暴れる鮫は、達人すら手に負えない
道場に、静寂が走る。
板張りの床の中央に立っているのは三人。逸、父、スクアーロだった。スクアーロだけ一人、向かい合う形になっている。
門下生とハルヒがその三人を見守る中、一人を除いて全員が何とも言えない面持ちをしている。聞こえる音と言えば、僅かな隙間から掻い潜ってくる風と、そこに居る人間たちの吐息ぐらいのもの。
その僅かな音ですら、緊張を煽った。
「…………ハルヒ。やはりここに父さんが入るのは筋違いじゃないか?」
「何言ってんの、父さん。どっちにしろ道場破りはぶっ潰さなきゃ」
「ぶっ潰されるか」
「……………お前、楽しんでないか」
「ハルヒ姉さん…………」
「そんなことないない」
父は困ったように頭を掻く。多分父の事だ。私の考えていることに粗方察しがついているのだろう。
…………そりゃ、こっちもちょっとぐらいなんか楽しみくらいないとね。
口角が少し上がる。
勿論こちらは完全に楽しんでやっている。巻き込まれる方はお気の毒という事で。
「形式はニ対一。だけど一人ずつの対戦ね。スクアーロもそれでいいでしょ」
「もちろんだぁ」
「…………本気か?ハルヒ」
「本気も何も。本人がそれでいいと言ってるんだから」
「…………手加減しませんよ、鮫さん」
「だから鮫じゃねぇ!スクアーロだぁ!!」
スクアーロと逸の視線が絡み合い、火花を散らす。いつの間にやらこの二人にはライバル的関係が築かれつつあるらしい。少なくとも逸のほうにはその気が満々だ。スクアーロが目を逸らしてもまだ、睨みつけるようにスクアーロを見ている。
対してスクアーロの方は、とにかく早く殺りたい、とソワソワしている感じ。体が疼くのか肩を揺らしている。
「…………じゃ、そこのきみ。良かったら審判役、引き受けてくれないかな?私あんまルール知らないからさ」
「は、はい!」
私の傍に座り込んでいた、比較的怪我の軽そうな門下生に声をかける。その子は今から始まる試合に武者ぶるいを起こして、手が少し震えているように見えた。
師範である父と、
この道場のエース、主将である逸くんと、
突如現れた、凄腕のスクアーロ。
この試合が下手な試合になるわけがないと、柔道場にいた誰もがそう予感していた。
そして多分、決着が見えているのは私だけ。なぜかその事に私は胸が高鳴った。理由は分からない。
私からすればこの勝負、二人が何処までスクアーロについてこれたか。それとスクアーロの実力を見ることだった。
…………さて、どうなることやら。
『だ、第一試合!』
門下生の張り上げた声に、スクアーロと逸くんが一歩、前に出る。どうやら父は後の出番を待つらしい。後ろの方で、腕を組んで二人を見つめていた。
「…………よろしくおねがいます、鮫さん」
「ゔおおい!お前、さっきから俺のことおちょくってんのかぁ?鮫じゃねぇって何度も言ってるじゃねえか!」
「そんなに頭に血上らせたら、太刀筋が鈍りますよ。鮫さん」
「しつけえ!!!」
「逸くん…………完全に遊んでるわね」
試合開始の合図はまだと言うのに、既にスクアーロは剣(竹刀)を振り回している。額のこめかみには丁寧に欠陥まで浮き出ていた。
対して逸くんはと言えば、竹刀を構え、大きく息を吸っている。逸くんの周りには緊張感らしきものが漂っていて…………スクアーロとは大違いだ。
『始めッ!』
バサッと開始を知らせるフラッグが下ろされる。その途端、緊張感は一気に最高潮まで駆け上がり、他の見物者の緊張感も一気に競り上がった。
…………息が苦しい。
レベルの高いもの同士だと、こんなに切迫感があるものなんだろうか?
最初に飛び出したのは、逸くんだった。
「でぇえぇぇえいっ!!!」
開始線から継ぎ足で一気に地面を蹴りあげる。一気にスクアーロの懐に攻めていった逸くんは、狙いを胴一点に定め、そこに自分の力を注ぎ込むように、竹刀を振り降ろした…………
「!?」
竹刀の先がスクアーロの胴を空振る。一気に逸君の体勢が崩れ、危うく倒れ込みそうになった所を何とか踏ん張る。
逸君は隙を与える前に送り足で合間を取るように後ろに下がった。
…………スクアーロの顔に笑みが浮かぶ。
「ゔおおい、どうしたぁ!さっきの威勢は虚勢か!」
「…………(イラッ)」
再び息を整えるよう、逸は深く息を吸う。
ここで挑発に乗っては相手の思う壺。そう思えば頭の中が、す……と冷えていく。
さっきは焦りすぎたんだ。狙いが甘かった。
だから…………今度は連続で打ち込む。
「やああああぁッ!!!」
水の構えから継ぎ足を使い、一気に前へ。火の構えになり、今度こそと打ち出した…………
「…………フン、隙だらけだぁ」
「!?ッ」
まただ。また、竹刀が届かない。
踏み込みが甘いのか。
そう思わざるをえなかった。
逸は、他のものに比べたら剣道に入り込む時期が結構遅かった。
小さい子に混じり、剣道を一から習うと言うは、勇気のいることだった。だが、師匠が「始める時期なんか関係ねえ」と、いつも付き合ってくれた。お陰でここまで努力し、頑張ることができ、上まで登り詰め、ここまできた。
だから…………間合いを間違えるなんてないはずなのだ。
「(…………畜生、どうなって…………)」
逸は思い付く限りの攻撃の型を打ち込む。
面なんて打てない。打ったら隙の出る自分は、隙を衝かれて負けるだろう。だから、右小手に左小手、右胴に左胴………自棄になって好ましくない突きすらも出した。なのに。
「フン………カスにしてはいい太刀筋だぁ」
「…………っ!?」
全て、スクアーロの身体を突く前に止まってしまい…………一度も竹刀が届かない。
この状況に逸は冷や汗をかいた。
スクアーロは相変わらずに、笑みを浮かべているだけ。
「ハルヒ……お前、どう見えてる?」
「どうって…………逸くんが寸止めしてるように見えるけど」
「だよな…………」
「何?防具つけてないからって、寸止めしてんの?」
父が真剣な表情で中央の二人を見る。その横顔は凛々しくてかっこよく………普段の父からは想像できないことだった。数少ない私の父の好きな顔だ。
「あれは…………スクアーロ君が絶妙な位置まで避けてる…………んだろうな」
「?」
「多分、逸は寸止めしているつもりはないんだ。普通に攻めてる。じゃなきゃあんなに焦っている顔はしない」
「…………防具で顔見えないんですけど」
「俺には分かるのさ」
なんせ俺は師範だからな!
そう言って得意げになる父。さっきまでのかっこいいと思った表情は遥か彼方に飛んでいってしまった。
「つまりどんなに打ち込んでも当たらねえんだ。相手が当たりそうで絶対当たらないって言う位置をキープしてるからな」
「ふーん…………」
「それは達人でもそうそう…………いや、けして出来ることじゃない。やるな…………あの兄さん。逸は力不足なんぞじゃない。相手が一回りも二回りも上だったってだけだ」
父が珍しく手放しにスクアーロを褒め称える。それを聞いた私は、『ヴァリアークオリティ』という単語を思い浮かべた。
…………そうか。ヴァリアークオリティは達人をも超越してしまうのか。
「ゔおおい!!」
「!!」
『一本!』
結局勝負は、一本取りという勝負だったので、逸くんがスクアーロに一本とられる形で決した。
暴れる鮫は、達人すら手に負えない
(負けたときの逸くんは物凄く悔しそうな顔をしていた)
(隣の父は僅かに口角が上がっていた)
(勝ったスクアーロは既に、次の試合に思いを寄せている感じだった)
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