創作短編『それぞれのゆく年くる年』 残業 (後編) 情けない現状の自分…仕事も、プライベートも。 仕事を早々にやっつけた所で、明かりの点いていない寒い部屋に帰って寝るだけだ――それは虚しいが、とにかく目の前のものを片付けなければならない。 諫山はため息をつくと、デスクに向かった。 ――と。 先に帰ったはずの風本が戻って来ると、諫山のデスクにそっと何かを置いた。 暖かい湯気の立つコーヒーの入った紙カップ…どうやら風本が淹れてくれたらしい。 普段から「自分の事は自分で最低限やる」という主義の彼女が、こんな事をしてくれるのは珍しい。 諫山は訝しげに見上げるが、風本は普段通りのクールな表情のままで、意図は読めなかった。 彼を見下ろし、 「少しはひと息入れたら? 焦った所でどうせすぐ片付くものでもないでしょ」 諫山は心中では呆気に取られつつも、目の端で彼女を睨むように見、 「俺の事はいい。終わったのならさっさと帰ったらどうだ」 風本はフッと息をついて、バッグを肩にかけ直し、 「帰るわよ。それじゃあ、年明けにね」 今度こそ帰って行った。 ――ぽつんとまた1人。 しかし、一杯のコーヒーに先程の虚しさは消されたようだった。 紙カップに口をつける。 こうして人に世話を焼かれるのはどのくらいぶりだろうか。 ここ数年、妻との関係は完全に冷え切っている。 修復不可能なほどに壊れてしまった。 風本の淹れた一杯のコーヒーに、久々に感じた人のぬくもり。 たった一杯のコーヒーがこれほど暖かいとは…。 カップをすすりながら、そんなふうに感じている自分がおかしく思え、意外にも笑いが漏れる。 だが、先程のイライラもなりを潜めたようで、少しリフレッシュして仕事がはかどりそうだ。 またデスクに向かう。 師走の、今年最後の仕事納めの夜だった――。 『師走』編……【完】 [*前へ] [戻る] |