった。


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