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小話
喫茶店 前編
※現パロ VG



その店は、まさに喫茶店と呼ぶに相応しい店構えであった。
重厚な木製の扉をあけると、上部につけられたカウベルがカランカランと軽快な音を立てる。
そう広くはない店内は上品なアンティークの調度品で統一されている。
程よい明るさの間接照明は、木で統一された店内をより上品なものに仕上げている。
店の奥にあるカウンターの壁に備え付けられた棚には、一点物のカップが綺麗に並べられ、店内に流れる音楽は、会話を邪魔しない程度におさえられている。
面接をした店長は皺が深く刻まれた初老の男性であった。
柔和な笑みを浮かべ、穏やかでゆったりとした声で話す。
「うちの店はそう忙しくはないんですよ」
若い人達がが好むおしゃれなカフェではない。
どこかで取りこぼしてしまった何かを懐かしむために集う人たちのための場所。
常連客によって支えられている店で、若い人が好む要素は皆無である。
そう説明をした後
「若い人には退屈な店だと思いますよ。大丈夫ですか?」
と尋ねる。
ガイは店長の目を捉え強い眼差しと共に「はい、この店で働きたいんです」と自分の意思を伝えた。


ガイの仕事はオーダーと、店内の掃除などの雑務が主だったものであった。
店で提供する飲み物は全てバリスタである店長の仕事である。
ケーキやタルト類は契約しているケーキ屋から毎日届けられる。
ガイはあまりケーキショップには詳しくはない。だが味に気難しそうな客が綺麗に平らげているのをみると、確かなものである事が伺われた。
程良く小ぶりなケーキの上には飴細工やチョコや果物で繊細な飾りが必ずのっており、かなり手の込んだものである。
毎日届けられるケーキボックスをあけると、ケーキに興味のないガイですら思わず唸り食欲を刺激される程であった。
そのような店がよくこのような小さな店を契約をしてくれたものだ、とガイは不思議に思い、言葉を選んで店長に尋ねてみた。
すると優しく目を細めて「オーナーの御力によるものです」とどこか誇らしそうな響きをのせて言葉を返す。
店長はかなりオーナーに心酔しているようで、事あるごとにオーナーを出しては褒め称える。
ガイはまだ見ぬオーナーへの興味を募らせていった。
オーナーの人物像を引き出すために店長との会話の中で、ガイはさりげなさを装って尋ねる。
例えば採算。
隠れ家的な存在であるこの店は、新規の客はなかなか訪れない。
提供している豆はかなり高品質であり、そのわりには値段に反映されているわけでもない。良心的な価格である。
常連客は壮年以降の男性客ばかりで、皆言葉少なく、ゆったりとした時を珈琲を口に運びながら過ごしている。
つまり滞在時間は長く、回転重視の飲食店からすれば真逆である。
そして値段はこの豆から淹れる珈琲は、経済学部でないガイからみても採算度外視なものは見て取れる。
そうなると軽食や菓子類を店で作るなどして、そこから採算をとっていくはずだが、この店はそれは外注で済ませ、金額を上積みもしてない。
「俺が働いても良かったんでしょうか」
ガイがぽつりと言葉をこぼす。
その言葉に、おや、というように眼鏡の奥の目をわずかに丸くして、それから皺を深くして目を細める。
「もしかして、経営状態を心配されてますか?」
「あ、いえ、そんなわけじゃないです。ただ俺がいなくても店長だけで十分この店はまわっていっている様子ですし」
「そんな事はありませんよ。ガイさんのおかげで若い女性のお客さんも増えましたし。それにこうしてお客様が途切れると、寂しくなって話し相手が欲しくなるのですよ」
少し休憩しますか、と声をかけると、店長は茶葉を用意する。
いいのだろうか、と躊躇いはあったが、店長の淹れる紅茶への誘惑には勝てず、促されるままにエプロンをはずしてカウンターに座る。
温めたティーポットに手際よく茶葉をいれると、勢い良く沸騰した湯を注ぐ。
カップに注がれた湯気立つ琥珀色にガイは素直に感嘆の溜息をこぼす。
薫り高い芳香を楽しんでから、ゆっくりと口に運ぶ。
「美味しいです」
幸せそうに頬を緩めるガイに、店長は満足気に目を細め微笑んで見せる。
「それはよかった。ガイさんは、願掛けか何かをされておいでですかな」
温和な笑顔のままにいきなり懐に入り込むその問いかけに、ガイは一瞬カップとソーサーを持ったまま固まる。
はっと我に返り、なんとか言葉を捻り出そうと思考を巡らせるが、気の利いた言葉は欠片も見つけ出せないでいる。
珈琲専門の喫茶店でのバイトをしていながら、一度も口をつけないガイに今まで何も言わずに紅茶をだしてきていた店長がにこにこと笑顔で答えを待っている。
だが、それ以上踏み込む様子もない。
詰めていた息をふうっと吐き出し、ガイは後ろ頭を掻きながら照れたように笑い返す。
「そういう訳ではないんですが…。いえ、そういうものなのかもしれません」

そう言葉を濁しながら、ガイの意識は10年程前に遡る。

当時小学生であったガイの自宅前には独居の老人が住んでいた。
顔を合わせれば挨拶をかわすほどの間柄であったが、その家にガイが出入りすうようになったのは老人の孫の存在によるものであった。
高校に進学したばかりとは思えない風貌や佇まいで、声を掛けるのをためらわせるには充分は威圧感も伴っていた。
だが、視線があうと、優しく微笑んでみせ「ガルディオス家の、ガイ君だったかな」と声をかけてきた。
話してみれば、意外にも子ども好きなようで、その青年ヴァンはガイにとって「近所のよいお兄さん」になった。
家に頻繁に出入りするようになると、自然とヴァンの祖父とも接する事となる。
言葉少ないが、いつもガイにチョコレートドリンクを差し出してくれた。
驚くほどに美味しく、すごいすごいとはしゃぎながら飲むガイに
「お祖父様はバリスタなんだよ」
ヴァンは教えてくれた。
だが小学生にまだバリスタの言葉はわからずに首を傾げる。
バリスタってなあに?」と尋ねたことを今でも憶えている。
「珈琲を上手に淹れる人だよ」
今度は子供相手に噛み砕いた言葉でかえすと、ガイは納得したように、へえっと感心している様子であった。
そして子どもらしい疑問を抱いて、ヴァンに尋ねる。
「ヴァンもバリスタになるの?」
素直なその言葉に、一瞬固まったヴァンの隣で、彼の祖父はふふと笑う。
「そうあれば嬉しいけれど、本人にその気は全くなさそうだね」
返答に窮するヴァンが珍しくて、ガイはじっとヴァンを見つめる。
その視線に気づいて、小さな苦笑いを浮かべ
「まだ珈琲豆も触らせてもらえないからね」
と言葉を濁した。
話を聞く限り、少しばかり離れた場所で喫茶店を経営しているようだったので、ガイは
「お爺さんのコーヒーをお店で飲みたい」とねだった。
「おや嬉しいね。小さなお客さま」
喜ぶ祖父とは対照にヴァンの表情はあまり思わしいものではなかった。
「……まだ、ガイには珈琲は早いよ」
その言葉に小さくガイは膨れた。除け者にされたようで悔しかったのだ。
慌ててヴァンがとりなすように「じゃあ、ガイが大きくなったら私の珈琲を飲んでくれるかい?」
「うん、約束だよ!」
はしゃぐガイの機嫌がなおった事に、安堵の息をもらすヴァンと、それを見守る老人。
優しく穏やかな日々であった。

だが、それは呆気無く終りを迎えた。
ある日を境に前の家に人の気配はなくなり、ヴァンも彼の祖父の姿を一月程見かけなくない日々が続いた。
下校途中のガイをヴァンが迎えにくる形で久々の再会を果たし、彼の祖父の店へと案内された。
CLOSEDと札のかかったその店は、あの当時でも古きよき時代の喫茶店であった。
しんと静まり返り、どこかかび臭さも伴う店内に初めて足を踏み入れた。
ヴァンの着ている服は見たこともないもので、もしかしたら新しい高校の制服なのではないか、とガイは思ったが口に出せずにいた。
カウンター内にヴァンが立つと、湯を沸かし始め、手早く豆を挽き始める。
「なにしてるの」
「珈琲いれてあげる約束だったから」
「……まだ僕は大きくなってないよ」
「うん。そうだね」
それでも手を休めることはない。
「お祖父様が亡くなったので、もうこの店は閉める事になったんだ」
「おじいちゃん、死んじゃったの」
「うん。もともと心臓がよくなくてね」
淡々と話すヴァンに、ガイはどうしていいのかわからなくなる。
そして、彼の祖父の死よりも、もっとガイに恐いものがあった。
それはヒタヒタと音を立ててそこまで迫ってきている。口火を切るのはガイなのか、ヴァンなのか、とガイは心のなかで構える。
「一ヶ月くらい店を閉めていたから、豆が新鮮じゃないから美味しくないかもしれないな」
そう言いながら珈琲の入ったカップをガイに差し出す。
「砂糖は沢山いれたほうがいいかもしれないね」
はい、とシュガーポットが差し出される。
「ミルクは残念ながら賞味期限が切れていてないんだ。用意しておけば良かったね」
ガイのては彼の膝に置かれたままだ。出されたカップに手をつけようともしなかった。
「飲めない?」
その言葉が悲しげで、ガイは誤解させないように左右に首をふる。
「だ、だって、飲んだら、ヴァンとはもう会えなくなる。おじいちゃんもいなくなって、ヴァンも僕の前からいなくなる」
それは確信であった。これで「最後」だからヴァンは約束を果たすためにわざわざ自分をこの店に連れてきたのだ。
最後の客として。
声が震えて、涙が溢れて視界が霞んでくる。ポタリと、水滴が膝の上でぎゅっとかたく握り締めている手の甲に落ちる。
別れが、迫っている。だからこそ、約束はそのままで在って欲しかった。
あればいつか、ヴァンが自分に珈琲を煎れてくれるのではないか、と夢見ていられる。
生真面目なヴァンの優しい残酷さでそれすらも摘み取ろうとしている。
その思いを汲んだのだろうか、ヴァンは優しくガイの髪に手をおき、梳き始める。
「そうだね。じゃあ、いつかまた。君に出会えたら、とびきりのものを淹れてあげるよ」
約束の証だと、額に唇が落とされたのは、泣いているガイを宥める意味合いもあったのだろう。


それからしばらくして、前の家には「売家」の看板が立ち、新しい家族がその家に住み始めた。
自転車にのって喫茶店のあった場所にいけば、きれいな更地となっていた。
ヴァンがいた痕跡はこうして時の波に流されてなくなってしまったが、ガイの中にはあの約束と共に在り続ける。
その証として、小さなたわい無い約束を守っている。
ヴァンに会えることを願って、ガイは珈琲を口にしないのだ。


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