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愛人 読みきり連作
初日 中篇
意識を戻した時には、公爵は衣服を整え、部屋の隅で書物を読んでいた。
俺の様子に気付くと、部屋に戻るように言いつける。いつもと変わらぬ口調に、先程までの事は夢だったのかと思うが、身体を起した時に全身を覆う鈍痛が夢でない事を示していた。
ゆっくりとベッドを降りてのろのろと衣服を纏い、重い身体を引き摺るようにして自分の部屋に戻る。
質素なベッドの上に身体を投げ出した時に、ようやく声をあげて泣くことが出来た。
父上、母上、姉上。ごめんなさい。俺、どうしていいかもうわからない。
ペールも死んでしまった。
ペールがやんわりと止めたのに、俺が復讐の念を捨てなかったから、俺の無理を聞き入れたペールは庭師にまで身を落としてくれた。
剣を握る手なのに、スコップなんて持たせた。
心不全だって医者は言っていた。絶対俺が無理させたんだ。そのせいで異国の地でペールの命を落とさせる事になってしまった。
屋敷でヴァンデスデルカと再会した時に誘われた。この地を離れて、私の元でって。無駄な苦労を背負い込むことはないって言ってくれたんだ。
なのに俺は、大丈夫、俺の好きなようにさせてくれって言ったんだ。俺の手で復讐したいからって。
優しいヴァンデスデルカの手を払った
これは、その罰なのかな。
俺はこんなにも非力で小さい。誰かの手を借りないと歩けないくらい弱いのに、虚勢を張ってペールやヴァンデスデルカの優しさに甘えて。
ホドの時の泣き虫で引っ込み思案だった俺のままだったのに。
一人じゃもう何も出来ないのに。
父上、母上、姉上。ごめんなさい。
これが罰だというのなら、俺は素直に受け入れる。だから、だから、助けて。誰か俺の手をとって。



そのまま泥のように眠った俺が目覚めた時、立ち上がる事もままならない程の高熱に襲われていた。
いつまでも起きてこない俺を心配したメイドの一人が、慌てて駆け寄ろうとするが、俺の体質を思いだして距離を一定に保ちながら
「ラムダスさんには話しておくから。養生しておいて」と声をかけてくれた。
昼過ぎに部屋を訪れたラムダスが、俺に五日間休みを与えてくれる事となった。
「旦那さまが特別にお許しになった。旦那様への感謝を忘れる事のないように」と余計な言葉をつけてくれた。
誰のせいで熱が出たと思っているんだ、と怒鳴りたいが、それさえもままならない。
そして枕元に薬を置いて部屋を去った。
どうやら高価な薬らしい。そのことにも感謝しろというのだろう。
熱い身体で弱っているのに、追い討ちをかけて強烈な腹痛にも襲われ、ベッドとトイレを何度も往復する事になる。
体力はどんどん削られていく。
眠っている間に差し入れられた夕食も手付かずのままだ。
翳っていく部屋の扉が叩かれる。返事をしようにも声が掠れて出てこない。
控えめな音をたてて、扉が開かれる。入ってきた人物をみて、目を瞠る。
「おまえ、こん…なとこ…きた…ら……だめだ…ろ」
「ガイが風邪ひいたっていうからさ」
赤毛の少年は、俺の言葉が面白くなかったのか、口を尖らせてすねている。
「ほらこれ。母上に聞いたら、風邪の時はこういう物を食べたくなるって聞いたぞ」
そういって後ろに隠し持っていた皿を差しだしてくる。
皿の上には桃が綺麗に剥かれている。
「ほら、食べろ」
ずいっと押し付けてくるルークに、冷え切った心に温かさが戻ってくる。
不器用にも優しさを見せるルークに「…あり…が…とう」と礼を言うと、当然の事のように胸をはって応える。
「お前、五日も休むんだろ。俺が退屈じゃん!ヴァン師匠もいないしさ」
なんとも単純な理由だが、今はその優しさに縋ることにする。皿に盛られた桃は瑞々しい。
熱い喉を冷たい桃が撫でながら落ちていく。
しびれるような桃の甘さも、白く瑞々しい果肉をみても、高級品だとわかる。この事がラムダスにわかったら、俺が説教だな。
「おい…しい」
「そっか。じゃ、俺行くな」
満足したように、さっさと俺の部屋から出て行こうとするルークを呼び止める。
「なんだよ」と振り返るルークに再度「ありがとう」と言葉にする。
にっと笑ってルークはそのまま扉の先に消える。


奪おうとしていた命。
あいつから大事なものを奪って同じ目に合わせてやろうと、復讐の念をルークにも向けていた。
父親同様に高慢な印象だったルークは誘拐を機に変わった。赤ん坊のようなルークの面倒を見ているうちに情が湧いている自分にも気付いていた。
生意気な口もかなり叩く様になったが、それでも以前と違って、苛立ちを感じさせない。
愛おしさの方が勝っている。
目から涙が溢れてくる。熱い涙が次から次に溢れて止まらない。
お前は本当に泣き虫なんだから、といつも諌めていた姉の言葉が蘇ってくる。
本当に泣き虫だよな。ごめん、姉上。




ようやく熱が下がり、身体の痛みも癒えた。
早速仕事に戻ると、ルークが駆け寄り抱きついてきた。
「ガイ、待ってたぞ!剣の相手しろ」といつもの調子だ。
俺の日常が戻ってくる、そう錯覚しそうになる。
だが。
「ガイ、旦那様がお呼びだ」
ラムダスの言葉が俺を現実に引き戻す。足が凍りついたように動けなくなる。
「なんでだよ。いつも午前は俺の相手だろ」
「ガイが休んで職務が滞っているのです、ルーク様」
「だけど」
「ルーク様、旦那様のお言葉です。聞き分けられてください」
その言葉にルークは黙るしかない。
俺のために抗議してくれたルークの頭をそっと撫でる。
「ありがとうな。また今度」
その様子を苦々しい面持ちでみていたラムダスに、執務室前まで「使用人としての立場を弁えなさい」と説教をくらう羽目になった。
だが耳に入ってこない。
冷たい汗をじっとりかいて、心臓が痛い程早鐘を打っている。
ラムダスが扉を叩き、返事を待ってからゆっくり扉をあける。部屋に入ろうとする俺に「この前の礼を忘れぬように」と釘を刺してくる。
何の礼だ。
人に薬を盛って身体を奪ったお礼をしろとでも。
その言葉に先程まで感じていた恐怖はさり、怒りが湧き上がってくる。
ラムダスが去り、俺は部屋の中に入る。
部屋の主はいつもと変わらずに書類を書いている。

「身体は全快したか」
「…おかげさまで」
返す言葉は硬く冷たい。
「では話をしよう」
変わらず書類に目を落とし、こちらを見ようともしない。
「何をですか」
「お前が私の愛人となる心得だ」
瞬間、怒りが爆発した。
腹の底に滾っていた怒り、押し込めていた復讐の思い、それが濁流となって一気に理性の堰をうちやぶる。
机越しに公爵の胸倉を掴む。
「ふざけるな」
公爵は不快そうに眉を顰める。
「午前のうちに書類を片付けておきたかったが、仕方あるまい」
そう言うと、胸倉を掴んでいた俺の腕に手をかけて、締め上げる。
公爵は俺が考えていた以上に握力が強い。万力で捩じあげられたようになり、公爵の衣服を掴んでいた手が緩む。
そのままもう片方の腕と共に一纏めにされる。
「躾が必要なようだ」


「離せっ!はなっ」
ズルズルと引き摺られながらも、必死で身体を捩じって抵抗するが、元帥という立場にありながらも前線にたつ事が多い現役軍人と、手習いの剣を密かに練習しているだけの俺とでは力の差は歴然だ。
「嫌だ、やめろ、変態!離せ」
色んな仮面を投げ捨てて、それでも必死に抵抗を続ける。
執務室に続く扉が寝室に繋がっている事は先日の事で知ったが、その寝室の先には浴室がある事を今日知る事になる。
ベッドのそばを素通りして、内心ほっと息をついたが、その先の扉をあけると湯気が充満している浴室だった。
俺とペールが住んでいた部屋の三倍以上はある広い浴室。真ん中には白い陶器の、美しい曲線をえがいた猫足の浴槽が鎮座している。
その前まで俺を引っ張ってくると、一纏めにされていた腕がようやく開放される。
一発ブン殴る、と痺れてあまり力の入らないが拳をつくり、公爵の顔面を狙うが、あっさり受け止められる。
逆に俺の胸倉をつかまれる。
「私は使用人に拒否する権利を与えていない。それは愛人にもだ」
「誰がお前の」
その言葉は続けることが出来なかった。
湯が張った浴槽に沈められたからだ。
ごぼごぼっと言葉が泡となって出て行く。自由になる手足をばたつかせて抵抗するが、俺の胸倉を掴んだ公爵の手は力強く俺を浴槽の底に押しあてている。
公爵の腕を剥がそうと試みるが、それも適わない。
すると急に引き上げられる。
肺が空気を欲すると同時に、たまった水を吐き出そうとする。
げほげほっと激しく咳き込むが、新鮮な空気を堪能する間もなく、また湯の中に身体を沈められる。
それが何度も繰り返される。
最初こそ激しく抵抗を繰り返していたが、酸欠でどんどん身体が思うように動かなくなっていく。
湯の中でゆらめく視界が白くなっていく。手足は重くなり動かす事さえ適わない。
意識がぼやけていく。思考に白い靄のようなものが覆い、白くなっていく視界と共に何もかもその白に呑みこまれそうになった時、また引き上げられる。
激しく咽る。肺も喉も焼け付くように痛い。咳き込む事で生理的な涙が滲んでくる。
今度は浴槽に沈められる事もなく、大理石の硬い床に転がされる。
なんとか立ち上がろうと試みるが、もう腕も足も力が入らない。浴槽に手をかけて、上半身をそこに預けながらひたすら咳き込む。


衣服は水を吸って重たくなっている。
水を吸って身体に張り付いているスパッツに公爵が手をかけて、一気に下着ごと下ろした。
これから起こる事は容易に想定できたが、もう抵抗する気力は残されていなかった。

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