「…………透」

「……、何…?」

「………迷ったな」

「……迷ったね」

大きな木を見上げて、私とヤイはぽつりと呟いた。

時刻は夕暮れ時。イノは一足先に帰って、私とヤイで兎の罠を見に行き、帰る途中のことだった。

簡単な落とし穴のような罠には残念ながら何もいなく、代わりに私とヤイは両手にどっさりとイチの実を抱えている。

「…ここ、さっきも通ったよな」

「…通ったね」

私達が見上げた木は、樹齢が何年もありそうな大木で、幅も高さもものすごく大きい。私が十人くらいいて、両手をつないでやっと囲めそうなほどだった。こんな木は、見間違えることなんてない。

「おかしいな…おれ、ここらへんはよく来るのに」

ヤイがしきりに首を傾げて辺りを見回した。確かに彼は山の道をよく知っていて、今までこんなふうに迷うことなんてなかった。

…ふと、私は前にも似たようなことがあったのを思い出す。

(――山賊に、捕まっていた時だ…)

気付いて、背筋が強張った。あの時もそうだった。山を知り尽くしていると言った山賊が、同じ杉の木の元に戻ってしまったのだ。

そして、あの後すぐに妖がやって来て――

「っ…!」

フラッシュバックしたあの時の光景に、私はイチの実を取り落とした。バラバラと、赤いそれが足元に散らばる。

「透…?」

目を見開いて見上げてきたヤイにハッとして、私は空を見上げた。日は傾きかけて、西の空は赤くなり始めてはいるけど、夜まではまだ時間がある。

それでも、私の頭からは、どうしてもあの光景が離れなかった。

「ヤイ、どうしよう。私、前にもこんなことあった。杉の木に傷を付けてて、それで――」

震える声でそう言うと、黙って聞いていたヤイは何かに気付いたのか、「あ…!」と小さな声をあげた。

「わかった!木霊だ!」

「コ、コダマ…?」

困惑する私をよそに、ヤイは大木に近付いて、じっくりと幹を眺め出した。

そしてしばらくすると、何かを見付けて私を呼ぶ。

「ほら、これ!」

見ると、木の根本の部分に、何かを擦ったような傷があった。

「これって…?」

「たぶん、気付かないうちに、おれか透が傷付けちゃったんだ」

そう言ってヤイはスッキリしたような顔をしてるけど、私には何がなんだかわからない。この傷が迷子と関係あるんだろうか。

すると、ヤイは私の顔を見て、得意げに教えてくれた。

「あのな、五百年生きた木には、木霊が宿るんだ。木霊は普段は優しいけど、傷付けられると怒って意地悪すんだよ。こうやって迷子にさせたりして」

そう言ってヤイは、自分の抱えていたイチの実と私の落としたイチの実を掻き集めると、木の根元にまとめて積んだ。

そして私の手を引くと数歩離れて、大木を仰ぐ。

何をするんだろうとヤイを見ていると、ちゃんと木を見ろよ、と注意されてしまった。

「今から、木霊にあやまんだ」

そう言って、息を大きく吸い込んだ。

「木霊ー!!傷付けちゃってごめんなさい!イチの実をあげるから許してよ!」




ザァァ――…、と、木の枝が大きく揺れる。





私達に向かって、強い風が吹きつけた。着物の裾や袖がはためいて、髪が乱暴に巻き上げられる。

あまりに強いそれに目を閉じると、つないでいたヤイの手に、ギュッと力が込められた。薄目を開けてなんとかそちらを見ると、ボサボサ頭をはためかせながら、ヤイが何か叫んでいる。風の音でよく聞こえなかったけれど、よく目を凝らして口の動きを見ると、どうやら「謝って」と言っているらしかった。

私は戸惑いながらも頷くと、枝を揺らし続ける大木に向かって、風に負けないように叫んだ。

「ごめんなさい…!傷付けるつもりは、なかったの!」

――そう言った瞬間、ふっと嘘のように風が弱まった。さわさわと心地よいものに変わり、ふうわりと私の前髪を撫でるように揺らす。

気付くと、あんなにたくさんあったイチの実は、一つ残らず無くなっていた。

「――透、ほら」

ヤイに促され、私はもう一度大木を見上げ――。





「――――…、…」





――思わず、見惚れてしまった。



空を覆うように広げられた葉の間から、いくつものオレンジ色の光の帯が射していた。そしてその光に照らされるように、白くて小さな丸い光が、木の周りをふわふわと舞っている。


「綺麗…」


夕焼けの赤い光の中に、大きく枝を広げる一本の木。そして、その周りだけに純白の雪が舞っているようなその光景は、とても幻想的で。ものすごく、美しかった。

「…ほら!こっちだ!」

呆然と見つめていると、グイッとヤイに手を引かれる。名残惜しく思いながら目を逸らすと、一つの白い光がすぅっと木々の間に消えて行く所だった。

後を追って走りながら、私は最後にもう一度だけ、と大木を振り返る。山賊達といた時のあれも、木霊の仕業だったのだろうか。



――怖くて、不思議で、美しい。



また一つ、この世界を、知れた気がした。



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あきゅろす。
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