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女は強く、そして儚い






最後の言葉をきっかけに、静寂が訪れる。
話が長くなることは話す時点で分かっていたので、私達は足を引きずって近くにあった自然公園に場所を移していた。ベンチに座った先には小さいが綺麗な池が見えて、ボートがいくつか放置されている形で浮かんでいる。その光景を見ていると、時が流れていく感覚が狂っていくような気がした。

話はもう終わった。不本意ながら、もう話すこともない。なのにスクアーロは言葉を発しようとせず、何か考え込むようにしていた。その事にハルヒは溜め息をつき、息苦しい空気を醸し出すその席を立った。そして、目の前にあった自動販売機に歩み寄る。怪我した足を庇いながら歩いたので、スクアーロは私の方を心配そうに見ていた。

ガシャンッ…………ガシャンッ…………。

お金をいれ、迷わず指がたどり着いたボタンを押すと、音を立てて二つのアルミ缶が落ちてくる。適度な重さの缶を屈んで取り、一つをスクアーロの方に放り投げた。スクアーロはそれを吃驚したように受け取った。何も言わずに俯いている時に放り投げたというのに、流石だと思った。
ぶつける姿もちょっとみたいと思ったが。




「…………グラッツェ」


「いーえ」




受け取ったスクアーロは最初、顔を綻ばせたように表情を見せたが、すぐに頬の筋肉を強張らせる。私がスクアーロに投げた飲み物と言うのが、いちごミルクだったからだ、きっと。パッケージの部分も可愛くウサギが苺を持っている物を選んだ。
対して私は、飲めもしないというのにブラックコーヒーを煽った。所謂見せつけだ。一口含んだエスプレッソはやはり想像通り苦い。




「…………怒ってんのか?」


「怒ってない。それはただの嫌がらせ」


「怒ってんじゃねえか」


「あら、それが似合うと思って買ったんだから。ちゃんと飲んでね」


「…………」




嘘だ。むしろ似合わないから買った。
スクアーロは缶をジッと見つめる。なかなか飲みだそうとはしなかった。誤魔化すためか代わりに、言葉を紡いだ。




「その…………今でもまだ、お袋さんを許せねえのか?」


「は、許す?……考えた事もなかったわね」


「なんで」


「なんでってそりゃ………あの人がまだ、家族の知らない男性とお付き合いがあるから」


「!」


「最近見たわ。仲良くおしゃべりしている二人の姿」




そう…………見た。スクアーロがこっちに来る前に、一度またあの商店街で。今度はお洒落なカフェテリアでお茶を飲んでいた。




「うちの母さん、同年代の母親に比べたらまだ若い方なの。今年44になる。だから相手の方も誑かされているのね」


「…………」




他人が簡単に口を出せないような状況…………それはまさに今のことだ。
ハルヒにとって、母親の浮気というのは中学生の頃のものではない。今も続く裏切りなのだ。スクアーロはその事を思い、元々掛ける言葉がなかったのに、更に無くなっていく感覚を全身に受けたのを感じた。自分から聞いたくせに情けないと涙を飲む。自分は何のためにハルヒに話すよう促した?ハルヒの背負っているものが少しでも軽くなってくれるようにと、そう思ったからじゃないのか?そうだ、そう思ったのだ。なのに現状、ハルヒに掛ける言葉を見つけることができずにただ、ハルヒの傷を広げただけ。
…………一体、自分に何ができている?




「なんであんたが暗い顔してんの?」


「?」




一言も話さないスクアーロに、ハルヒは首をかしげて尋ねた。




「まさか、同情してる?」


「同情…………っつーか」




こんな話を聞いて、悲観的にならない人がいるのか。




「ああ。それとも解決するとか見栄はったのが恥ずかしくなったとか?」


「ゔ…………」




そう言えば、深くものを考えずにそんなこともいってしまった。その事も思いだし、余計に頭を抱えたくなった。
まるで自分の未熟さを自分で際立てているようではないか。




「なんつーか…………」


「謝らなくていいから」


「…………あ゙?」


「別に、同情も謝罪も要らない。自分の言ったことに責任を持ててないのに関しては、元から期待してなかったから」


「…………どういう意味だぁ」




元から期待はしていない。それは、自分が問題を解決できるわけがないと決めつけていたのか。バカにしているのか。
スクアーロはハルヒの言葉に初めて憤りを感じた。ハルヒにとって自分の存在とは、その程度のものなのか。




「どういう意味も…………私は今の現状で納得してるの。父さんがその事を知らないと言っても、母さんは家では善き妻であり善き母親である。母さんが父さんのことが嫌いな訳じゃないってことは、今まで見てきて分かったし。…………なら、私が何もしなければいい訳じゃない?私が父さんに話さなければ、父さんが知らなければ、そうすれば夫婦安泰家族安泰。今さらそれを引っ掻き回すつもりなんて更々無い」




ハルヒはまた、一口含む。相変わらず苦い味といい風味と香りが際立った。




「大体、神様なんてもんは都合のいいようにはやってくれないのよ。だから私達の家族はここまできたんだから」




そう。私が黙っているだけで、それだけで良かった。それが一番賢くて一番残酷な解答。

それで家族は壊れていないのだから。




「流石にその事を知った以上『あれ』を母親として扱うのは難しかったけどね。自分を生んでくれた人だって言うのに、もう他人にしか見えなかった」


「…………」


「だからね、私が一人暮らしを始めたのは。それが一番楽で、良かった」


「ハルヒ…………」


「一人暮らしっつっても、やっぱ最初は大変だったわ。あの過保護な父親の説得を始め、アパート探しに引っ越しの準備、自炊に、仕事に就くのももう大変!だから大学も中退しちゃったし」




ベンチにコーヒーを置く。そうして憎たらしいほど晴れ渡っている空を仰いだ。

何で空というものはこんなに青いのだ。…………こんなにひねくれた自分が、惨めに見えてくるじゃないか。

ハルヒは更に自分の中にある不燃物を吐き出すように言葉をはいた。




「最初の一年は働きまくった。それこそ体がボロボロになるまで。残業なんか当たり前だったしね」


「残業?作家がか?」


「違う。私、これでも大手アパレル会社に勤めてたの。…………それで私は一人でやっていけてますって手紙と一緒にたくさんの仕送りを送った。心配しなくても大丈夫ですって。自分の食費を削ってね」


「何で…………」


「見栄を張りたかった。…………おかしいでしょ?生活がかつかつの中でそんなことしてたの。でも、そのお陰で母親は心配しなくても大丈夫と思って、顔を出しに来なかった」


「…………」


「そんな生活の中で支えだったのは小説だった。小説の中では自由に生きられる。自分を自由に表現できる。自分の中に溜まった物全部をぶつけれる。ここまで来るのにちょっとかかったけど…………今の担当がこの年で売れる作家にしてくれたことは、本当に感謝してんの、私」




そう。あんな人生を送ってきた私に希望を差し出してくれた。売れる作家になるってことが、どんなに嬉しかったことか。自分が認められている。暗に、そう言ってもらえている気がした。…………流石に、担当本人にそんなこと言えないけど。

そう言ってハルヒは笑った。二週間丸々一緒にいて、片手で数えられるぐらいしか見たことのないハルヒの笑顔。でもこの笑顔はそんな少ない笑顔のどれにも当てはまらなかった。

………いつでも、触れただけで壊れる笑顔。

触れるのが怖い。そんな笑顔なんて今まで見たことがない。こんな笑顔があるのか。スクアーロはこの時、初めてハルヒの儚さと弱さ、内面的な部分を見た気がした。


それでもハルヒは地面に足をついて、一人でここに立っている。











女はく、そして儚い







(男には持ち得ないものだ)

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あきゅろす。
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