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小話
喫茶店 後編
閉店後、店の掃除を終えて道具を倉庫にしまっているガイの耳にカウベルの音が届いた。
店長の声が「お久しぶりです。お忙しい様子ですが」と親しげに会話をしているところをみると、常連のお客様だろうか。
そう考えたガイが倉庫から出てくると、立派な体躯の男がこちらに背を向けて店長と向き合っているところであった。
常連客でこのような長身の男はいただろうか、とガイは記憶を探ると同時に
「こんばんは」と一声かけた。
ゆっくりと振り返る男と視線が合うと、ガイは目を見張り、言葉を失った。



上質のスーツを脱いだヴァンは、綺麗にアイロンがかけられたシャツの袖をまくってカウンター内に立っている。
向かい合う形でガイはカウンターの椅子にすわっている。
思わぬ形で再会を果たした二人は、そのまま互いを見合って固まったように微動だにしなかった。
それを破ったのは、店長、ペールの言葉であった。
「お知り合いでしたか。つもる話もございましょう。私はお先に失礼いたします」
そう告げるとさっさと外套を纏い、扉の向こうへと消えてしまったのだ。
残された二人は、初めこそは所在なさげに立っていたが、ヴァンが
「飲むか?」と声をかけて、そして今にいたっている。

「知ってたのか」
ボソリと零すと
「人事はすべてペールに任せてある。新しいバイトを雇い入れたという報告だけで、名前など詳しいことは耳にはいれていなかった」
「そっか」
しかし、まさかヴァンがオーナーだったとは。
店長であるペールの年齢からして、オーナーは勝手に彼と同年代だろうとガイは決めつけていた。
こだわりが随所にあらわれている店の内装に会話がふれた時、ペールは嬉しそうに「これはすべてオーナーによるものなのです」とも答えた。
あの当時は高校生であったヴァンと10年ぶりの再会ならば、まだ20代後半であるはずだ。
以前も感じていたが、ヴァンは外見もさることながらそれ以上に中身が老成しているな、とガイは胸のうちだけで零した。
「ただ珈琲を飲まない珍しいバイトだとペールから報告は受けたがな」
口元をほほえみの形にしたヴァンにそう告げられて、ガイは顔に熱が集まるのがわかった。
「い、いや、その、これは」
動揺する気持ちのままに言葉がうまく紡げないでいる。
「子供の頃の約束を律儀に操立ててくれたというなら光栄だが?」
からかいの色の濃い言葉に、ガイは不貞腐れて頬杖をついて横を向く。
ケトルがシュンシュンと湯気を立て始める。
「会いに行こうと何度も考えた事がある」
先程までの口調とは違い、静かで、どこか淋しげな声にガイはそろりと視線だけをヴァンに向ける。
「告白すると、私があの家に身を寄せたのは、祖父を慕ってのことではない。
父からの命で、祖父にあの店を畳ませる事が目的で同居していたに過ぎない」
思いがけない告白にガイは顔を戻し、まじまじとヴァンを見つめる。
「元々心臓が思わしくないのに、一人で暮らし道楽で喫茶店を続けていた事が父には許しがたい行為だったようだ。
父の傲慢さも大概だとは思うが、祖父の頑固さも私にとっては厄介ごとの種でしかなかった。
退屈な日々になると構えていたが」
そこで言葉を切ると、手慣れた仕草で「の」の字を書くように湯を注いでいく。
フィルターから数滴ポタポタと落ちていくコーヒーを厳しい目で見詰めている。
ああ、それで、とガイは得心する。
彼の祖父の職業や店に関しての話題が上れば、大抵ヴァンは表情を強ばらせ、積極的に会話に入ってくるような事はなかった。
時々どこか二人の間に緊迫した空気が流れていた事も、そういう事情があったからであろう。
「会いに来てくれれば良かったのに」
「先ほども言ったように、不本意な形で私はあの場所に身をおいた。そして祖父もそれを承知していた。
お前がいない時の会話など大層寒々しいものだった。
だが、お前の中では私たちは仲の良い祖父と孫として存在しているのだと思うと、お前に会いに行くことが躊躇われた。
その夢を壊すようで」
その言葉にガイは数度目を瞬かせる。
どこまで生真面目なやつなんだ、とガイは諸手をあげたくなった。
おそらく、実直とクソ真面目を絵にかいたようなこいつは、本来の事情を隠し通すなど出来ないのであろう。
だが、それを告げれば俺がいだいていた幻想を砕くことになる、と思い、それはそのまま再会をためらっていたのだという事らしい。
騙したままではいられない。だが、真実を告げれば俺が傷つく。
こいつのなかでは俺はまだ小学生の子どものままなのだろうか。
不器用すぎて、あまりに誠実であろうとしすぎるこの性格で、社会人としてやっていけているのだろうか、と逆に心配になってくる。
だが、一分の隙もない程に整えられた出で立ちからは、エリート臭しか漂ってこない。
カチャと陶器が触れ合う音を立てながら、珈琲が目の前に置かれる。
どうぞ、というように視線を送られ、ガイはカップを持ち一口啜る。
あの香りと共にほろ苦さが口の中に広がる。
思わず顔を顰めてしまったガイに、ヴァンは小さく笑う。
「ラテか何かにすれば良かったな」
「いや、いいよ」
紅茶とは違う苦味と酸味に苦戦しながらも、きっとこの味に慣れていくのだとガイは思う。
「お前が美味しいと思うまで、淹れ続けてやろう」
思いがけない言葉に、ガイはヴァンを仰ぐ。
言葉の真意をはかりかねて、まじまじと見つめるガイの視線をうけて、口元を微笑の形にする。
そういう事、だよな、とガイは視線を落として手元のカップを見つめる。
「じゃ、えーと、頼む…じゃないな、お願いします」
なんだか気恥ずかしいが、ぺこりと頭を下げてからヴァンの表情をうかがうと、先ほどとは違い目尻に皺を刻んで心底嬉しそうに笑っている。
それをみただけで、ガイは幸福で心が満たされていくのを感じた。



そしてここからがおまけ的なもの↓

******

店休日前の火曜日。閉店後にオーナーであるヴァンは顔をだし、掃除をしているガイにコーヒーを淹れている。
店長であるペールは火曜日は片付けをすべて二人に任せて先に帰宅する。
広いとはいえない店内に二人で残り、あれこれとたわい無い会話をしながら、ヴァンの淹れたコーヒーを飲む。
ガイは訳あって紅茶党であったが、ヴァンの淹れるコーヒーは口にする。
初めは苦味になれずにいたが、回数を重ねるごとに舌が慣れて飲み干せるようになった。
そこで二人のこの時間は終わるかに思えたが、なんとはなしに続いている。
ガイは思う。
さて、俺達はどんな関係なのだろう。
再会した後に、ヴァンに敬語を使ったほうがいいのだろうかというガイの思案を見越したように
「気軽に話せ。その方が助かる」と先手を打った。
初めこそは躊躇ったが、会話を重ねていくうちにガイは全く気にかけることがなくなった。
それどころか、今まの空白の時間を埋めているようで、嬉しくもあった。

そして、今日は火曜日。
カウンター内に二人は並んでいる。
ヴァンはコーヒーを淹れる用意を。ガイは閉店ギリギリまでいた客のカップを洗っている。
その時にガイが咳を何度か繰り返す。
隣に立っていたヴァンが「どうした。風邪か」と問うと、ガイは頭を振る。
「いや、ちょっと喉がイガイガするだけだ」
「そうか」
そう言うと、ゴソゴソとオーダーメイドのスーツのポケットから飴玉をひとつ取り出す。
思いがけないその行動に、ガイは固まる。
「どうした?」
「いや、なんかこう、笑っていいのか、引き攣っていいのか、扱いに困るなって」
その意味するところはわからなかったようで、ヴァンは、ほら、とばかりに差し出す。
「手が塞がってんだ。食べさせてくれ」
洗い物をしているので、受け取れない。だからガイは目をつむり、口をあけた。
あーん、という形で顔をヴァンに向ける。
二人とも長身で、体格に差はあるが、視線はそう変わらない。
なかなか落ちてこない飴玉に、ガイは薄く目をあけると、今度はヴァンが僅かに瞠目して固まっている。
疑問符が頭に満ちたガイは、舌を少しばかり差し出す。
そこで、はた、と気づく。もしかして行儀悪いと思われたのだろうか。
急に恥ずかしくなり顔を引っ込めようとした時に、舌の上にフルーツ味の飴が落とされた。
レモンでなかった事は幸いだった。
口の中で転がしながら「ありがとう」と礼を言うと、ヴァンは憮然とした表情を浮かべている。
「行儀悪かったな、すまない」
素直に謝るが、それでもヴァンはその表情を崩さない。
「お前は……、いや、もういい」
ふうっとため息をつくと、再び豆を曳き始める。
「なんだよ、最後まで言えよ」
「ああいう事は人前でよくやるのか」
「両手塞がってなければ自分で取るさ」
「では両手が塞がっていれば、今のようにするというわけか」
珍しく突っかかるようなヴァンの物言いに、ガイは戸惑う。
何が原因でヴァンを苛立たせているのかガイにはさっぱりだった。
「せめて、目はあけておけ」
ヴァンの言葉の意味もわからなかったが、ひとまず場をおさめようとガイは素直に頷いた。
そして気まずい空気の流れを変えようと、昼間店長から聞いた事をヴァンに尋ねてみる。
「なあ、お前の部屋から見る夜景すごく綺麗なんだろ」
ミルを動かす手が止まる。
「店長が言ってた。『一度ご覧になってはいかがですか』って。お前の迷惑でなかったら今度見せてくれないか」


いつも何があろうとも余裕のある涼しい顔を崩さないヴァンの呆けた顔を、ガイは初めて目の当たりにした。

終(そして誕生日のヴァンガイへと続く)

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